三十の詩

24:Instrume”N"tal music by sand and waves

 戻りの洞窟からはウォーグルに乗って二人、外界をぐるりと回って砂の手の方へと向かった。上空から見ると、この地が「砂の手」と呼ばれる理由がはっきりと分かる。潮の満ち引きによって形や大きさを変える、歪な手の有様を、彼女はクスクスと笑いながら楽しそうに眺めていた。こんなもので楽しくなれてしまうなんて随分と手軽だ。あるいはこちらの世界ではそういう風に、些末なことにさえ楽しいと言い聞かせていなければやっていられなかったのか。
 浜辺で彼女はもう一度笛を吹き、イダイトウを呼んだ。砂の手の北側、海から牙を生やすようにしてそびえ立つ特徴的な形の岩場を指差し、あそこが怪しそうだと告げてウォロを手招きする。二人してイダイトウの背に乗り、ほんの少し海を渡れば「N」のアンノーンはすぐに見つかった。少し高い位置にいたため、フェザーボールの方が狙いやすいのではと思ったが、彼女は「これくらいなら問題ありません」と得意気に笑い、モンスターボールをたった一回投げるだけであっという間に捕獲を済ませてしまう。

「呆気なく終わりましたね。山麓や凍土での険しい道のりが嘘のようです」
「海も、本当は舐めてかかっちゃいけないんですけどね。今日は比較的穏やかな気候だったので助かりました」

 調査メモによると、次のアンノーンも此処からそう遠くない場所にあるという。イダイトウで近場の海まで渡ることもできるようだが、彼女はそうせず「砂の手」でその背中から下り、ウォロと共に目的地まで歩くことを選んだ。
 もうすっかり空は赤くなっており、西の山へと太陽が落ちようとしていた。眩しさに目を細めつつ、ウォロは後ろを振り返る。東の空は千切れ雲が僅かに漂う紫色の空をしていた。綺麗だ、とウォロが思うのと、綺麗ですね、と隣で彼女が呟くのとが同時だったので、噴き出すようにして笑ってしまった。何がおかしいんですか、と夕日の色を吸い込んだように頬を染めて抗議しながら、彼女もまた照れたように笑っていたのだった。

 草むらからこちらを警戒するように見つめるロコンたちに配慮する形で、二人は砂浜側を歩いた。赤いバリバリモの打ち上がる白い浜辺に、二人分の足跡が刻まれていく。靴のサイズこそ違ったものの、二人の歩幅は示し合わせたように揃っていた。彼女が努めて歩幅を大きくしているのではなく、ウォロの歩幅がこの旅の中で自然と小さくなったのだ。
 たった数日。されど数日。それだけの時間があれば、ウォロ一人であればもっと大きな歩幅でもっと遠く、もっと広くへ冒険ができた。もっと効率よく時を回せただろうし、もっと充実した調査をこの空間の中で為せたはずだ。だが一人であれば花畑の香りも、温泉の温もりも、鼻に雪玉をぶつけられる痛みも、氷上を滑る危なっかしさも、飛び込みの恐怖も、木陰でうたた寝をすることの心地良さも、きっと知らぬままであっただろう。「一人」であることを受け入れたがる彼女へと自ら手を伸べるその愚かしい勇気だって、きっと一生、手に入らないままであったに違いない。

「……」

 彼女は足を止めて振り返り、波で消えかけている遥か向こうの足跡を見遣った。眩しそうに目を細めてからウォロの方へと向き直り、予め用意していたかのような口調で、歌うように、祈るように、おそらくは彼女の本音と思しきところをそっと開いていく。

「きっと私、貴方がしたことをずっと忘れられない」
「でしょうね」
「貴方もきっと、私のことを最後まで許さない」
「その通りです」

 一切の懐疑や不満を挟むことなくウォロは丁寧に相槌を打った。彼女の言葉にただ同意することで、ウォロは謎の充足を得る。こんなものに喜んでしまうなんてどうかしている。そんな「どうかしている」我が身でありながら、迫害も排斥も受けることなく、彼は「一人ではない」状態で此処に在る。そんな事実さえ、いよいよどうかしている。

