三十の詩

2:Fumbling ”M”inuet

 一匹だけ心当たりがある、と話し、ウォロは彼女と共に紅蓮の湿地へと向かった。沼地に潜って周囲へと睨みをきかせているグレッグルたちに見つからないよう、忍び足で通り抜ける。音を立てたりしないだろうな、と疑うように何度か振り返ったが、小柄な彼女は身を隠すのも気配を消すのも慣れたもののようで、その歩き方たるや、単独での冒険に慣れたウォロでも感心する程だった。
 神様の加護があるだけでは、生き延びられない。出会った頃はヒスイの広大な大地を前にオロオロとするばかりであったように見えたこの子が、今やベテランの調査隊員も一目置くような探索術を身に付けているのは、彼女自身の努力および才能の賜物である。

 自らの心酔するアルセウス、その加護が無駄に消費されている訳ではなかったと知り、ウォロは安堵したくなる。同時に、ワタクシならもっと上手くその加護を使えただろうに、とも感じてしまう。だが、彼女はきっと「加護を使っている」とは微塵も考えていないのだろう。自分が神様に愛されているという自覚さえないはずだ。
 彼女に見えているのは、ポケモンボールに収めた自らのポケモンだけ。彼女が信じているのもきっと、彼等と結んだ絆の力だけ。その絆にウォロは押し負けた。彼女は自らへの「加護」の自覚がないままにウォロと対峙し、勝ちを収めたのだ。
 ああほら、なんと忌々しいことだろう。

「あっ、いた!」

 湿地を抜けた先、川の近くに倒れた大きな木。その断面に張り付くようにして「M」のアンノーンがじっとこちらを見ていた。鳴きもせず動きもしないその姿を見たところで、やはり事前情報がなければポケモンであるとは思い至れないだろう。
 大昔には欠かせない存在であったはずの、古代文字。その象徴たる存在が今やヒスイ各地の隅へと追いやられているという事実に……何も感じない、と言えば嘘になる。そうした背景を知っている以上、ウォロはこのポケモンたちをどうしても、ただ穏やかな心地で見るということができない。

「やはり動かないようですね」
「ウォロさんは前から気付いていたんでしょう? バトルは、しなかったんですか?」
「ええ、ポケモンボールを投げても反応しなかったもので」
「じゃあ、そのまま空のボールを投げて捕まえてしまうしかないみたいですね」

 バトルよりも捕獲の方が慣れているのだろう、彼女は安心したようにへらっと笑いながら、取り出したモンスターボールをアンノーンに向かってそっと投げた。赤い軌道が一寸の狂いもなくアンノーンの瞳へと飛び、その勢いと正確さにウォロは思わず見惚れてしまう。
 アンノーンはボールに当たっても鳴き声ひとつ上げなかった。驚きに瞳を動かすようなこともしなかった。抵抗する素振りさえ見せず、あっという間にモンスターボールへと吸い込まれたのだ。それがアンノーンというポケモンの特異さ故だったのか、彼女の素晴らしい捕獲の腕前によるものであったのか、今のウォロにはまだ判別が付かない。

「こんな形の文字もあったんですね。色はみんな同じなら、黒くて瞳の大きなポケモンを探して回ればよさそう……かな?」
「ええ、そうなります。つかぬ事をお伺いしますが、今捕まえているアンノーンは何匹ですか?」
「今の子を入れて二匹ですね。最初の一匹は、博士と一緒に見つけた子を追いかけて、コンゴウ集落のあたりでようやく見つけたんです」
「二匹だけですか? 他に心当たりは?」

 困ったように眉を下げて笑った彼女の顔に「さっぱり!」と分かりやすく書かれていて、ウォロは大袈裟に溜め息を吐きたくなった。残り二十数匹との隠れ鬼を行うにあたり、先んじて彼女に古代文字の説明をしておくべきだろうかと考える。姿のはっきりしないものを闇雲に探すことほど不毛なものはない。全てを一気に覚えることはできずとも、一度でもいいから彼女の目に入れて「見たことがある形だ」と認識させておくべきだ。
 と、そのように考えを巡らせていたウォロの隣で、彼女は「そういえば」とポケモン図鑑を取り出した。

「初めてアンノーンと出会った日に、博士から調査メモを貰ったんです。暗号みたいでさっぱり意味が分からなかったので、あれから一度も開いていないんですけど、ウォロさんなら何か分かるかも」
「暗号? ちょっと見せてください」

 嫌な予感を抱きつつ、彼女からそのメモを受け取る。開いた瞬間、見覚えのある文字がウォロの目に飛び込んでくる。呆れと憤りに自らの頬がかっと赤く染まるのが分かった。いや、だってこれは、もう、なんてことだ。

「古代文字じゃねえか!!」
「え、これが!?」

 この調査メモをラベン博士は何処で見つけたのか、とか、何故もっと早くこのメモを取り出さなかったのか、とか、このあからさまな記号の羅列を見てピンと来なかったのか、とか、一気に押し寄せてきたツッコミどころに耐えきれず、既視感のある叫びを繰り出してしまった。

「ここ! ここにあるのがアナタの見つけたポケモンですよ!」
「……あっ本当だ、いた! それじゃあこれも、これも全部アンノーンの形ってことですか?」
「いやどう見てもそうでしょうが! 何故こんなことに気付かない!」

 新しい気付きを得て嬉しそうに笑う彼女とは裏腹に、ウォロの心中は複雑である。バトルの弱さや探索能力の低さなどで足を引っ張ってくれたならもっと容赦なく揶揄できたのだが、閃きの悪さに関しては上手い返しが思い付かずただ憤り呆れ返るばかりとなってしまった。
 この子供、才覚はあるが粗削りで、洞察力に長けているかと思えば肝心なところでひどく鈍い。出会った頃の彼女に感じた「危なっかしさ」は今でも別の形で健在しているようで、今後もきっとこのアンバランスな才覚に振り回されていくのだろうなと、そうした予感にウォロは眩暈を覚える。
 だが……彼女がこのメモのことを思い出してくれたおかげで随分と楽になった。

「つまり、このよく分からない輪っかみたいないろんな記号が、ズイの遺跡にも書かれている古代文字で、これがそのままアンノーンの姿になっている……」
「そういうことですね。これを解読できれば、アンノーンたちとの隠れ鬼も随分と楽になるはずですよ」
「解読……でも、何もヒントがありませんよ?」

 困ったようにこちらを見上げる少女、その視線を受けて、ウォロは商人然とした顔で微笑んだ。少し楽しい気分になれてしまっていることに気付き、はてと首を捻りたくなる。
 一人での探索ならもっとスムーズに事を運べただろう。だが同時に、こんな風に笑い掛ける機会が訪れることもなかったはずだ。だからどう、という訳でもないはずなのだけれど。

「ジブンにお任せあれ」


2022.2.15
【手探りの小歩舞曲】

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