三十の詩

8:Who wrote the fermata on the score ”?

 コトブキムラに隠れているアンノーンが他にもいるかもしれない。そんな推測を為した彼女はムラの外、始まりの浜にポケモン図鑑と調査メモを広げて解読に取り掛かった。
 彼女の元いた世界で普及していたという「アルファベット」と「ローマ字」の知識の駆使により、解読はあまりにもスラスラと進んだ。非常に悔しく忌々しい話だが、ウォロは隣で見ていることしかできなかったのだ。
 解読した暗号の中には「きょぼく、のぼる」など、場所の特定が難しそうなものも幾つか含まれていたが、出来上がった文章を二人で眺めた結果、コトブキムラには少なくともあと二匹、アンノーンが隠れていそうだということが分かった。
 灯台下暗し、そのうちの一匹は彼女が先程出てきた宿舎にいるとのことで、してやられたなと笑い合いながら二人、ミオ通りを抜けてギンガ団本部の隣にある長屋へと戻ることになった。

 途中、イチョウ商会の会長であるギンナンの視線を感じたので「どうも」と帽子を軽く上げて挨拶した。彼もまた、いつもの眠そうな顔で小さく「どうも」と返すだけで、もう既に知っているであろうウォロの行いについて言及することも、職務をほとんど果たしていない彼から商会服を取り上げることもしなかった。ギンナンが放任主義であったおかげでウォロは随分と自由に動けた。この実に都合の良い装甲はまだ当分手放せそうにない。
 さて、お目当てのアンノーンは宿舎の裏側、物干し竿に引っかかるようにして隠れていた。「?」の記号は現代にも馴染みのあるものだったが、その起源を辿るとどうやら古代文字の時代にまで遡るらしい。

「これはアルファベットじゃないですね。目も他の子と違ってちょっと……眠そうです」
「古代文字の構成要素ではないという意味で、瞳の形にも区別を付けているのかもしれませんね」

 ウォロの考察に、彼女は「面白いなあ」と表情を綻ばせる。昨日も感じたことだが、ウォロが長年、一人で探求を続けてきたものについて、肯定的な関心を向けられたり興味を持ってもらえたりするのは単純に嬉しいものである。それが、彼女の元いた世界に普及しているアルファベット、それらへの懐かしさから来るものであったとしても、同じものでこうして盛り上がれることへの喜ばしさには、替え難い。

「この子にはこの子だけの役割があることを分かっているんですね、きっと」
「ほう?」
「アンノーンたちって本当に不思議ですよね。一文字一文字はちゃんと意思と命を持ったポケモンなのに、彼等は自分たちが『集まることで初めて意味を成す』存在だってことを、生まれてくる時からちゃんと分かっているみたい」

 同じものに関心を持つ相手であっても、その口から出て来る考察の角度はウォロのそれとは随分ズレている。異なる考察、異なる意見を摂取できるのも共有の醍醐味には違いない。違いない……のだが、彼女のポケモンへの見方はウォロのそれと異なり過ぎていて、なかなか理解が追い付かないのもまた、事実だった。

「少し、理解の難しい節理ですね」

 降参するようにそう告げれば、彼女は「確かに」と同意しつつ、?のアンノーンを無事モンスターボールに収めてからウォロへと向き直った。

「貴方くらい強くて、一人でも大抵のことがどうにかなってしまうような人だと、そう感じてしまうのかもしれませんね」
「それは嫌味ですか? あの神殿跡……槍の柱でワタクシを完封したのが誰であったかお忘れで?」
「あはは、そういう強さとはちょっと違うんですけどね」

 ではどういう強さだというのかと尋ねてしまえばはっきりしたというのに、ウォロは口を開くことができなかった。一人では何もできないという自覚のあるこの少女に、一人で大抵のことを成し遂げてきたウォロが敗北を喫したという忌々しい事実は、そう何度も思い出したくないものであったし、何より彼女の語る「一人でないことの意義」によって、またひとつ、ウォロが大切にしていたものの価値が貶められてしまうような気がしたからだ。

 ウォロにとっての大事なもの。主にウォロ自身の矜持とか、信念とか、信心とか、そういうもの。今までずっと一人であったウォロを支え続けてくれた確かなものたち。失くしてしまっては生きていかれないとさえ思っていたものたち。
 そういうのがなくても、一人でさえなければ案外どうにかなるものですよ。貴方に連れてこられたこの世界で、何もできない私がどうにか生きていかれたのと同じように。
 などと、こちらを真っ直ぐに見上げてくるこの少女に説かれてしまった日には、屈辱と虚しさでどうにかなってしまうだろう。それだけは避けたかった。そこまで自らの奥を曝け出すつもりも、そこまで彼女の言葉を受け入れてやるつもりも、今のウォロには更々なかったのだ。まだそこまで潔くはなれない。まだそこまで、彼女のことを許せていない。

「貴方が……」

 聞こえていない振りをして、ウォロは次の場所へと歩を進めた。

「貴方がいつか、一人じゃなくなればいいのにな」

 勢いよく振り返り、そんなことアナタのせいでもうとっくに叶っている、となりふり構わず叫びたくなった己が心地にも、同様に気付かない振りをした。

2022.2.16
【誰が楽譜にフェルマータを書いたの?】

< Prev Next >

© 2024 雨袱紗