※クリスマス企画
インターホンの音が耳に届くや否や、パキラは勢いよく立ち上がっていた。
今日のために新調したルージュがすっと唇を彩っていることを鏡で確認してから、いつものサングラスを外して大きく頷く。
そこにいるのはカロスのニュースキャスターでもリーグ四天王でもない、ただ友人の訪問を心待ちにする一人の女性だった。そのことがどうしようもなく嬉しかった。
故に高揚した気分のまま、一片の警戒心も抱かずにドアを開けてしまった彼女は、しかし次の瞬間、パン!という盛大な音とカラフルな紙片をまともに浴びることとなってしまう。
「わっ!?」
あまりの驚きに素っ頓狂な声を上げるパキラを見上げ、何処で買って来たのだろう、クラッカーを2本同時に引いた少女は、その華奢な肩を震わせて笑い始めた。
「あはは、こんなに驚かれるとは思っていませんでした。パキラさん、メリークリスマス!」
「あーあ、やってくれたわね、シェリー!」
そう言って、いつもするように彼女の髪をわしゃわしゃと掻き乱そうと手を伸べたパキラは、しかし寸でのところでぴたりとその手を静止させる。
彼女の髪があの毒々しいオレンジではなく、もう記憶のずっと奥に押し込められていた、彼女の本来の髪の色、……美しいストロベリーブロンドをしていることに、気付いて、息を飲む。
葬送の色を落とした彼女の髪は恐ろしい程に美しかった。べっとりと血糊のようにこびりついた赤の面影をもうこの少女の髪に見ることは不可能だった。
「……パキラさん?」
どうしたんですか、と言わんばかりに不思議そうに首を傾げてみせる。
「何でもないわ」と返したパキラは、どうしようもなく下手な笑みを浮かべてみせた。
……違う。此処で掛けるべきは、「何でもないわ」などという誤魔化しの言葉ではなく、「とてもよく似合っているわ」という褒め言葉であった筈なのだ。
けれどそうした気の利いた台詞さえ咄嗟に思い付くことができない程に、今の彼女は驚いた。驚き過ぎていた。
少女が全身に纏った葬送の色は、もうずっと取り払われることなどないのだと、この少女はもう一生、あの組織を、あの人を忘れられないのだと、そう思っていた。
それでもいいと諦めていた。
それと同時に、そうした少女でも構わない、喪の作業に延々とかまけて人生に躓いてばかりであったとするならば自分が導き支えればいいだけのことだと、覚悟さえもしていたのだ。
けれどパキラの予測に反して、少女はその美しい髪に赤を宿すことを、よりにもよって、赤を纏うことが許されるであろうこの日に、やめた。
どうしようもない程に嬉しくなった。ストロベリーブロンドに戻った彼女の美しい髪を、指に絡めてくるくると巻いては笑い、また絡めては笑った。
「綺麗よ、シェリー」
長い、長すぎる沈黙の後でようやくパキラはそれだけを告げた。
少女もその沈黙が何を意味しているのか、分からぬ程、愚鈍ではなかったから、彼女の祝福の言葉を照れたように笑って「ありがとうございます」と受け取った。
「さあ、上がりなさい。あと30分くらいすれば頼んでおいたピザが来るわ」
「はい、それじゃあお邪魔します」
世間がクリスマスという一大イベントでこれ以上ない程に賑わっているこの日、パキラは迷った挙句、少女を自分の家に招待することにした。
ミアレシティに建つマンションの一室、この空間に人を呼ぶのは初めてのことだったため、少女がドアを越えて自室に入ってくる瞬間、少しばかりパキラは緊張していた。
けれど直ぐに空笑いをして、その緊張を彼方へ追い遣った。この少女に対して緊張するなど、馬鹿げたことだと思ったからだ。緊張など、必要のない代物だったからだ。
しかしパキラが意識的に追い出すことの叶った緊張を、やはり14歳の少女は持て余しているようで、一人で暮らすには広すぎる空間、その入り口で困ったように立ち尽くしていた。
けれど、パキラの「外は寒かったでしょう?温かいものが欲しいなら、カップラーメンを用意してあげるわよ」という言葉に少しだけ驚き、
やがて安堵したかのように強張っていた肩の力をすっと抜いて笑った。
「パキラさんも、カップラーメンなんて食べるんですね」などというとんでもないことを口にするものだから、
パキラは早々に、少女が自分に対して構築していた幻想をばっさりと切り捨てて笑うことを選び、得意気に、そして饒舌に言葉を紡いだ。
「当たり前よ。レトルト食品だって、コンビニのスナック菓子だって食べるわ」
「……ふふ、パキラさんって、もっと、」
「綺麗な人だと思っていた?」
少女の言葉を引き取る形でそう尋ねれば、「……怒りますか?」という、少女らしい肯定の返事が疑問の形で返ってきた。
パキラは「馬鹿ね、怒ったりしないわ」と告げて、今度こそいつものように少女の髪を両手で抱くようにふわふわと掻き乱す。
