低温火葬

「嬉しいわ、またお会いできて……」

四天王の一人であるパキラは、やって来た一人の少女にそんな言葉を投げた。
嬉しさなど微塵も感じていない口調でそう告げながら、相変わらずのみっともない姿を静かに嘲笑した。

彼女は相手の目を見ない。いつもおどおどしていて、まともに言葉を発しもしない。
初めて彼女と出会った時、いや正確に言えば、パキラはそれよりもずっと前から少女のことを知っていたのだが、
あの頃の方がまだ幾分か、全てに怯えるような気配はマシであったように思う。
同じ人間と再び顔を合わせれば、面識がある分だけ、その怯えや緊張は影を潜めるものと思っていたのだが、彼女の場合、その人見知りが寧ろ程度を増しているようにさえ見えた。

「心の中、フツフツと燃え上がっているの」

一人で旅もできない、ポケモンに手を引かれなければポケモンリーグにもやって来られない。こちらが話し掛けても決して顔を上げて前を見ようとしない。
こんな甘ったれた子供にフレア団は潰された。彼女に向けるべきこれを憎悪と呼ばずして他に何と呼ぼう。

「貴方が憎たらしくてねっ!」

こんな風にパキラが叫んだところで、しかしその憎悪はフィールドの向こうでボールを握り締める少女に欠片も届かない。
だからこそ、パキラはこの少女が憎らしかった。自らの炎をなかったことにされてしまうことが、ひどく悔しいことのように思われてならなかったのだ。

最後のファイアローをボールに戻し、パキラは小さく息を吐いた。椅子に尊大に腰掛けて足を組み、乾いた笑いを浮かべた。また負けてしまった。解っていた。
敵わない、敵う筈がない。彼女の実力をよく知っていたパキラには始めから負け戦だったのだ。
しかしそう思い直したところで、憎らしさが消えてくれる筈もなかった。

苛立ちを込めた視線で少女を睨むように見下ろしたけれど、彼女は首を折るように俯きながら、それでいてライトグレーの目を僅かながらこちらに向けていた。
その恐れをなした目が、しかし何かを窺っているような、何かを訴えているような色を持っているような気がして、パキラは怪訝そうに眉をひそめてからサングラスを外した。

まともに視線をぶつけることも出来ない癖に、こちらの表情を拾い上げることは得意らしく、少女は大袈裟に肩を跳ね上がらせた。
そしてその少女の姿を、赤いサングラスを外して眺めたパキラは、椅子に踏ん反り返った格好のまま腹を抱えて笑い出した。
最初こそこちらの表情に狼狽えていた少女だが、その笑いが自分を馬鹿にしたものだと悟った瞬間、一切の表情を消してこちらを真っ直ぐに見据えた。

怒らせてしまった。パキラは笑いながらそんなことを思う。
フレア団一つを潰した少女の怒りが危険であることをパキラは知っていた。
笑っている場合ではなかったのだろう。自分はこの小さな子供に敗れた身なのだから、こんな風に彼女を侮るなどしてはいけなかったのだろう。
それでも笑わずにはいられなかった。彼女が滑稽で堪らなかった。
それに、怒りは怯えを隠してくれるかもしれないが、そこにある狂気までもを隠すことなどできやしないのだから。
サングラス越しでも違和感を拾い上げてしまえる程に、今の少女はあまりにも歪な色をしていたのだから。

「どうしたの?貴方はフレア団のことが嫌いなのではなかったの?」

「……」

「まるで、貴方が潰した組織を愛おしく思っているみたいよ、その真っ赤な服」

服だけではない。帽子、アクセサリー、ソックスやシューズ、バッグに至るまで、彼女は全身に赤いものを纏っていた。
中にはミアレシティの高級ブティックでしか手に入らないものもある。内気で臆病な癖に金遣いは随分と荒いらしい。
赤ワインに浸かったような格好をした愚かな少女は、しかしパキラを見据え、初めて言葉を紡いだ。
それは一方的な解釈を押し付けられたことに対する怒りの声でも、狼狽えながら紡ぐ否定の音でもなかった。

