Annotation

以下、この連載における裏設定や執筆時の感想などを書き連ねています。
本編の雰囲気を少なからず崩す恐れがあります。閲覧にはいつも以上にお気を付けください。


1:Caseに登場した彼等の、立ち位置と役割
プロットなしで書き始めてしまったこのCrazy Cold Case、途中で何度も修正を行い、展開の吟味を行ってきたのですが、
「Case」の人物選定と各人の役割については特に何の苦労もなく、最初期の頃から決めていたものと概ね変わらぬ形で、書いていくことができていました。
以下、順番に記していこうと思います。

Case1:蒲公英(ダンデライオン)と秋桜(キバナコスモス)は湯を注ぐ(彼女の不満を煽り立てる)
ユウリは彼等に心を開く気が毛頭ない。ただ彼等に思いの丈を、ある種、義務的に吐き出しているに過ぎない。
ダンデさんはその虚脱感に気が付いていないため、元気に快活に応援している。キバナさんは気が付いているため、呆れて、放っておこうとしている。
(この険悪な感じは、自死という選択肢をまだ手放し切れていない彼女が「最後の挨拶」めいたものとして訪れているが故に生まれているものです。
二人を嫌っているが故に強い言葉になっている訳ではありません)
<ニットベレー:茶色>

Case2:毬花(ホップ)に降る苦い懺悔
→ 「兄から弟へ受け継がれるはずだったチャンピオンの冠」というのはユウリ自身が導いた最適解であり、彼女の本心である。
彼女は幼馴染であるホップを無条件に信頼しており、故に懺悔の言葉は皮肉の一切を介することなく出てくる。自死が達成されたなら、チャンピオンの座はきっと彼に渡っていた。
<ニットベレー:赤色>

Case3:ノエル(ソニア)の鐘に灯る哀
→ 彼女自身はソニアに対して告げるべきことがあった訳ではなく、ソニアのことは訪問対象に入っていなかった。ソニアの側から話しかけてきたために応じているだけのこと。
此処での会話はソニアの認識を変えるためのものであり、ユウリの心理の変遷には何の影響も及ぼしていない。
<ニットベレー:Case2と同日のため赤色>

Case4:テンサイ(ビート)の砂糖は仄辛い
→ 「憎き愛しき悪友」はユウリを信じている。その確信は彼女を救うものになり得たかもしれないが、ビートの確信は彼女の「強さ」に向くのみであった。
ただ、ビートは彼なりに、彼女の欠落を認め許そうとしているようであった。その心理を彼女も汲み取っている。
汲み取った上でビートを「悪友」と称し、「仲間」であることを喜ぶ、ただそれだけの意味で爪を立てている。救いは、決して求めない。
<ニットベレー:この回には記載がないが、Case5と同日のため青色>

Case5:迷迭香(ローズマリ-)の茶葉は仄甘い
ユウリのための回ではなく、ネズさんのための回。マリィが彼の本心を明け透けに告げたがためにFileDのやり取りが発生した。この連載における大きな転換点。
(ネズさんは最後まで「君だけだ」などと、ユウリのように言葉にすることはありませんでした。その必要がないくらい、此処でマリィが語り尽くしてくれているからです)
<ニットベレー:青色>

Case6:泥土に咲く平和と知恵(オリーヴ)(平和と知恵は「オリーブ」の花言葉)
→ 転換点であるCase5およびFileDを経た後のユウリが、自死を想定することなくただ話をするために訪れた相手。
この回において、ユウリの毒はかなり抜けている。自らの肩書きに対して不満を漏らすことをせず、ただ淡々と受け入れている。諦めを覚え始めている。
<ニットベレー:紫色>

Case7:ミレニアム・クレイジー・ラブ(ローズ)(ラブ、すなわち愛情は「薔薇」の花言葉)
→ 後述
<ニットベレー:この回には記載がないが、Case6と同日のため紫色>

Case8:ラパ(カブの学名)を引き抜く鼓舞の腕
→ この人のみ、予定外の登場。
(Case1~7までの出来事を同じジムリーダーから聞き知ることしかしていない、FileA~Eの出来事についても知っているはずがない。
けれどもローズさんのような邪悪性を孕むことなく、ユウリの内情を鋭く、けれども穏やかに優しく分析し、紐解き、許すことができてしまう相手。
それでいて、彼女の想う誰かの元へ、何の憂いもなく「行ってこい」と送り出せる相手、そんな人物を未登場の方の中から選ぶと……ええ、必然的に彼になります)
<ニットベレー:青色(カブさんに雨を連想していただく必要があったので、マリィやビートの回と色を揃えざるを得ませんでした)>

Case9 & 0:木蓮(この花の学名がマグノリア)の杖よ舵を取れ
→ 序盤の「Case」がユウリにとっての「死に際の挨拶」であったこと、ネズが救ったのは彼女の本質などではなく彼女の命そのものであったことを明言する役目を担う。
博士もカブさんと同様に、彼女の異常性に気が付きながら、助けを望まれていないと分かっていながら、
それでも何かできることをと必死に探した結果、何の確証も根拠もない出まかせの言葉が口をついて出てきた。
 「その相手がきっと、貴方のかけがえのない人になる」
<Case9のニットベレー:黒色>
<Case0のニットベレー:白色>

CaseX:いつか、未来に愛の鑑定を
→ 遺書の読み上げ、炎に投げ込むことによる焼失、「死」を先取りしていったエネコとの邂逅、「つまらなくない気分なんだ」という勝利宣言。タイトル回収。
 私がこの未解決な愛(Crazy Cold Case)を諦めることなどありはしないのだ。
<ニットベレー:ピンク色>


