※アクロマさんはアローラ地方に滞在中、「共鳴は海を渡る」の後日談
『お久しぶりです、アクロマさん。アローラ地方、楽しんでいらっしゃいますか?
ふふ、貴方の驚いた顔が目に浮かぶようです。シアちゃんからだと思ったでしょう?
大丈夫、きっともうすぐ彼女からもお手紙が来ますよ。貴方が彼女に宛てたラブレター、彼女は何度も何度も読み返しているそうです。
どうしようもなく嬉しいのだと、宝物だと、言っていました。あの時のシアちゃんの顔、貴方にも見せたかったなあ!
……もっとも、彼女はあの手紙がラブレターであることに気が付いていません。ただ純粋に、貴方から手紙を貰えたことを喜んでいました。
手紙の文面を見たわけではありませんが、おそらくシアちゃんは持ち前の鈍さで貴方を誤解したままなのでしょう。
けれど、貴方はそれでいいんですよね。シアちゃんが気付かずとも、貴方自身の想いが正しい形で届かずとも、いいんですよね。貴方は待っていられるんですよね。
私はそうした貴方のことを心から尊敬しています。
私も、待つのは好きです。けれどそれは、私の大切な人が来てくれると確信しているからです。
何処へ行ってしまうともしれない人を待つのはとても、とても苦しいことです。私は解っているつもりです。待つことの苦しさを、理解しているつもりです。
貴方にその「苦しいこと」をさせているのは「何」ですか?
貴方の「苦しいこと」に意味を与えているのは「誰」ですか?
貴方の誠意ですか?貴方の一途な想いですか?貴方の忍耐ですか?貴方の執着ですか?
あるいはもっと神聖な、神様を思わせるものですか?もしくはもっと下卑た、みっともないものですか?
貴方は今もシアちゃんのことが好きですか?愛していますか?かけがえがありませんか?シアちゃんでなければいけないのだと、言えますか?
……私、今もシアちゃんとはいいお友達の関係でいるんですよ。私だってシアちゃんのこと、大好きなんです。
でもやっぱり貴方だから、貴方でなければいけないから、貴方に手紙を書きました。貴方が遠く離れた場所からでも、変わらずあの子を想ってくれることを願って、書きました。
貴方と電話ができること、シアちゃんはとても楽しみにしていましたよ。シアちゃんも変わらず、貴方のことが大好きですよ。
ええ、そうです。貴方が変わっていないことも、シアちゃんが変わっていないことも、私、解っています。だから何も不安に思うことなんかないんです。今は。
お送りした小箱には、ブルーマロウという紅茶が入っています。私もつい先日、見つけたのですが、とても面白い色の変化をするんですよ。
レモンがあればもっと楽しくなると思います。でもストレートで飲んだ方が、貴方の好きな色のまま楽しめていいかもしれませんね。
1年ほど前から、貴方がローズマリーのハーブティーを好んで飲むようになったのだと、私はシアちゃんから聞いて、知っています。
そんな貴方の至福のひと時を邪魔するのも気が引けたのですが、でも1杯だけでもいいので、淹れてみてください。きっと、また飲みたくなると思いますよ。
それにしても、ふふ、ローズマリーだなんて!
とても上手に隠していますね。シアちゃんはまだ気が付いていませんでしたよ。
勿論、貴方があのハーブティーに集中力を高めたり、頭をすっきりさせたりする効果を期待していることを、否定するつもりはありません。それだってハーブの効能ですから。
でも本当の理由は別にあること、私はすぐに解ってしまいましたよ。
では、シアちゃんからのお手紙を楽しみに待っていてくださいね。
クリスより
P.S. アクロマさんはローズマリーの花を見たことがありますか?「海の雫」という別名に相応しく、とても小さくて可愛い、シアちゃんみたいな花なんですよ。』
「長電話ってどれくらいの長さまで許されるんでしょうか?」
身を乗り出して少女が尋ねます。切り揃えられたダークブラウンのセミロングがふわふわと波のように揺れます。
空色をした女性はそれを眩しそうに眺めながら、二人分の紅茶を淹れました。ローズマリーの強い香りが二人の鼻先をくすぐります。二人は目を見合わせ、肩を竦めて微笑みました。
この海の目をした少女にとって、紅茶が「特別な時に飲むもの」であることは彼女にもよく解っていたことです。
今日はその「特別な時」ではありません。にもかかわらず彼女は紅茶を淹れました。他でもない、この少女がそう願ったからでした。
この気丈な少女とて、一人で紅茶を飲みたくはなかったのでした。彼女だって、寂しかったのでした。
「声が聞きたいと言ってくれること、とても嬉しいんです。嬉しすぎるから、どうにも喋り過ぎてしまいそうで、少し怖くて」
「あら、喋り過ぎることが怖いの?お喋りだと呆れられたくないのかしら。それとも、長話に付き合わせてしまうことが心苦しいのかしら」
そんな少女のために、彼女は特別なお砂糖を用意していたのです。
机の端に置いていた小瓶を取り上げて、少女の方へと差し出しました。
カラメルの色をもっと薄くしたようなそれが、砂糖の色であることに気付くまで、少女にはしばらくの時間が必要だったようです。