「ワタクシがアナタを永劫許さないのと同じように、アナタもワタクシをずっと嫌っていていい。お互いにもう、そういうものを許容してしまうことにしましょう。幸い、アナタもワタクシも人並み以上には利口ですから、そうした感情を抱えながらも、ほら、これまでだってこうして面白おかしく旅して来られたではありませんか」
「ええ、そうですね。本当にそう。この数日間、とても楽しかった。夢のようでした」
「それはどうも。ですがまだ終わりではありませんよ。まだアンノーンは三匹残っている」

 そしてきっと、文字を集め切ったその先でも同じようにできる。アナタが望むなら、これからもと願ってくれるなら、きっといつまでだってそうしてやれる。

「それでもこの世界に、ワタクシに、二人で在ることに、いよいよ嫌気が差したなら、どうぞ何処へでも好きに行ってしまえばいい。ワタクシは止めません」

 全てを捨て置いてでも帰りたいという彼女の意思は、ウォロがアルセウスに会いたいと望むその意思と同等に、取り上げられることのできない、否定されるべきではないものだ。ウォロの野望と彼女の郷愁にはほぼ同等の価値がある。ウォロはそう信じている。だからこそ、自らの矜持を守る意味でも、彼女のその意思をウォロはただ尊重していたかった。その結果、残されるものが「一人のウォロ」という、今の彼にはいっとう痛く残る罰でしかなかったとしても。

「ワタクシからは決して手を離してなどやらない。ですが手を離すアナタを責めることもない」

 そうとも、何処へでも行ってしまえばいいのだ。本来の夢と縁を取り戻すため、神の力さえ借りてしまえばいいのだ。ウォロとギラティナのせいで何もかもを取り上げられ、訳の分からないままこの世界に落とされ、ムラでの厳しい評判に苦しみながらも懸命に生きてきたのだから、その華奢な体で数多の不条理にたった一人で耐え抜いてきたのだから、最後くらいまっとうに報われてしまえばいい。
 彼女の不条理が、ウォロが狙った訳ではないにせよ他の誰でもない彼女にもたらされてしまった不条理が、そのような形で意味のあるものになれば、ウォロの心地も少し、ほんの少しは救われるような気がした。自らがかつて受けた不条理を彼女のそれに重ねて、あまつさえ喜んでみたくなりさえしたのだった。
 そうとも、それくらいはさせてほしい。だってウォロは近いうち、大きな罰を受けることになるのだから。「一人になる」という、以前の彼にとっては当然のことであったその現象を、己への罰だとして悲しみ抜く準備が既に出来ているのだから。

「ありがとう」

 ただひたすらに穏やかに、曇りのない笑顔でそう告げた彼女は、けれども手を離すのではなく逆にウォロの手を取った。振り払うべき理由もなかったので好きにさせておいた。気紛れを起こして強く握り返してみれば、ただそれだけのことを喜ぶように、彼女は声を上げて笑いながら更に強く握ってきた。

 そうとも、好きにすればいい。そしていつでも手を離して構わない。
 ワタクシからは決して、離してなどやらないけれど。

「ああそういえば、アナタ、砂浜で遊びたいとも言っていましたね」
「ふふ、そうでした! 砂山にトンネルを掘って潜ったり、砂の城を作ったりしてみたかったんです。でもそれ以上に素敵なお話ができたから、もういいかな」
「おや無欲ですね。砂の城というのはピンと来ていませんが、砂山くらいなら今からでも作れるのでは? 日が沈み切る前にあの辺で、どうです?」
「えっ、……や、やりましょう! 貴方から誘ってもらえるなんて思いもしませんでした。折角なので大きめのトンネルにしたいですね、貴方が潜れるくらいの!」

