三十の詩

1:A humorous m”A”rch by two people

 壊れた神殿、槍の柱へと足を運んだ彼の未練がましさを嘲笑うかのように、無人の神殿には冷たく乾いた風がびゅうびゅうと吹き荒ぶばかりだった。全なる神のプレート、その最後の一枚をあの子供に渡してしまった以上、此処に立ち寄ったところでウォロが授かれるものは何もない。にもかかわらず彼の足は止まらなかった。彼の尽きない好奇心や探求心がそうさせたのか、神への執心やあの子供への嫉妬に引き寄せられたのかは分からないが、とにかく「此処」でなければいけない気がしたのだ。
 これまでの探求に見切りを付けるにせよ、志を折ることなく長い時をあの神に捧げる覚悟を結び直すにせよ、そのウォロの転換点となる舞台は此処であるべきだと思った。此処がよかった。何故ならこの神殿こそ、あの神に最も近い場所であるからだ。そう、あの神にこそ最も近い場所、だからこそ、此処に来たのであって。

「いないなぁ……」

 決して、神殿に出来た大きなひび割れからその底を覗き込む、見覚えのありすぎる子供と遭遇するために訪れた訳ではなかったのであって。

「!」

 何故こんなところに、という驚きと、何をしているんだ、という呆れと、できれば顔を合わせたくはないな、という後ろめたさと、折角なので腹いせでもしてやろうか、などという恨みと。自らの心から一気に溢れ出たそれらの処理にウォロは一瞬、戸惑う。その間に、彼女は大きなひび割れに突っ込んでいた顔をぐいと上げた。大きな目がそこにウォロを捉えたことにより更に大きく見開かれる。さて面倒なことになった、とウォロが思うのと、少女が高い声で「あ!」と叫ぶのとが同時だった。

「ウォロさん! ウォロさんじゃないですか!」

 野生ポケモンもかくやという勢いでがばりと起き上がり、物凄いスピードでウォロへと突進してくる。回避することは造作もなくできたはずだが、自らの後ろに長く続く石段が控えていることをふと思い出してしまう。コロコロと石段を転げ落ちる滑稽な姿を見下ろして溜飲を下げることも考えたが、大怪我をするリスクを考えると、この場から動かない方が賢明だろうと思い直し、ウォロは不本意ながら、……たいへん不本意ながら彼女を受け止めることを選んだ。
 華奢な体に似合わぬ高威力の突進に、ウォロは思わず呻いてしまう。ひどく嬉しそうな顔でこちらを見上げて笑う彼女に、取り敢えず憎まれ口を叩いてやることにした。

「お久しぶりです、ウォロさん!」
「ええ久しぶりですね。しかし会うなり随分なご挨拶じゃありませんか。これはワタクシにも反撃の権利があると考えてよろしいので?」
「反撃ですか? いいですよって言ってあげたいけど、私じゃ上手く貴方の突進を受け止められないかも」

 勿論、受け止めさせてやる気など毛頭ない。突き落としてやろうかという脅しのつもりだったのだが、どうやら彼女には効果がなかったらしい。この場所、槍の柱でぞっとする程に美しい彼女の泣き顔に目を奪われた日のことをウォロははっきりと覚えていて、あの一瞬をこの数日間、何度も何度も脳内で反芻し続けていて……それ故に今の、へらっと笑いながら冗談めかした声音でウォロに語り掛けてくるこの少女のことを、どうにも上手く処理できない。
 はて、ジブンはこの少女を嫌うべきだったのか? あるいは憎み、恨み、嫉妬に任せて酷い目に遭わせてやろうと考えるのが自然なのか? またはあの日をなかったことにするかのように、商売人然とした陽気な振る舞いに徹するべきだったか? それとも、彼女が階段から転がり落ちて大怪我を追う様まで見捨てて、今度こそ、彼女の目の届かないところへ消えてしまうべきだったのか?

「それにしても奇遇ですね、ウォロさん。会えてよかった」
「……」

 そうしてウォロが自らの心を、そこに宿すべき感情を決め兼ねている間にも、腕の中の彼女の言葉は止まることなく泉のように涌き出続けている。このまま彼女に喋らせ続けているとあまりよくないことが起こりそうだ。そんなウォロの予感、当たってほしくなかったそれは見事に的中し、彼女はこんなとんでもないことを持ちかけてきた。

「今、私とても困っているんです。力を貸してくれませんか?」
「アナタに? 何の義理で?」
「ポケモン図鑑ですよ、完成したところを貴方に見せたいんです。ウォロさんも、完成を楽しみにしてくれていたんでしょう? お願いします、あと一匹なんです」

 あと一匹。この広大なヒスイの大地を駆け巡り、伝説と呼ばれるポケモンたちにも愛され、残すところたった一匹にまで迫っているのか、この子供は。
 その事実に感嘆しそうになりながらも、咳払いで何とか飲み込んでウォロは努めて呆れ声を作る。

「たかが一匹に手こずっている? アナタ程の人が、今更?」
「うーん、一匹だったらまだよかったんですけど、どうやらそうじゃないみたいで」
「要領を得ませんね、見せてみなさい」

