※曲と短編企画2、参考BGM「敗北の少年」
サイコロ終了後
リンク作品「青の共有」
彼女はペンと剣をもってして、確かにヒーローになりたいと思っていたのだ。
「こんにちは、シアちゃん」
ジョウト地方、ヨシノシティにある小さな喫茶店に、一人の女性が足を運んでいた。今日は彼女の「友達」と待ち合わせをしていたのだ。
約束の時間2分前に、その友達は一人の男性を連れて姿を現す。眼鏡の奥に金色の目を宿した男性は、女性に軽く会釈をして微笑んだ。
「アクロマさんもお久し振りです」
「ええ、その節はお世話になりました、クリス」
クリスと呼ばれた水色の髪の女性は、ふわふわとした笑顔を湛えて「懐かしいですね」と肩を竦めた。
この二人はイッシュ地方という、ジョウトからは遠く離れた土地に住んでいる。
クリスと二人は不思議な縁によって出会った。弁護士であるクリスは、この小さな少女のために、おそらくは人生で2番目に大きな仕事を行うこととなった。
あんなに心臓がドキドキしたのは、あの人の弁護をした時以来だ。クリスはそんなことを思い出す。
自分が持っていたペンと剣が、いかに軟弱で貧相なものであるかを思い知ったあの日。
自分が夢中で求めてきたものは、大きすぎる世論や正義の前では何の意味もなさないことに気付いたあの日。
まだ少女と呼べる年齢だったクリスは、ただひたすらに悔しくて泣き続けた。自分の思いは、この広すぎる世界には響かない。そのことがどうしようもなく悲しかった。
その日以来、少女はペンと剣を力の限りに行使することを止めた。それが敗北者に、ヒーローになれなかった者に相応しい振る舞いだと思っていた。
けれど彼女はこの二人との出会いを境に、敗北者であることを止めた。
この小さな女の子が抗った大きすぎる理に、クリスは全面的に協力した。
自分がかつて諦めてしまったことを、この子となら成し遂げられる気がしたのだ。彼女の海のような目にはそうした力と引力があった。
そうして、彼女達は確かに世界を変えたのだ。
それはこの広すぎる世界からすれば、本当に小さな一歩であったかもしれないけれど。
それでも尊い輝きがあることを、今回の出来事に関わった全ての人間が知っているのだけれど。
大きすぎる理に屈した人間でも、帰られるものが確かにあるのだと、クリスはこの少女に教わったのだ。
「中でお話をしましょうか。シアちゃんの分は私が払うから、好きなものを頼んでね」
「おや、わたしだけ仲間外れですか?」
「あら、それじゃあアクロマさんが3人分、払ってくださる?」
「……致し方ありませんね。今日だけですよ」
その言葉を引き出したクリスは、とても楽しそうに微笑んだ。
この少しお茶目なところのある男性との会話は、とてもテンポが良くて、心地良かった。
シアちゃんが彼を慕うのも解る気がするなあ。そんな風に思いながら、クリスは喫茶店のドアに手を掛ける。
そして二人には気付かれないように小さく微笑む。ああ、そんなことを思っていたら彼に焼かれてしまう。
自分と同じ色の目と髪をした男性のことを思う時、クリスは言い表すことも困難なほどの幸福感に襲われるのだ。
「シアちゃんは今日も紅茶を飲まないの?」
席に着き、メニューを開いて少女の方に向けながら、クリスは軽い気持ちでそんなことを尋ねてみる。
シアと呼ばれた少女はその言葉に、やはりとても嬉しそうに頷いてみせるのだ。
「はい、紅茶は特別な時に飲むと決めているので」
『紅茶は、特別な時に飲むんです。』
クリスと少女がこの喫茶店で初めて出会ったあの日も、彼女はそんなことを言っていた。
そう紡いだ瞬間の表情が、これ以上ない程に幸せそうだったことをクリスは忘れていない。
この少女にとって、紅茶とはとても神聖で、それでいて幸せな響きを持つのだ。クリスにとっての、焼き芋のように。
相変わらず素敵な笑顔でそう紡いだ少女に、クリスは「そっかあ」と小さく相槌を打つ。そして気付いた。
