透明で織るシュピッツェ

※雨企画
モノクロステップとアピアチェーレの間にあった話

私には、自慢の友達がいる。
私よりも二つ年上の彼女は、しかし年下である私を格下に見ることもなく、親しく接してくれるのだ。
名前は、トウコちゃん。シンオウリーグのチャンピオンに勝ったらしいけれど、彼女はイッシュの出身だ。

『私はイッシュが嫌いだから、あの土地のリーグになんて絶対に行かないわ。』

そんなことをさらりと言ってのけてしまう、ちょっと粗暴で尖ったところのある私の友達は、けれどとても繊細で、女の子らしい心を持った素敵な子だ。

彼女はポケモンバトルが驚く程に得意だ。私やシルバーも何度かバトルをしたことがあるけれど、一度も勝てたことがない。
ゼクロムという、大きな黒いドラゴンポケモンを連れている。イッシュの神話に登場するらしいそのポケモンは、Nさんのレシラムと対になっている。
ジョウト地方でいうところの、ホウオウとルギアのような存在なのかもしれない。

そのポケモンを初めとした、彼女の連れているポケモンの強さは驚くべきものがある。
彼女のバトルセンスは天性のものなのだろうけれど、ポケモン達も彼女の的確な指示に応えられるだけの実力を個々に持ち合わせているのだ。
特に彼女のサザンドラには、私は全く手が出せない。エースであるチコリータが呆気なく一撃で倒れてしまった時のショックたるや、思い出すだけで少し、泣きたくなる程だ。
けれど彼女はそうした強さを鼻にかけない。というよりも、バトルが強いことを全く喜んでいないのだ。
いつだって彼女の感想は「楽しかったよ」というもので、ポケモン達を労う言葉をかけこそすれ、勝利を喜ぶ声をあげたことは一度もなかった。

『私は静かに暮らしたいの。ポケモン達が強くなってくれることは嬉しいけれど、私はこうして知り合いとだけポケモンバトルを楽しんでいたい。
だって、力を外に見せたって、いいことなんか一つもないのよ。』

ジョウトから遠く離れたイッシュという土地で起きた出来事を、私はNさんや彼女から聞いて知っていた、
ポケモンを解放しようと呼びかけるプラズマ団、その頂点に立つ、レシラムを従えたNさん。
彼に対抗するために、イッシュの大人は対となるゼクロムを探し、そのポケモンが眠る石をトウコちゃんに託した。
彼女はその、自らが力を持たないが故に全てを自分に押し付けた大人達の行動が、どうしても許せなかったらしい。

『だってあいつらは何もしなかったの。自分ならできるかもしれないって、試すこともしなかったのよ。
……もし私があの時ゼクロムを受け取らなければ、イッシュはどうなっていたのかしらね?』

そんな、少し不謹慎とも取れる発言の裏に、私は彼女の、イッシュに住む大人に対する怒りを見る。
その怒りはそのまま、彼女の芯を構築する土台となった。あのような下らない大人になって堪るかというその気概は、彼女に「頼ること」を禁じていた。
彼女は人を頼らない。諦めることも、驚く程に早い。それは彼女の美徳であると当時に、彼女自身の首を絞める真綿となった。

人を頼らないということは即ち、誰かに自分の無力さを開示しないということに繋がる。
私は無力だから、貴方の助けが必要なのだと、彼女は絶対に口にしない。それはプライドの高さからくるものだと思っていたけれど、どうもそれだけではないらしい。
彼女は頼ることを嫌っているのだ。あのような大人にだけはなるまいと誓っているのだ。

そんな、少しアンバランスな強さを持つ女の子は、けれど私の自慢の親友なのだ。

彼女はたまに、Nさんを連れて、ジョウト地方の私の家に遊びに来てくれる。
シルバーはNさんと仲が良い。5つも年が離れているとは思えない程に彼等は打ち解けていた。
そんなNさんを、トウコちゃんはとても嬉しそうに眺めている。彼が楽しそうだと、トウコちゃんも嬉しくなるのだろう。
その気持ちは理解できる気がした。私も、シルバーの笑顔を見ると幸せな気持ちになったからだ。

沸騰の音を立て始めたやかんに、「ボクが取って来るよ」とNさんが椅子から立ち上がった。
シルバーの制止は少しだけ遅かったようで、金属の部分に躊躇なく触れたNさんは小さな悲鳴を上げて飛び退く。
慌てて水を出し、火傷した部位を冷やす。驚きと痛みでNさんは涙目になっていた。

「あーあ、泣いちゃった」

そんな彼を寧ろ楽しむかのように見ていたトウコちゃんは、その大人びたアルトの声を震わせて笑い始めた。
Nさんは極度の世間知らずだ。家事の全般に疎く、電気製品や調理の仕組みは全く解っていない。
故に熱くなったやかんの金属部分に触れ、驚きに飛び退いたりする。「あんなのは日常茶飯事よ」とトウコちゃんは特に驚く様子を見せない。

