その日のレストランは、一人の少女の為に今日も貸し切りにされていた。
ラストオーダーの時間を過ぎても来店を許される人物。カロスを救った新しいチャンピオン。
ズミの守護天使であり、彼の信条を侮辱した許せない子供。
そんな数多の形容を纏った彼女が、今日は本当のお客様として此処にやって来る。
「ズミさん、来ましたよ!」
帰宅の準備をしていた同僚に呼ばれ、ズミは慌てて厨房を飛び出した。
閉店後のレストランでは、受付からオーダー、料理の給仕まで全て彼がこなすことになっている。
お客様を待たせてはいけないと駆け付けたズミは、しかし次の瞬間、言葉を失った。
「やあお嬢さん、今日は一段と可愛いね」
「本当に天使みたいじゃないか。ズミさんもきっとびっくりするぞ」
「えっと、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げている少女の長い髪は高い位置で束ねられ、藤の花を咲かせるように柔らかく渦を描きながら流されている。
鞄や靴は白で統一されている。花の形をしたピンク色のアクセサリーが白い帽子によく映える。
ワンピースから覗く手足は相変わらず病的なまでに細いが、ズミの方を見るその顔色は以前に比べてかなり良くなっている。
耳元には月をモチーフにしたピアスが付けられ、こんばんは、と少女が紡ぐと、それに合わせて微かに揺れた。
ズミはそれを見るや否や、いつかのように怒鳴りつけていた。
「この痴れ者が!!親から貰った身体に傷を付けるとは何事だ!」
少女に怯えの顔が走ったのは一瞬だった。
呆然とした長い沈黙の後に、堪えきれなくなって少女は肩を震わせた。
「ズミさん、これはマグネットピアスです」
「……」
「えっと、その、耳に穴を開けなくても着けられるピアスです」
……これは、言葉が出ない。
ズミはふいと顔を背けた。大きく咳払いをしながら、その合間に失礼しましたと早口で紡ぐ。
そんなピアスがあるなんて知らなかった。というか紛らわしい。
尚も肩を震わせて笑う少女に、同僚が力添えをした。
「まるでお父さんみたいですね」
少女が小さく「はい、同じくらい大切な人です」と返したことに、慌てていたズミは気付いていなかったが。
*
いつものテーブルに案内し、用意していた前菜を運んだ。
少女はいつも同じ時間にやって来る。その時間には数分の狂いもなかった。
彼女の几帳面な性格は、料理を最高の状態で出すことを信条とするズミにとっても喜ばしいことだった。
少女の食べるスピードはゆっくりだが、しかしその全てが残すことなく口へと運ばれて行く。
目に見えるその変化にズミは心から安堵していた。
サラダとスープを食べ終えた少女は、その皿を下げようとしたズミを呼び止めた。
「これ、前にプラターヌ博士が食べていたものと少し違いますね」
息を飲んだ。少女が初めて此処を訪れた時からもう数週間が経過していた。
あの時の料理を、それも少女が口にしていない料理を覚えてくれている。
その瞬間、懐かしい感慨がズミを支配した。それに身を任せるようにして笑ってみせた。
「それは新メニューです。貴方が食べられるものを、貴方の好きなものをと考えていたら、こんなものが派生してしまった」
「え……」
「これは貴方の為の料理です」
少女は驚きに目を見開き、やがて本当に嬉しそうに笑った。
「さあ、お味は如何ですか?」
何よりも雄弁なその笑顔に、聞くだけ野暮なことだと解っていながら、それでもズミは尋ねずにはいられなかったのだ。
*
「悔しかったんです」
最後のデザートを置いたズミに、少女はぽつりとそう呟いた。
ビターなココアパウダーを降らせたティラミスに、いつもの最上の笑顔を見せてくれるとばかり思っていたズミは、その計算違いに苦笑する。
「私にとってポケモン勝負は、自分の言い分を通す為の手段でした。
私のバトルはそんな、汚いものでした」
「ええ、知っています。しかしそれが貴方に出来る最大のことだった」
「……だから、綺麗なバトルをする貴方が羨ましかったんです」
少女との邂逅から長い時間が経っていたが、料理ではなくポケモンバトルの話題が出されたのは今日が初めてだった。
吐露される感情は生々しく、鋭さと荒さをもってズミの心を抉った。
「ごめんなさい」
少女が紡いだ謝罪は数え切れないが、この謝罪は特別なものだとズミは知っていた。
その言葉をもってズミを否定することも、拒絶することもしない。
ただ許して欲しいと訴えている。縋るような目で優しく紡いでいる。
自分だろうか。自分が彼女を変えられたのだろうか。
自分を信じてくれた少女を、自分は引っ張り上げることが叶ったのだろうか。再びその笑顔を日向に晒すことが出来たのだろうか。
「今はどうですか」
すると少女はぱちぱちと瞬きをし、小さな声でズミに申し出をした。
「もう一度、貴方とバトルをすれば解るかもしれない」
その言葉にズミは満足そうに微笑んだ。
「では明日、ポケモンリーグでお待ちしています」
それはいつかのように笑顔で交わされた再会の約束で、だからこんなにも愛おしいのだと二人は確信していた。
少女はティラミスに視線を落とし、ズミの望んでいた最上の笑顔を浮かべた。
2013.11.25
Thank you for reading their story !