とある冬の一幕

※バレンタイン企画
シアと、少し状態の回復してきたシェリーが、それぞれの大切な人にお菓子を作る話。

シアにはつい最近まで、料理の経験が殆どなかったらしい。
彼女からその話を聞いた時に、私は即座に「嘘よ」と切り返した。

「だって私、食パンをトースターで何分焼けば綺麗な焦げ目が付くのか、知らなかったのよ?」

「……本当に?」

「だから一度、10分焼いたことがあったの。真っ黒になっちゃって、それから怖くてトースターは触らないようにしていたような気がするなあ」

そんな過去の出来事を、私はとてもではないが信じられない。何故ならチョコレートを湯せんにかけるその動作はとても手馴れていたからだ。
初心者である私よりも数倍手際よく、材料を合わせ、調理器具を用意し、ガスの火を調節する。
そもそも私はガスの使い方なんて知らない。オール電化である我が家では、ボタンを押せば火力の調節ができた。こんな風に、火の大きさを見ながら調節することなどなかった。

「どうして湯せんにかけるのかしら。電子レンジで溶かす方が早いような気がするのに」

「うーん、どうだろう。バターなんかはラップをして、電子レンジにかけることもあるよね。
でも、それこそ時間の調節が難しいから、溶けていく様子を確認できる湯せんの方が、結果的に効率はいいんじゃないかな」

そんな初心者のお粗末な質問にも、シアは流暢に返してくれる。
私は正直、「湯せん」という言葉を知らなかった。てっきりチョコレートをお湯で茹でることかと思っていたのだ。
お湯の上に浮かせたボウルは、しっかり掴んでいないと安定しない。抑える左手に力を込めながら、シアは右手のゴムベラで割った板チョコをかき混ぜている。
徐々に溶けて、滑らかになっていく様子を見るのはとても楽しかった。

彼女と私が作っているのは、トリュフとクッキーだ。
アイスボックスクッキーという名のクッキーは、所謂「型抜き」をする必要がないらしい。
筒状に纏めた生地を、一つずつ、包丁で3mmの暑さにスライスしたものを焼けばいいだけなのだとか。
スライスする生地は、渦巻き模様だったり市松模様だったりするらしい。

「渦巻きの模様なんて、どうやって作るの?」

「意外と簡単だよ?ココア生地とプレーンの生地を薄く延ばして、それを重ねて巻き寿司みたいに巻いていけばいいの。
市松模様は、ココア生地とプレーンの生地を四角い筒状にして、それを縦に4等分して、組み合わせるだけ。
ただ、そのままだと上手くくっ付いてくれないから、生の卵白を接着剤代わりにしてくっつけておくといいみたい」

明らかに今まで作ったことがある人の発言だ。
彼女は料理の経験がこれまで皆無だったということらしいが、一度、クッキーやチョコレート菓子を作ったことがあるのだろうか?
湯せんで溶かしたチョコレートに、生クリームを混ぜ合わせている彼女の横顔を見ながら、私は推測する。
きっと彼等だ。料理の経験がない彼女が、懸命に努力して慣れないお菓子作りをして、それを渡したかった相手と言えば、もう、思い当たる人物は二人しかいない。

「アクロマさん?それとも、ゲーチスさん?」

「最初はアクロマさんだったの。でもゲーチスさんに渡したら、喜んでくれたから、今は二人に渡しているよ。
ゲーチスさんは和菓子しか食べないと思っていたけれど、クッキーも食べてくれるんだよ」

そう言って笑う彼女は私と同い年である筈なのに、私よりもずっと純粋だ。彼女の隣に立つと、嫌でも私の汚れている部分を認識させられてしまう。
彼女はイッシュとカロス、2つの地方を旅して、私よりもずっと広い世界を見てきた筈だ。
その世界の中には汚れたものも含まれていた筈なのに、その青い綺麗な目から光が失われることはない。

バレンタインにお菓子を渡すということが、どういうことなのかを知らない程に彼女は無知な訳ではない筈だ。
けれど彼女はその相手として二人の名前を出し、「大切な人」だとしながらも、彼等に渡すお菓子には特別な感情など何も込められていないかのように笑っているのだ。
シアは「大切な存在」を両手いっぱいに抱えたいと望む欲張りな子なのだ。
彼女は、私とは違う。私は、彼女のようにはなれない。私は欲張ることができなかった。

