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「ヤマブキシティの何がつまらないって、遊ぶところが少なすぎるんです」

少女は強い風に茶色のポニーテールをなびかせながら、そう紡いだ。
ダイゴはそれを聞きながら不思議に思う。
ヤマブキシティはカントー随一の大きな町だ。あれだけ賑わっている場所なら、娯楽施設には事欠かないと思うのだが。

「私、お淑やかに暮らすのが嫌いなんです。外に出て、プラスルと走り回ったり、色んな所に出かけたりするのが好きなんです。
でも私の家の近くには、アスファルトで舗装された道や、申し訳程度の広さの公園しかなくて。しかもその公園、隣の大きなビルのせいで陽が差さないんです」

饒舌な彼女はその口を閉じない。ダイゴが気を遣って話題を振らなくても、彼女はひっきりなしに言葉を紡ぎ続ける。
それは、ダイゴが気を遣って何かしらの話題を振る必要性の無いことを意味していた。ダイゴはただ、その話に笑いながら相槌を打つだけでよかったのだ。
それは不思議な、しかしそれでいて心地よさを感じさせる時間だった。

「だから、こんなに緑が生い茂っているホウエンが羨ましいです。普段は自宅の中庭と、隣町を繋いでいる7番道路くらいしか、遊ぶ場所がありませんから」

7番道路は確か、タマムシシティとヤマブキシティの間にある短い道路だった筈だ。
そんな場所に、ポケモントレーナーでもないお嬢様の彼女が立ち入っていることがあまりにも不自然で、ダイゴは首を傾げる。
『動きにくいドレスは肩がこるし、お食事の時間は長すぎるし、お稽古やパーティ、お見合いばかりで、好きなことがちっともできないんだもの。』
その言葉を思い出し、ダイゴはある仮説を導き出す。

「君はひょっとして、よくこんなことをしているのかい?」

「ふふ、何のことかしら?」

「君のご家族や執事さんが、そんな外出を許可するとはとても思えない。頻繁に家を抜け出しているね?」

彼女は肩を竦めて笑ってみせる。

「ダイゴさんはお察しがいいですね。その通りです。
大人だらけのパーティも、知らない人とのお食事も、つまらないんです。だからいつも、何かしらの理由を適当につけて抜け出しています。
……まあ、大抵の場合は仮病ですが、何も言わずにこっそり抜け出したりもしていますよ」

ダイゴは自らの仮説が正しかったことに満足し、そして苦笑する。
ああ、この子は生粋のお転婆なのだ、と。この子の性分は自分のそれと似ているのだと。
堅苦しい世界に順応することを覚えたかに見えたその、とても美しい雰囲気を纏う女性は、自由をこよなく愛する、たった16歳のお転婆な少女だったのだ。

「けれど、おかしいね」

「何がですか?」

「君のそれが嘘ではないのだとしたら、ボクは置き去りにされていた筈だ。
お見合いがつまらないのなら、ボクを置いて抜け出して来ればよかった。君の言葉が正しいのなら、間違いなくそうした筈だ。
どうして今日はそうしなかったんだい?流石にホウエンという慣れない土地を、一人で散策するのは不安だったのかな」

すると彼女は沈黙した。
何か気分を害することを言ってしまったのだろうか。ダイゴは少しだけ不安になって振り返るが、それは杞憂だったらしく、少女は肩を震わせて笑いを堪えていた。
どうしたんだい、と尋ねれば、彼女は堪え切れない笑いを少しだけ零しながら口を開く。

「だって、ダイゴさん、開口一番に私の年を聞くんだもの」

トキさんのお年は、お幾つですか?』
そうだ、確かに自分は彼女の年を尋ねた。テーブルにつき、双方の沈黙を破るための最初の言葉が、よりにもよって、彼の興味本位で発された不躾な質問だったのだ。
あの時、彼女はその目を丸く見開いて驚いていたが、そういうことだったのか。
冷静に考えれば、あの質問がいかに場違いで、いかに失礼なものだったか、容易に考え付くことができただろうに、あの時のダイゴにはそれができなかったのだ。

「確かに私は随分と幼く見えたのかもしれないけれど、女性に年齢を聞くなんて、一番やってはいけないことでしょう?
それを真顔で尋ねてくるから、とてもおかしくて。笑いを堪えるのに必死だったんです」