 ウォロの手を引いて、柔らかそうな砂があるところへと誘導し、彼女は両手の袖をまくってから豪快に砂を掻き集め始めた。砂山にトンネル、というからには取り敢えず砂を盛ればいいのだろうなと考え、ウォロもそれに倣って砂を素早く積み上げていく。白波を吸い込んだ砂を、山の強度を高めるために上へ上へと盛り込んでいけば、彼女の腰よりも高い山があっという間に出来上がってしまった。

「私はこっちからトンネルを掘りますから、ウォロさんは反対側から進めてくださいね」

 二、三回、山に穴を開けようと抉っただけで、爪の隙間に砂が食い込み非常に不快なことになってしまう。けれども同じように砂を食い込ませているはずの彼女が泣きごとひとつ言わず掘り進めているので、ウォロもそれに倣う形で集中して掘り進めることにした。
 何をしているのかと気になったらしく、草むらから遠巻きに見ていたロコンやペラップ、普段は攻撃的なムックルまでもが、興味を示して二人の周りへと集まり始めた。ペラップが飛び上がって山の頂上に下り立ち、ロコンは山の側面にぺたっと小さな足跡を二つ付ける。彼女は彼等を追い払うことなく、山を飾ってくれたことに対するお礼を告げながら、更に深く掘り進めていった。ウォロの方でもかなり深く掘ることができている。そろそろ合流できるかも、と彼女が呟くのと、ウォロの指先が彼女の、砂で汚れた手に触れるのとが同時だった。

「あ! 繋がった!」
「トンネル工事、無事完了しましたね。このまま中を広げてしまえばいいのですか?」
「そうですね、やりましょう! あと一息ですよ!」

 西の空が真っ赤に燃えている。太陽は既にその姿を四割ほど山へと沈めている。その光が弱まり始めるより先に、彼女が思い描いていた山とトンネルは無事に完成した。想像以上の重労働ではあったものの、鼻を折られかけたり氷上を滑らされたり飛び込みに寿命を縮めたりしたこれまでの「遊び」に比べれば、容易いものだったと言わざるを得なかった。
 ただ彼女が事前に口にしていた、砂山のトンネルに「潜って遊ぶ」という希望は叶わなかった。出来上がったトンネルへとロコンが二匹飛び込んで、彼女より先に砂山を占領してしまったからだ。砂山の側面に足跡のスタンプを押しただけのポケモンたちに、労働の対価を横取りされてしまったようでウォロは釈然としなかったのだが、彼女は特に気分を害した様子を見せず、笑いながら快くロコンに砂山を譲っていた。

「あ……えっ!?」
「何です?」
「ど、どうして君がこんなところにいるの? 今から迎えに行こうとしていたのに!」

 彼女の大声を受けて、ウォロは改めて砂山の上を見た。すると驚くべきことに、ペラップが足跡を付けていたその頂には、あのカラフルな姿ではなく、黒一色のアンノーンが鎮座しているではないか。

「ああびっくりした! 君の隠れ場所はあの廃船だったでしょう? そんなにこの砂山が気に入った?」

 群青の海岸に隠れた最後のアンノーン、Zの文字の本来の隠れ場所であったはずの廃船は、ウォロたちが砂遊びをしていた位置からすぐのところにあった。賑やかにはしゃいでいる様を見て、混ざりたくなったのかもしれない。隠れ鬼をしていることを忘れる程に、これまで微動だにしてこなかったアンノーンを動かす程に、先程までの二人は「楽しそう」だったのだろうか。そう考えてウォロは少しだけ恥ずかしくなる。
 そうした彼の心中など露知らず、彼女は取り出しかけたボールを再び鞄の中に仕舞い、「君を捕まえるのはもう少し遊んでからにしようかな」と、嬉しそうに笑いながらそう告げた。Zのアンノーンもまた、砂浜の頂に居座る許可を得られたことを喜ぶように、ピロピロと高く鳴いたのだった。

2022.2.21
【砂と波で奏でる器楽曲】

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