「アクロマさんは、私に紅茶を入れてくれるの」

「アクロマさんが?」

「そう。……色んな香りがあって、とても美味しくて。ずっとご馳走になってばかりだから、お茶菓子くらいは私が作って持っていきたいな、と思って」

ああ、それでこのクッキーには、紅茶の茶葉が入っているんだ。
生地を混ぜている段階で香る、独特の不思議な芳香に私は気付いていた。ダージリンという種類の茶葉なのだと、シアは教えてくれた。

しかし私は、気付いていなかった。確かに彼女は、アクロマさんとゲーチスさんに以前からクッキーを渡していた。
そのきっかけも、アクロマさんに紅茶をご馳走してもらっているお礼だという点についても、嘘は入っていない。
けれど、彼女はそれ以前から料理をしていたのだ。他でもない私の為に、この家で、まともな食事を私に作るために、大量の料理本を買い込んで、料理の勉強をしていたのだ。
料理の経験が皆無であった彼女が、料理を始めたきっかけは、アクロマさんがご馳走してくれる紅茶ではなく、私にあったのだ。私のために始めた料理だったのだ。
それを私が知るのは、ずっと後のことだったのだけれど。嘘を重ねることを厭わない彼女がまた一つ、私にやわらかな嘘をついたのだと、この時の私が知ることはなかったのだけれど。

「ねえシェリー、フラダリさんは甘いものが好きなの?」

シアは唐突に彼の名前を紡いだ。
私はクッキーの生地を捏ねながら、小さく笑って「知らない」と答える。

「私はあの人のことを何も知らないもの」

「そんなことないよ。少なくとも、シェリー以上にフラダリさんを知っている人間なんて、いないんじゃないかな」

「どうしてそう思うの?」

彼女は私が捏ねたクッキーの生地を伸ばして、巻き寿司のように丸めて渦巻き模様を作り、包丁で3mmの厚さにスライスし始めた。
私は冷蔵庫からチョコレートと生クリームを混ぜていたボウルを取り出し、程よい柔らかさになったことを確認して、スプーンで救い、手で一つずつ丸めていく。
シアがすかさず、平らなお皿にココアパウダーを敷いてくれたので、丸めたトリュフをその上でコロコロと転がした。

「だってシェリーはフラダリさんのことが好きで、フラダリさんもシェリーのことが好きなのよ?」

クッキーを切りながら、シアはそんなことを言った。

「だから少なくともフラダリさんは、シェリーには自分を知っていてほしいって、思っている筈でしょう?」

「あ……」

シェリーだってそうよね?だから、お互いがお互いを知らない筈がないわ」

彼女の不思議な持論は、ストンと私の胸に心地よい音を立てて落ちていった。
そっか。そっかあ。そんな呟きを繰り返して、微笑む。彼女の言葉には、私を安心させてくれる力があるのだ。

その言葉に心を奪われていた私は、またしても気付けていなかった。
こうやって一緒に料理をする時にも、彼女は私に、安全なところだけをさせているということ。
捏ねたり、丸めたり、そうしたところだけを私に任せて、ガスを使ったり、刃物で生地を切ったりという過程は全てシア自身が行っている。
そうした配慮に、この時の私が気付くことはなかったのだけれど。気付いていれば、もっと違う言葉をかけられた筈なのだけれど。

つまるところ、私は好きな相手どころか、大切な親友のことも何一つ理解できない愚かな人間だったのだ。
けれどそれを、彼女は笑って許してくれる。

「あとはこのクッキーを、180℃に予熱したオーブンで15分、焼くだけ。……出来上がるのが楽しみだね」

本当に楽しそうな笑顔を浮かべる彼女に、私は自分が丸めたトリュフを小さな箱に入れてプレゼントしようと決めた。
同じことをシアも考えていたのだと、私が気付くまで、そう時間は掛からなかったのだけれど。
一緒に作ったトリュフとクッキーをプレゼントし合うことの滑稽さに気付いて、私とシアがおかしさに笑い出すのは、そう遠くない未来の出来事だったのだけれど。


2015.2.14
こんな風に回復できる日が来ますがそのためにはもう少し話数を重ねなければならない……。
少なくとも、第4章までにこんな正常な状態の彼女はあり得ないですね。

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