800歩先で逢いましょう(第一章)

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 道場裏にあるバトルフィールドを借りたい。そんな彼女の頼みをシショーは二つ返事で聞き入れた。隣でミセスおかみは心配そうにしていたけれど、ユウリとシショーが重ねて発した力強い「大丈夫」が承諾の後押しとなったらしく、その日、道場の全員が彼女の、ポケモントレーナーとしての久々のバトルを見るために道場裏へと集まっていた。
 この二週間足らずの間、彼女の代わりに世話をしてきたポケモンたちをこの機会に返そうとしたのだが、「今更、本当のことを話して混乱させたくない」としてそっと断られてしまった。故に今、彼女が連れているポケモンはインテレオン一匹のみである。

「しかし、よろしいのですか? ワタクシもポケモンの数を少し減らした方が」

 流石にセイボリーの手持ちポケモン全員でかかるのは数の暴力というものではなかろうか。そうした懸念はしかし、彼女がにっと楽しそうに笑ったことにより弾けて消えた。

「いいんですか? そんなことをするとセイボリーさん、勝てなくなっちゃいますよ」
「な、なにおうっ!?」
「配慮なんかしないでください。たった一匹しかいなくたって、私は貴方に勝てる」

 恐ろしい程の自信である。憎らしい程の笑顔である。敗北を知らない運命はこちらのユウリもあちらのユウリも同じであるらしい。たとえ手持ちがたった一匹であろうとも、そしてその一匹であるインテレオンが彼女の「本当の」相棒ではなかったとしても、彼女の頭に敗北の想定は微塵もないのだ。そして、それは隣で静かに佇むインテレオンだって同じだろう。
 無敗の冠を取り戻すのは彼女にとってきっと簡単なこと。ただ、戦う意思さえ持てばいい。それを「嫌だ」として駄々を捏ね続けてきた期間、彼女が冠の代わりに手に入れていた平穏を思ってセイボリーは目を細めた。

 できることならずっと持っていたかったであろう平穏、大好きなかの女性のいない世界で手に入れてしまった最低な平穏。それを捨てて、彼女は戦うことを、ひいては元の世界へ戻ることを選んでいる。
 この二週間足らず、ポケモントレーナーであることを捨てて最低な平穏に甘んじ続けたユウリは、けれどもそんなブランクなど感じさえないしっかりとした足取りでフィールドの端へと向かった。振り返った彼女の目はギラギラとしていて、まったくもって穏やかではない。
 ああ、最高の不穏だ。やはり「ユウリ」はこうでなくては。

「ではお相手しましょう。ジムリーダーになったワタクシの実力、とくとご覧あれ!」

 先鋒として繰り出したガラルヤドランの出方を窺うように、インテレオンは何の指示も受けずフィールドに突っ立っている。エスパーパワーでめきょっとへこませられそうな細身ではあるが、その長い指から繰り出される「ねらいうち」をセイボリーのポケモンが躱せたことは未だかつてない。ならば対策は先んじて動くこと。素早く指示したサイコキネシスに、ヤドランの方が先に反応した。特性「クイックドロウ」が味方をしたようだ。観戦している門下生たちが歓喜にどよめく。運を味方に付けられたことにセイボリーは一旦、安堵する。
 繰り出されたエスパーパワーは相応の威力で見事インテレオンに命中したが、その奥に立つユウリは眉一つ動かしていない。まったく末恐ろしい度胸である。化け物めいた信頼である。それらが鋼鉄の鎧となって二者をかたく守っているのだ。
 分かっている。あなたがたはそういうトレーナーとポケモンだった。よく知っている。誰よりも分かっている。何度、ワタクシが何度戦ってきたと思っているんだ!

「インテレオン、ねらいうち!」

 西部劇に登場するライフルもかくやという勢いで放たれた水泡がヤドランの腹部を鋭く掠め、体力をごっそり奪い取る。体力自慢のヤドランは、しかし惜しいことにその一撃でドサリと崩れ落ちた。普段でも一発で持って行かれるようなことはなかった。どうやら急所に当たったらしい。運はセイボリーの味方ばかりしてくれる訳ではないのだ。

 こうなってしまってはもう止まらない。ココロモリやギャロップではインテレオンより先に動くことなどできず、彼の水技の餌食になるほかにない。僅かに先制を取れる可能性のあったフーディンでさえも、テレポートを習得しているかのような軽やかすぎる動きの「ふいうち」にしてやられた。
 最後に繰り出したガラルヤドキングを一度戻し、巨大化させたボールを腕に抱き、歯を食いしばって大きく投げ飛ばしながらセイボリーは少し愉快な心地になる。頼もしい姿になったヤドキングと視線を交えてから、フィールドへと向き直る。そして姿を変え、キョダイマックスしたインテレオンに感嘆の息を吐きつつ、少し拗ねるようにして睨み上げる。

 ねえインテレオン。ワタクシたち、共闘の誓いさえ結んだというのに、あなたは背筋の伸びるような誇らしい責務を託してくださったというのに、ワタクシはその責務をちゃんとやり遂げさえしたというのに、そんなワタクシのエレガントさんたちに対しても……ねえ、まったくもって容赦がないじゃありませんか!