「……そういえば、トウコちゃんは泣かないね」

目に涙を浮かべるNさんを見て、ふと思いついたことをそのまま口にしてみる。
彼女は少しだけ驚いたようにその青い目を見開き、しかし直ぐに大声で笑い始めた。

「あはは、おかしなことを聞くのね。コトネとの時間は最高に楽しいのに、どうしてそんな友達の前で泣かないといけないの?」

「ご、ごめんね。でもNさんが「トウコは泣き虫だ」って言っていたから」

そう、Nさんは幾度となく、「トウコは泣き虫なんだ」と言って笑っていた。にもかかわらず、彼女は私やシルバーの前で一度も泣いたことがなかった。
そのことに少し疑問を持っていたけれど、敢えて尋ねる必要も感じなかった。けれどそうした機会が与えられた今、確認してみるのも悪くないような気がしたのだ。
私の言葉に、トウコちゃんの顔色が変わった。そして目の色を冷たくして、火傷の傷を水で冷やしているNさんを睨みつけた。
「ああ、また余計なことを言ったのね」と、その冷たい色をした目は雄弁に語っていた。
彼女は大きく溜め息を吐いて私に向き直り、不思議な言葉を紡いでみせた。

「私は、涙は透明な血だと思っているの」

私は思わずNさんを見遣った。彼の目元は涙で揺れている。
あれは、透明な血なのだろうか。仮にそうだとして、それはトウコちゃんにとって何を意味しているのだろうか。

「血は傷口から流れるものでしょう?涙を流すってことは、「今の私は心に傷を負った」っていうことの表れなのよ」

「……」

「だから私は泣かないようにしているの。誰彼構わずに弱みを見せるべきじゃないと思っているから。私の傷口を、私が弱いことを、知られたくないから」

涙に関する彼女の独得な考察よりも、彼女の確固たる決意よりも、彼女が自身のことを「弱い」と称したことに私は驚き、沈黙した。
彼女が、弱い筈がない。私は彼女にバトルで一度も勝てたことがないし、彼女はいつだって堂々としていて、どんな相手にも屈さない。
傷口を見せないという決意だって、彼女の強さの表れであるように私は思えた。
けれど彼女は自身のそれを指して「弱い」という。弱いことを知られたくないから泣かないのだと、不思議な言葉を紡いでみせる。

泣くこと自体が弱いことではない。涙を流すことで、「透明な血」を相手に見せることで、自分の傷口を、自分の弱さを相手に知らしめることとなってしまう。
それを彼女は恐れているのだ。だから彼女は泣かないのだ。

トウコは泣き虫なんだ。』

そんな彼女が、Nさんの前では「透明な血」を流す。自らの傷口を、自分の弱さを見せても尚、Nさんは彼女を慕っている。
その確信があったからこそ、彼女は彼に自分の弱さを見せたのかもしれない。
そうした結論に達した私は、目の前で笑うトウコちゃんとの間に薄くて透明な、けれどもとても頑丈な壁が立ち塞がっていることに気付く。気付いて、少しだけ寂しくなる。
私はまだ彼女にとって、彼女の「透明な血」を、彼女の弱さを知ることが許されない人間なのだ。彼女の涙を見たことがないとはそういうことだった。
けれど私は絶望しなかった。その薄くて分厚い透明な壁にひびを入れる方法を、彼女に届かせるべき言葉を、私は持っていたからだ。

「だって私がみっともなく泣いたら、あんたは私を嫌いになっちゃうかもしれないでしょう?」

「嫌いになんかならないよ」

私は穏やかに笑って即座に紡いだ。トウコちゃんは驚いたように目を丸くした。
そう、彼女が私に涙を見せないのは、彼女が私を嫌っているからでは決してない。寧ろ私に嫌われることを恐れているからこそ、彼女は私の前で透明な血を流さないのだ。
でもね、トウコちゃん。それは少し、違うんだよ。

トウコちゃんは、私が泣いたら私を嫌いになる?」

「……ならないわ」

「それと同じことだよ」

嫌いになんかならない。だってトウコちゃんは私の自慢の友達だから。私はトウコちゃんのことが大好きだから。
そう伝える代わりに、私も貴方と同じように貴方を友達だと思っているのだと、そう伝えることを私は選んだ。
どんな言葉よりも自身の中で生まれた気付きは雄弁で、力強い響きを持っていることを私は知っていたからだ。

「……ああ、早速泣きたくなってきたじゃない。どうしてくれるの?」

おどけたようにそう言って笑う彼女の、見えない透明な血を拭ってあげたかったけれど、それはもう少し先の話になりそうだ。
これで許して、とフエンせんべいの入ったカゴを差し出せば、彼女はその一枚を乱暴に開けて歯を立てる。


2015.4.20
素敵なタイトルのご提供、ありがとうございました!

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