「そう在らなきゃカロスは窮屈だから、外では敢えてそうしているだけよ。
格式高いレストランやカフェの高級スイーツしか口にしない、気難しい、気取った高嶺の花。その姿がこの美しい土地で生きるために必要だから、演じているの」
がっかりしたかしら?と尋ねれば、そのストロベリーブロンドを振り乱すが如き激しさで首を振るものだから、思わず吹き出すように笑って頭を撫でた。
その手を肩に添えて、ソファに座らせる。ふわりと沈むその感覚に彼女はひどく驚いたらしく、小さな歓喜の悲鳴が上がった。
さて、客人に飲み物の一つも出さないのはマナー違反だろうと考え、しかし14歳の少女に自分と同じ物を飲ませる訳にはいかないと、パキラは暫し、思案する。
彼女でも飲めそうなものが果たしてあるかしらと、キッチンへ足を運ぶパキラの背中に、少女の不安気なソプラノが投げかけられる。
「……他の人も、そうなんでしょうか」
「そう」というのが何のことを指すのかを知っていたから、「それ」が彼女の中核を構成するに十分な、とても重要な疑問だと知っていたから、
彼女はその問いを一笑に付すことがどうしてもできず、故に冷蔵庫に掛けた手を引っ込め、呆れたように笑って彼女の隣に尊大に腰掛けることとなる。
足を組んで、得意気に微笑んで彼女を見据える。ライトグレーの瞳には、果たして彼女がどのように映っていたのだろう。
「あらあら、貴方はそんなことも知らないのね」
この少女は「そんなこと」も知らずに育ったのだと、知らないままにずっと、この美しいカロスを旅してきたのだと、
彼女は本気でこの、美しいカロスを守ろうとしていたのだと、そう認めていよいよ居た堪れなくなった。
だからこそ、自分が伝えなければと思ったのだ。パキラはその思い上がりのままに、口を開いた。
「生きるって、とても醜いことなのよ、シェリー」
彼女は学が無かったし、学ぶ姿勢を知らなかった。世間知らずであったし、知る手段を持たなかった。
学んでいれば、知っていれば何かが変わったのだろうか。もっとこの子が賢く在ったなら、彼女の喪の作業はもっと早くに終わりを迎えていたのだろうか。
……けれど、もし彼女が全てを知っていたなら、きっとこのカロスは守られなかった。彼女が聡明であったなら、きっとこの地は見限られていた。
ライトグレーの瞳が2回、3回と瞬きをして、やがてその華奢な肩が小刻みに震えた。
ソプラノの声音が至極楽しそうに大きな笑い声を奏でた。パキラは言葉を挟まなかった。彼女の笑いの正体を計り兼ねていたからだ。
けれどその笑い声が少しずつ小さくなり、完全に消えたと思った次の瞬間、そのソプラノは先程までとは全く違った音をパキラの耳に運んだのだ。
「そんなこと、誰も教えてくれなかった」
色の白い頬をボロボロと大粒の涙が伝った。
それは雨上がりの空の下で、太陽の光を待つ白い花が、その花弁に付いた雨をぽとりぽとりと地に落とすような自然さだった。
そう在るのが極自然なことである、というように、当然のように少女は泣いていた。パキラも彼女の泣き顔と嗚咽に動揺したりはしなかった。
マニキュアを塗った爪が頬に触れないように、そっと指の腹を使って目元を拭った。
「あーあ、泣き虫ねえ」
ねえシェリー、しっかりと生きたいのなら、貴方は知る手段を得なければいけないわ。学ぶ姿勢を持たなければいけないわ。
貴方に全てのことを一から順番に与えてくれる程、カロスは優しい場所ではないのよ。そして、それはカロスに限ったことじゃない。
世界は、貴方を最初から最後まで導いてくれるように出来てなどいない。
だから、貴方から求めなければいけないわ。そして、この醜い世界に振り回されない術を、自分で身に付けなければいけないわ。
それら全ての言葉を飲み込んでパキラは泣きそうに笑った。
もっとも、その表情を、今の少女が知覚することなどできる筈がなかったのだけれど。
少女があの人の葬送を繰り返しているうちは、パキラもそれに付き合おうと思っていた。
けれど、少女の髪が元の色に戻った今となっては、彼女がその葬送に寄り添う理由など、もう存在しない。
それでも彼女はその指で少女の目元を拭い、笑うのだから、つまりはそういうことだったのだろう。
この弱すぎる少女を、見限れなかった。彼女との喪の作業への愛しさではなく、彼女自身への愛しさを、認めざるを得なくなっていた。ただ、それだけのことだったのだ。
「貴方の泣き顔は嫌いじゃないけれど、こんな日くらい笑って過ごしましょうよ。
そうそう、プレゼントも用意しているの。夕食を食べた後で渡してあげるわ。貴方、きっと喜ぶわよ」
彼女の選んだヘアアクセサリーは、きっとこのストロベリーブロンドに、よく似合う。
2015.12.24