 ポケモン図鑑を取り上げて捲る。あからさまな空欄がウォロの目に飛び込んできた。古代文字「A」を模した姿の中央、大きな瞳が不気味にこちらを見つめている。アンノーンだ。シンオウの神話を研究する中で何度も目にしたことがある。
「種類としては一匹ですが、姿がいくつもあるみたいなんです。シマボシさんや博士曰く、この形には意味があるはずだからできれば全て確認したい、とのことで」
 一体何種類いるんでしょうね、と首を傾げる彼女にとって、この状況はおそらく「果てのないかくれんぼの鬼を任されている」ことと同義なのだろう。アンノーンは小さなポケモンで、攻撃的でもなければ逃げ癖もない。鳴き声を大きく上げることも特徴的な動きを見せることもない。ヒスイの大地に溶け込むようにしてただそこに在るばかりのポケモンを見つけていくことの難易度は……ウォロには容易に想像が付いた。つまり、溜め息を吐きたくなってしまう程に難しい、ということだ。

 古代文字に精通したワタクシに頼るなんて運の良い子供だ、と思う。この偶然の再会もまたアルセウスの加護によるものだろうか、などと考えて忌々しい気持ちにもなる。この子供を助ける義理は露程もないが、この高難易度のかくれんぼを終えて完成させたポケモン図鑑はさぞかし圧巻だろうな、とも考える。何よりこの少女、ウォロに突進してきた姿勢のまま、手を一向に放してくれない。

「この手伝い、完成したポケモン図鑑を見せてくれるだけでは割に合いませんよ。それ以外に何か、ワタクシに差し出せるものをアナタは持っているのですか?」
「今は……持っていませんね。それも含めて一緒に探しに行きませんか? 私が見つけたものの中で貴方が気に入ったものがあれば、そのまま貴方にあげますから」

 ほう、とウォロは思わずほくそ笑んでしまった。なかなかに魅力的な提案だ。どうせならたっぷり時間をかけて考えてやろうと思った。最も価値があり、最もウォロの溜飲が下がるものがいい。この子供と出会ってしまったことによる採算を、ウォロに最も利のある形で終えられるよう、最後の最後で調整できればそれでいい。そう、これまでだってそうやって来たじゃないか。そうとも、きっとできる。二度も同じようにやられはしない。
 さて何を取り上げるべきかと考えながら、ウォロは「悪くありませんね」と同意を示した。笑顔での快諾を受けて少女の顔にぱっと花が咲く。さて契約が成立したからには情報提供を惜しむべきではないだろうと、己の有能さを示す意味も込めて口を開く。

「アンノーンは古代文字を模していると言われています」
「あっ、この形、文字なんですか?」
「ええそうですよ。ワタクシが以前調べた限りでは二十六種、いやもう少しいましたか」
「そんなに!?」

 そんなことも知らずに、このヒスイを闇雲に走り回ろうとしていたのか、とウォロは呆れたくなる。同時に、そんな彼女に神の加護が渡っていることまで思い出されてしまい、ウォロの顔はまた曇る。ああ、アルセウスよ、一体何故ワタクシを選ばなかったのか。この子供はアナタが造った世界における、古代の言葉の意味さえ理解できていないというのに。アナタの想いも、祈りも、創造の意図も、この少女は一切解さぬままだというのに。

「では文字集めの旅と洒落込みましょうか。アナタの足を引っ張る結果とならなければいいのですがね」
「えっ? ……ふっ、あはは! よく言う、そんなことちっとも思ってない癖に!」

 肩を竦めて微笑みつつ嫌味を飛ばしたウォロへと返ってきたのはそんな容赦のない鋭い指摘で、思わず息を飲んでしまう。

「むしろ『ワタクシを煩わせたら承知しない』って顔に大きく書いてありますよ。鏡が必要ですか?」

『見ていて、ウォロさん!』
『私に二度と会わなくてもいいから、憎んだままでもいいから、これからもどうか、私を見ていて!』

「ハッ! 言うようになったじゃありませんか。気遣いは不要のようで何よりです。こちらとしてもやりやすくて助かりますよ」

 あの日、山を揺るがし天にさえ届いていたであろう彼女の宣誓を思い出しながら言い返す。ああ自分の憎悪も皮肉も嫌味も復讐心も、彼女には傷ひとつ付けられやしないのだなと改めて思い知りながら、いっそ清々しい心地になって、肩を落としてくたりと笑えてしまった。憎らしい爽やかさで得意気に笑う彼女は、あの日のように泣いてこそいないもののやはりあの日と同様に綺麗だった。
 さて、ヒスイに隠された古代文字、さっさと回収し終えてしまおう。覚悟を決めて、彼女の腕を引っ掴んで、石段をゆっくりと下り始める。痛い痛いと笑いながら喚く声が妙に心地良くてウォロも笑ってしまった。こんなに賑やかな日は随分と久しぶりのように感じる。おかしい、一人が二人になっただけだというのに。


2022.2.14
【二人による滑稽な行進曲】

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