「もう勝ったつもりでいるんじゃないでしょうね、ユウリ!」
「セイボリーさんこそ、早々と諦めたりしたら許しませんから!」

 覚えのあり過ぎる光景である。かつてのユウリともこのような、恥ずかしくなるくらいに一方的なバトルを何度もした。彼女の先鋒はインテレオンであったり、はたまたウーラオスや他のポケモンであったりしたが、ほとんどの場合、彼女の手持ちの一匹にさえ膝を付かせることが叶わず終わった。そのような形で何度徹底的に敗北してもセイボリーはユウリにバトルを申し込んだし、ユウリも決して手加減をしなかった。互いに一切の配慮を欠いた全力の真剣勝負を、嫌だと思ったことなど一度もなかった。
 それと全く同じ展開が今のフィールドで繰り広げられており、全く同じ心地がセイボリーの胸に広がっている。取り違えられた別の彼女であることを忘れそうになるくらい、彼女とインテレオンの息は合っている。まるで、永劫共に在ることを約束するように。世界さえ捻れても何度だって「相棒」になりゆくのだと証明するように。

 ああ、ならばやはりあなたもまたユウリだ。彼女と同じ魂を持つ人だ。インテレオンがそうであるように、ワタクシやかの女性もまた、このために『此処』にいるのだ。
 ワタクシたちは、あなたに会うためにこの世界を勝ち取り生まれてきたのだ!

 インテレオンは彼女の指示を受ける前に手元へと水弾を構えた。彼女の合図を待つだけといった状況で、ヤドキングと睨み合っている。タイミングの良さで彼に優位を取ることは最早不可能だろう。技と技の純粋なぶつかり合いで勝負するしかない。
 命じたのは最大級のエスパーパワーである「ダイサイコ」だったが、相手も此処まで来て出し惜しみなどしてくるはずもなく、とっておきの技である「キョダイソゲキ」の前にセイボリーの最後のポケモンは完敗を喫した。フィールドの向こうで彼女が目を細めるのと、インテレオンの水泡が轟音で発射されるのとがほぼ同時だった。チャンピオンバトルの名物、無言での完璧な指示である。彼等は最初から最後まで、世界の捻れさえお構いなしにこうして通じ合っていた。やはりこの二者が結んだ絆には……悔しいが、叶いそうにない。

「ああもう、またしてもワタクシのプライドが! サイコブレイクされてしまった!」

 大声でそう叫び、ボールをポロポロと落としながら土埃の立つ地面にがっくりと膝を折る。年上であり兄弟子でもあった彼の矜持などこれまで何度砕けたか知れないが、それでも敗北の悔しさに慣れることはなかった。諦めることもまた、在り得なかった。
 道場の皆による歓声と拍手を受けつつ、キョダイマックスの姿から戻ったインテレオンを労ったユウリは、すぐにフィールドを横断してセイボリーの方へと駆け寄ってきた。バトルの余韻たるギラギラとした不穏な目のままに「ありがとうございました」と手を伸ばしてくるので、ああそんなところまで変わらない、と懐かしみながら、思い切り笑って強く握り返してやった。痛いですって、と眉を下げる彼女に引っ張られる形で起き上がれば……その瞬間、セイボリーにも何となく分かってしまった。

 これが最初で最後の、取り違えられた寂しい彼女とのポケモンバトルだったのだと。彼女が「元に戻る」ための準備は、もうこれで完全に整ってしまったのだと。

「私が貴方と戦ったこと、インテレオンをお借りしたこと、どうかユウリには言わないでくださいね。焼きもちを焼かれてしまうかもしれないから」

 セイボリーの答えを聞く前に彼女はインテレオンにも視線を向けて「貴方も、ほら、約束よ」と笑い掛けた。勿論だとスマートに頷いてみせたインテレオンが、けれども少しだけ寂しそうに目を細めているのが分かる。そんな指摘を今此処でするのはまったくもってエレガントではないため、当然、腹の内に留めておくのみとなったのだけれど。

 パンパンとミセスおかみが手を叩き、本日の食事当番に召集を掛けた。今日の夕食はあの日と同じくカレーらしい。

2021.10.16

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