「……」
少女の隣にいる男性が、固まっている。
固まっているだけならまだしも、その金色の瞳には驚きと当惑、そして紛れもない歓喜が潜んでいる。
クリスはああ、と確信した。確信して、そして少しだけ意地悪をしたくなってしまった。
「それじゃあ、アクロマさんは紅茶にしますか?」
「え、いや、……私はコーヒーを頂きます」
「ふふ、もしかしてアクロマさんも、紅茶は特別な時にしか飲まないんですか?」
その言葉に彼は困ったように笑った。
やはり彼は20代半ばの大人だけあって、思春期の男の子のようにあからさまな動揺を見せるようなことはしない。
あくまでも礼儀正しい紳士として、ポーカーフェイスを保っている。
けれどその彼の顔が僅かに赤らんでいることに、洞察力の高いクリスは気付いている。
「……ええ、そうですよ。わたし達は特別な時に紅茶を飲むと決めているんです」
しかし驚くべきことに、彼はクリスの言葉に臆することなく、寧ろ楽しそうに肯定の言葉を紡いでみせたのだ。
ああ、とクリスは心の中で感嘆する。この二人は自分とあの人のように恋人ではないけれど、もしかしたらそれよりもずっと大きなもので結ばれているのだと。
絆は時として愛を超えるのだと。愛は時として絆に溶けるのだと。
「例えば、二人きりの時とか?」
そう告げれば、今度は少女が少しだけ慌てた。
「カプチーノにします。クリスさんはどうしますか?」
思わぬところから飛んできた助け舟に、彼は安心したように微笑んで少女の頭をそっと撫でる。
ああ、困ったなあ。とクリスは思う。此処にあの人がいてくれたらなあ。そうすれば、私も彼等に負けないくらい幸せな笑顔を浮かべることができるのに。
そう思ったクリスは、しかし彼のことを考えるだけで、二人に負けない程の笑顔を湛えていることに気付いていないのだろう。
「ところでクリスさん、今日はどういった用件でわたし達を?」
「あれ、お友達に会うのに理由が必要なんですか?」
「……その「お友達」の中には、もしかしてわたしも入っているのですか?」
「シアちゃんが嫌じゃなければ、是非ともそうなりたいですね」
その言葉に、クリスと彼は少女の方へと顔を向ける。しかし少女は寧ろ困ったように眉を下げて、首を大きく捻ってみせるのだ。
「え、ど、どうして私にそんなことを聞くんですか?」
その言葉に二人は思わず吹き出した。声をあげて笑いながら、そうだ、この少女はまだ14歳なのだと思い至る。
自分がクリスに対して嫉妬を抱く意味を、理由を、この少女は一片たりとも理解できていない。そもそも、嫉妬などという感情を知らないかのように見える。
彼女は聡明で博識だけれど、きっと愛を認識するにはまだ幼すぎたのだ。
愛は時として絆に溶けるけれど、愛に成り代わることはこの上なく難しい。
この男性はそれを解った上で、それでも少女を限りなく大切に思っているのだ。その大きすぎる愛にクリスは目を細めた。
眩しい。この二人は、あまりにも眩しすぎる。
「クリスさんは紅茶を飲まないんですか?」
そして少女がそんな風に尋ねるものだから、クリスは肩を竦めて最後の意地悪をしてみることにした。
「ええ、私は遠慮するわ。だって二人の思い出の飲み物でしょう?」
その言葉に少女は顔を真っ赤にして否定するどころか、寧ろ淡く色付いた頬でとても嬉しそうに微笑むのだ。
そしてその表情を見て、彼はあからさまに狼狽する。
敵わないなあとクリスは思った。この二人の顔色を変えられるのは、どう足掻いてもこの二人の他に在り得ないのだ。
クスクスと笑いながらウエイターを呼び止める、クリスのその左手には、二人にはない輝きがあったのだけれど。
彼女だって、敗北者と言うにはおこがましい程の幸せを手にしていたのだけれど。
2015.3.18
皐月さん、素敵な曲のご紹介、ありがとうございます!