2:Solutionにてネズさんが提示した、二冊の本
一冊目:180ページ程度の、港町を舞台にした「老人」と少年、そして「海」に暮らす生き物たちの物語
→ ヘミングウェイの「老人と海」をイメージしています。
ヘミングウェイと言えばエーミールの「少年の日の思い出」があまりにも有名ですが、ユウリから「惨たらしくない話」というリクエストがあったため、候補から外しました。
エーミールの「そうかそうか、つまり君はそんな奴なんだな」があまりにも有名ですよね。あの柔らかなナイフのような台詞、大好きなんです。
(追記:「少年の日の思い出」の作者様は、ヘミングウェイではなくヘルマンヘッセです。大変失礼いたしました! ご指摘本当にありがとうございます!)

二冊目:小さな農場を舞台とした、イトマルというポケモンを語り手として紡がれる「おくりもの」の物語
→ E・B・ホワイトの「シャーロットのおくりもの」をイメージしています。
私が小学校の頃に手にした本ですが、怠惰なことに最後まで読むことなく手放してしまったという個人的な苦い過去がございます。
名作であることは間違いありません。映画化もされているようですし、知名度はかなり高いのでしょう。
通販サイトにあったあらすじの受け売りですが、「命」と「奇跡」を描いた物語のようですよ。


3:ミレニアム・クレイジー・ラブについての、愚痴
Case6「泥土に咲く平和と知恵」を書き終えたのが4月1日、Case7「ミレニアム・クレイジー・ラブ」を書いたのが5月30日。
……間に別の執筆も挟みましたが、概算で実に2か月、私はこの回に苦しめられたことになります。彼、ローズさんを書くのは大変でした。本当に大変でした。

まず大前提として、これまで誰にも「負かされる」ことのなかったユウリが唯一、絶対的な敗北を喫する相手として書かなければいけませんでした。
気味悪くしなければいけない。有能な気配を崩してはいけない。不気味で不可解で曲者で、ニコニコと微笑みながら、当然のように狂った愛を歌えるような姿でなければいけない。
彼女が勝てない相手とはどういうものかを、この回ではっきりと示さなければいけない。そのため、一切の妥協が許されませんでした。

何故ならこのローズさんにこそ「エネコの溺死」を最悪の形でネタバレする役目を担っていただきたかったからです。
読んでくださる方がそのネタバレを嫌悪してくださるような、次のFileFでネズさんと一緒に憤れるような、そうした感情へのレールを此処で敷いておきたかったからです。
普段から、ヘイトを集める物言いをする人物を好んで書いていれば、もう少しローズさんの台詞や思考文もスムーズに思い付いたのかもしれないのですが……。
とはいえこれが、私の書くローズさんの真骨頂であり、限界です。出来はともかく「ものすごくがんばりました」とだけ、書かせてください。
どうでしたか。憤っていただけましたか?


4:可視化に足る愛
「愛しています」という言葉が、苦手です。特定の「人」に向けて発される「愛しています」に関しては、未だに納得しかねるところがございます。
それ故に当サイト、連載の数だけは多いのですが、その中で「誰かを」「愛している」と明言しているものは全体の2割にも満たないと思います。
時間を愛している、概念を愛している、我が子を愛している、ポケモンを愛している、などであれば理解ができますし、そういう意味での記載なら多用しているのですが、
それが、恋の対象となり得る唯一無二の相手に使ってもよい言葉であるか否かという問題は、私の中では長い間、未解決のまま放置されています。

そんな私の書く愛めいたもの、愛ではなかったかもしれない何かを、とある方が「透明な愛」と表現してくださいました。
私はこの表現を「意識して書かれた愛の台詞・描写がほとんどないにもかかわらず、大抵の物語の中には確かに愛めいたものが存在している」という、
活字化(可視化)できない概念としての愛の表れを評価してくださっているのだと(都合よく)解釈し、そのかっこよさに舞い上がり、それはそれは喜んだものでした。

私の書くものに「透明な愛」を見てくださる方がいるのなら、私はその透過性を損ねることなくこの物語を書き上げてみせよう。
そのような思いで連載の続きに手を付けたにもかかわらず、出来上がってしまったのは、
「愛とは選択すること、などという傲慢な定義のもと、ただひたすらに愛を訴え誰かを救い上げようとする姿」という、とんでもないものでした。

この愛は曖昧であるにもかかわらず傲慢なものです。この愛は悉く不透明で可視化に足るものです。私が望まぬ形のものです。おそらくは、望まれていない形のものです。
そういう訳で私はこの連載の完結直後、この可視化に足る愛に少なからずショックを受けたのですが、……しばらくすると、これでよかったのではと思えるようになりました。
愛というものの可能性について、彼等の物語を通して真剣に考えた結果、出来上がったのがこの「可視化に足る愛」ならば、それが彼等にとっての正解なのではないか。
彼等の定義が愛をそうしたのだから、何も間違っていないのではないか、そう思えて、ひどく嬉しい心地になれてしまったのでした。
……とかいう、書いている身である私だけが楽しい、充実した葛藤が、執筆中および執筆直後にあったという事実を、そっと此処に置いていかせてください。

愛への猜疑心に満ちた人間が「透明な愛」を意識して造り上げた物語。そこに生まれてしまったのは、くどい程の不透明さを孕んだ、ただ一人を救うための愛でした。
ひとつの、愛しい【アイロニー】の形を書けたことについて、私はとても満足しています。

ありがとうございました。

2020.6.8

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