「そうです」

「……あら、これ以上私を笑わせないでくれるかしら?」

「いいえ、貴方は確信していたから、だから私を笑ったんでしょう?」

だから好きなだけ笑うといい。そんな言葉が少女の顔に貼り付けられていた。
一体どうしたというのだろう。強い力を持て余したこの子供はついに狂気じみてしまったというのだろうか。
この憎たらしい子供がどうなろうとパキラの知ったことではなかったが、この時ばかりは己の復讐心よりも彼女に対する好奇心の方が勝っていたらしい。

「そんなにフラダリ様が恋しい?」

「はい」

「……嫌だわ、貴方の惚気が聞きたい訳じゃないのよ」

当てずっぽうで投げた言葉がまさかの図星を突いたことにパキラは驚いた。
つまりはそういうことだったのかと、ようやく理解することの叶った事象を噛み締め、新しい怒りがパキラの中で大きな渦を巻き始めていた。

フラダリはこの子供を格別気に掛けていた。
選ばれし者だと彼が豪語するその根拠は、ジムリーダーへの連勝やメガシンカを使いこなすことにあったが、
どうやらその見方は彼の色眼鏡で為されたもので、彼女を選んだのは他でもない彼だったらしい。
そして彼はきっと、この子供をフレア団に引き込もうとした。そして失敗して、だから最終兵器を止めるチャンスをこんな子供に差し出した。

何もかもが違ったのだ。パキラは益々おかしくなって笑った。
フレア団が壊滅したのは、この超人的な力を持った子供のせいだと思っていた。事実として彼女は見事フラダリに勝利した。
しかしそこに至るレールは彼が敷いていたのだ。少女を「選ばれし者」にしたのは他でもない彼だったのだ。
爆弾はとっくにこちら側に仕込まれていた。どうしてそのフレア団が壊滅を免れることができただろう。

「ああ、貴方が憎いわシェリー。貴方はどれだけのものを私達から奪えば気が済むの?」

フレア団には正義があった。その為に沢山のものを奪った。
これがその報いだというのだろうか。それにしてもあんまりだ。彼女が自分が滑稽で堪らない。

「貴方はフラダリ様に焦がれていながら、それでも彼の考えに賛同する訳にはいかなかった。……それが貴方の正義なのね」

そして彼を選べなかった自分が未だに許せないのね。だからそんな真っ赤な服を着ているのね。

彼を忘れないためだろうか。喪服のつもりだろうか。それ以前の問題として、そもそも彼は死んでいるのだろうか、生きているのだろうか。
解らないことが多過ぎる中で、しかしこの少女が疲れ果てていることだけは解った。
正義という脆く重いものを振りかざすのには相応のエネルギーが伴うのだ。
少女はあの一件を経て憔悴しきっているように思われた。倒れる場所を探しているようにさえ感じられた。

彼女は少なからずフラダリのことを想っているようだったが、しかしその懸想がどういった類のものであったのか、パキラには推し量る術がない。
彼の喪失が少女にとってどれ程の絶望であったのか、そして彼をそうした状態に追い込まざるを得なかった自分をどれ程憎んでいるのか、解らない。
けれど彼女はもう十分に疲れ果てていた。彼女は彼女自身の後悔によって十分に責め立てられていた。
それこそ、パキラの叱責など意味をなさない程に、彼女は自身を責め続けていたのだろうと、推測することはあまりにも簡単だった。

「いいのよ」

だから、この少女の破滅的な葬送の儀を目の当たりにしてしまったパキラは、この憎たらしい子供を許さなければいけなかったのだ。
その馬鹿げた、終わりの見えない喪の作業を止めることができる人間がいるとすれば、
それは彼女と同様にフラダリを慕い、彼の喪失に対して少女と同じように絶望した自分だけなのだろうと、パキラはその瞬間、心得てしまったのだ。

「夢を叶えるにはそれなりの強さが必要。フレア団が持っていなかったそれを、貴方は持っていたのだから」

さあ行きなさい。そう追い出すように告げれば、少女は無言のままにゆっくりと踵を返した。
エレベーターに乗ろうとしたその子供を寸でのところで引き止め、振り返ってくれた彼女に、ようやくパキラは笑うことができた。

「その服はやめてしまいなさい。貴方に赤は似合わないわ」


2013.11.2
2016.3.14修正

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