「……す、すまなかったね」

自然と吐き出された謝罪の言葉に、しかし彼女はその笑顔のまま、首を振る。

「どうして?私、楽しかったんですよ。
私よりも年上の男性でも、こんな風に正直な人間がいるんだなって、この人はちょっと変わっているわって、思ったんです」

「……」

「もしかしたら、私に似ている人なんじゃないかなって。堅苦しい大人の世界に、上手く溶け込めていない人なんじゃないかなって」

その通りだ。ダイゴは少女の正確な指摘に息を飲んだ。
そう、ダイゴはこの少女と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、この堅苦しい社会を苦手としていた。
この社会を避け続けていたが、しかし、それを嫌でも受け入れなければならない時期に、今の自分はいたのだ。
だからこそ、ダイゴはこの窮屈な社会に留まり続けている。
少女のように、自分の境遇を苦手とし、その立場から逃げていた時期は、もう、過去のものとなってしまっていたのだ。

しかし彼女は、自らこの社会に留まり続けている。
表向きは頑丈な装甲を纏い、大人の社会に順応したように見せかけて、その装甲を剥がせば、お転婆で自由を愛する、年相応の子供の姿が覗くのだ。
彼女は昔のダイゴよりもずっと器用に、大人の社会で呼吸をしていた。しかしそれと同時に、ダイゴよりもずっと行動的に、自分の自由を求めてもいたのだ。

「だから私、ダイゴさんにあんなことを尋ねたんです」

『貴方は少しでも私と添い遂げる気がおありですか?』
彼女のあの発言をダイゴは思い出す。突拍子もない、驚くべき言葉だったが、それには彼女なりの思惑があってのことだったのだ。

「正直なダイゴさんは、とても正直に答えてくれましたよね。貴方の沈黙はどんな嘘よりも雄弁でした」

クスクスと笑う彼女に、ダイゴは手の平で転がされていたような錯覚に陥る。
この少女は頭が切れる。それは彼女が置かれた環境がそうさせたのだろうか、それともその機転の利く性格は、彼女が生来持ち合わせていたものなのだろうか。

「私、嬉しかったんです」

「!」

その声音が、今までの饒舌な口ぶりとは一線を画していたように感じられたのは、ダイゴの気のせいだろうか。

『私、嘘吐きなんです。』
そう言った彼女は、饒舌に何もかもを喋る。その無数の言葉から「本物」を引き当てることは果てしなく困難であるように感じられた。
しかし、今の言葉は嘘ではない。その根拠をダイゴは持っていなかったし、それは直感に過ぎなかった。
けれど、この何もかもを煙に巻く彼女を理解しようとするならば、そうした理論では突破できない部分にも頼らなければならないのではと思ったのだ。

そしてダイゴはおかしくなって、笑い始める。
これに驚いたのは少女の方で、「どうしたんですか?」と、浮かべた笑顔はそのままに尋ねた。

「いや、なんでもないよ」

「なんでもない人は、そんな風にいきなり笑い出したりはしませんよ」

「本当になんでもないんだ。……いや、違うな。何かはあったんだよ。ただ、それをまだ君に言いたくないだけで」

彼女はその目を僅かに見開き、しかし直ぐに「ダイゴさんはやっぱり、正直な人ですね」と紡いで笑った。
「君も似たようなものじゃないか」と返したかったが、寸でのところでダイゴはそれを押し留める。

この少女を、ダイゴは理解しようとしていたのだ。
相手側の会社への接待という趣ではなかった。女性に対する気遣いでもなかった。それは純粋な興味だった。この少女を知りたいと思ったのだ。
この、自分と真逆な部分を持ちながら、しかし何処か自分に似ている少女のことを、ダイゴは知りたいと思ったのだ。

「エアームド、ルネに飛んでくれ」

「あら、行き先が決まったんですか?私としては、このまま時間が来るまでホウエンの空を飛ぶのも、面白いかなって思い始めていたところだったんですよ」

ダイゴはその、嘘吐きな少女に微笑んだ。

「世界一、美しい空を見せてあげるよ」

すると少女は両手を合わせ、ぱっとその顔に花を咲かせる。
この少女は嘘吐きだが、しかしそれ故に、とても正直なのだ。


2014.12.20

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