長い沈黙の後で「え、これもしかして、砂糖ですか?」と、上擦った声音で尋ねれば、女性は「そうよ、綺麗でしょう?」ととても嬉しそうに微笑むのです。
「太陽の光を詰め込んでいるみたい。……こんなに綺麗なもの、紅茶に入れてしまうなんて少し勿体ないですね」
小瓶のコルクを引き抜こうとした彼女の手が、止まりました。
それはまさにこの女性の喉元に存在していた筈の言葉であり、彼女はまさにその瞬間、得意気に「太陽みたいでしょう?」と告げようとしていたからなのです。
彼女の聡明で誠実なお友達は、けれど彼女がそのようなことを口にせずとも、この金色の砂糖にちゃんと、重ねるべきものを重ねてくれました。
だからもう、彼女がその砂糖について言及しなければならないことなど、何も残されていなかったのでした。
「長くなったっていいじゃない。4時間でも5時間でもいいじゃない。
シアちゃんは話したいことが沢山あるんでしょう?彼もシアちゃんの声を聞きたくて、それで電話をしようとしているんでしょう?怖がることなんて何もないわ」
小瓶いっぱいに詰め込まれた太陽の砂糖を彼女は手の平に幾粒か転がし、夕日色をした紅茶の中にそれをコロコロと落としました。
小石のような6粒の太陽はふわふわと底へ沈み、ゆっくりと小さくなっていきました。食い入るようにその中を覗き込む少女は、息さえ止めているかのようでした。
綺麗でしょう、と解りきったことを告げて彼女は微笑みます。少女もようやく呼吸を思い出したかのように、ほっと息をついて大きく頷くのです。
女性はコルクで小瓶にしっかりと栓をして、口のくぼみのところに細いリボンを結びました。当然のようにそのリボンは、海の色をしているのでした。
「はい、シアちゃんにプレゼント」
いいんですか、と尋ねる前に彼女は笑って首を傾げました。だからいいのだ、と思うことにして、少女は両手を伸べてその小瓶を受け取りました。
ありがとうございます、と少女が上擦った声音でお礼の言葉を紡げば、彼女はいよいよ眩しそうに目を細めるのでした。
シアちゃんには金色が似合うなあ、と解りきったことをまた告げれば、今度は少女の方がとても嬉しそうに目を細め、頬を綻ばせます。
つまりはそういうことなのでした。この子にとって「金色が似合う」とは、そうした至福であったのでした。
「そのお砂糖がとっても似合う、素敵な色の紅茶があるんだよ。貴方の大切な人にプレゼントしたから、今度一緒に飲んでごらん」
「え?……でもその人は今、一緒に紅茶を飲めるような距離にいないんですよ」
「あらシアちゃん、貴方はポケモントレーナーでしょう?それとも「世界一速いクロバット」は、アローラには飛んでいけないのかな?」
からかうような口調を許すように少女はクスクスと肩を震わせます。「そうですね、そうでしたね」と歌うように紡ぎながら、細いティースプーンで紅茶をそっと掻き混ぜます。
空色の女性もティースプーンを手に取り、ぽちゃんと紅茶の中に落としました。
カチャカチャと音を立てて紅茶を掻き混ぜるその無作法な姿は、けれどどうにも綺麗に見えて、少女はその真似をしてみたいと思ってしまったのでした。
『こんにちは、アクロマさん。お手紙と写真、ありがとうございます!
嬉しくて何度も、何度も読みました。同封してくださっていた写真は、机の上に飾っています。アローラの海はとても綺麗ですね。私も行ってみたくなりました。
貴方と過ごした全ての時間を、私だけではなく貴方も覚えていてくださったことは、私の、かけがえのない喜びになりました。
私と貴方は似ているのだと、だから私が想っているのと同じことを、貴方も想っているのだと、4年前に貴方がくれたあの言葉は、けれど今も、褪せていません。
けれど、同じことを考えていなくとも、それが貴方のことであるというだけで、最近はひどく嬉しいです。上手く言葉にできないけれど、私も、そうした気持ちです。
声を聞きたいと言ってくださりありがとうございます。
同じでなくてもいいと言った矢先に、掌を返すような文章になってしまうのですが、私も、貴方の声が聞きたいです。貴方もそう思ってくださっていることが何より嬉しいです。
貴方と話すべき重要なことは特にない筈なのに、重要でないことでも貴方に話したくて、喋りたいことが沢山あって、止まりそうにありません。
ただ、昼間はプラズマフリゲートやジョインアベニューを走り回っていると思うので、折角掛けてくださっても、ほんの少ししか話ができないと思います。
夜の9時以降なら、特に用事もないので大丈夫です。待っています。
声が枯れるまで、貴方と話をしたいです。
シアより
P.S. 紅茶は特別なときにだけ飲むつもりだったのに、一人で紅茶を飲むことがどうにも悲しく思えてしまったので、ついクリスさんと一緒に飲んでしまいました。
でもこれからは一人でも、特別でないときでも、紅茶を飲もうと思います。プルースト現象によって紅茶の香りから貴方をはっきりと思い出せたからです。嬉しかったからです。』
2017.3.14
(クピド:愛の神様、英語で「キューピット」)
皐月さん、ミヅキとシアの美しいイラスト、そして素敵な紅茶とお砂糖のご紹介、本当にありがとうございました!