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つくづく、不条理な世界だと思う。

神がサイコロを振らないのだとしたら、その全ての選択が偶然に任されたものではなく、恣意的なものであったのだとしたら、では何故、自分が選ばれたのだろう。
見えない右目と、思うように動かない右手を、振られたサイコロによるものではないとするならば、何故、自分がそれを被らなければならなかったのだろう。

異端なものは、迫害される。それが思想であれ、言葉であれ、外見であれ、同じことだ。
濁った赤い光を右目に宿し、微動だにしない右腕を引きずるようにして歩く彼の姿を、世界はバケモノと称し、虐げた。
男は異端を許されない世界で育った。彼は、この世界によって歪に仕立て上げられていた。

そうして歪に仕上がったこのバケモノは、もう人ではないのではないか。
人を人でなしに仕立て上げたこの世界に、バケモノが復讐を誓ったとして、それは当然のことだったのではないだろうか。
虐げられた世界を虐げたいという欲望に、最早、理由など存在する筈もなかったのではないだろうか。
世界が彼を歪に仕立てたのだ。ならば彼が世界を歪に仕立てたところで誰が文句を言えるだろう。彼の憎悪は抱えきれない程に膨らみ続けていた。

不条理を突き付けられた男は、不条理を世界に突き付ける側に回ることを選択した。

世界に虐げられた我が身が、二度と虐げられる側に戻ることのないように、念入りに計画を練り、慎重に準備を重ねた。
この理不尽な世界を掌握するために、その世界に巣食う人の心を操ることを目論んだ。

男は長い孤独な年月の中で、この理不尽な世界によって排他される人間が、あまりにも多いことに気付いていた。
そうした孤独な人間を受け入れ続ければ、いずれそれは排他した側をも超える力となることを知っていたのだ。
男は組織を作った。孤児院から数名を引き取り、忠実な己の配下とした。行き場のない人間を受け入れ、力とした。
人のあるところには人が集まる。プラズマ団と名付けたその組織は規模を増した。規模を増した組織は更に優秀な人材を引きつけた。
男は特に優秀な頭脳を持つ6人を集め、自分を含めて七賢人とした。ポケモンの声が聞こえるという子供を拾ったのもこの頃だった。
その手駒を慎重に教育し、思想を掲げる「王」とした。傷付き、人間を恨んでいるであろうポケモンを王の世界に送り込み、彼の信念を構築させた。
念には念を入れ、その小さな王が逆らうことのないように、男は彼を自らの息子として育てた。

ポケモンの解放、の名の下に、自分だけの力を手にする。そうして世界に不条理を突き付ける。理不尽の雨を降らす。
王への教育、組織の構築、知恵と技術の集結。何年もの時間をかけた。計画は順調だった。完璧だった。

しかし、誰よりも完璧に教育という名の洗脳を施し、男が誰よりも強固にその心を掌握していたと思っていたその「王」は、予想だにしない理不尽を男に突き付けた。
『ボクの信じていた世界は間違っていたのか?』
『ボクの願った真実が正しいのか、間違っているのか、カノジョとの戦いで明らかにしたい』
自らの立てた計画が、その要とも言える人物により大きく揺れ始めていることを男は感じていた。
王は自らの世界での事実と、外の世界で見るポケモンと人間の在り方があまりにも真逆であることに疑問を抱くようになっていたのだ。

しかし、もう後には引けない筈だった。そうした教育を、何年もかけて施した筈だった。
掲げた真実が揺らぐことは許されない。王は自らがそうした立場にあることを、理解していた。曲げることは許されなかった。男の計画は完璧だった。
伝説のドラゴンポケモン、レシラムを従えた王が、ポケモンリーグのチャンピオンという最強の座に君臨する。
ポケモンの声が聞こえるという稀有な力を持った王が、ポケモンの未来のため、人々にポケモンの解放を呼びかける。
男の計画は完璧だった。あのポケモントレーナーさえ、王の前に現れなければ。

長い歳月と、男の持てる全てをもってして立てられたその計画は、たった一人のポケモントレーナーによって狂わされ、潰された。
王はそのトレーナーに敗れたのだ。しかしまだ、間に合う筈だった。男がその人間に勝利しさえすればよかったのだ。
しかしそれすらも、そのトレーナーの強さは許さなかった。
プラズマ団は解散に追い込まれ、男を除く七賢人は全て警察に捕えられた。かつての団員も散り散りになってしまった。全てが白紙に戻ったのだ。

理不尽が我が身を蝕み続けていた。

何故、思うようにならないのだろう。私の計画は完璧だった筈だ。あの人間さえ、あのポケモントレーナーさえ現れなければ。
この上ない屈辱を受け、苛立ち、絶望した男は、今度は思想による洗脳という方法ではなく、力による実力行使でその地を支配下に置くことを選んだ。

男がかつて、何年もかけて積み上げてきた人望は、再びあっという間に人と力を集めた。
優秀な七賢人も手駒として戻ってきた。組織にしか居場所のない連中、元プラズマ団というだけで排斥されていた人間を再び招き入れ、利用した。
その中には優秀な科学者もいた。男は彼に組織の長を任せていた。彼の人望は団員を信頼させるに十分なものだった。
組織を裏切った王への憎しみ、受け入れられなかった自分達の思想。そうした絶望は団員を結束させ、組織を突き動かす力となった。

二年前のプラズマ団の勢いを支えていた確固たる力は、王の従えるドラゴンポケモン、レシラムだった。
王が手駒にない今、組織はもう一度、レシラムと同等かそれ以上の畏怖を従える必要があった。キュレムはそんな組織の駒に相応しいポケモンだった。
科学者の力で、キュレムの持っている氷の力をさらに増幅させた。兵器とも言えるその機械は、イッシュを氷漬けにする程の威力を持っていた。
二度目の計画に費やした時間は十分であるとは言い難かったが、それでも確実に望んだものを手に入れられる筈だった。

しかし、またしても男は手駒に裏切られる。
プラズマ団の長に選んだ科学者が、手の平を返したようにその思想をあっさりと手放したのだ。
『なんと愚かなことだ。こんな子供に絆されるとは』
その発端となったのは、またしても、たった一人のポケモントレーナーであった。
2年前の子供よりも更に幼い顔立ちをしたその少女は、自らの命を奪おうとしている氷にも臆することなく、その青い目で真っ直ぐに男を見据えていた。
とても、不愉快な目をしていた。

その目に絶望を映す筈だった男は、逆にその少女によって絶望を突き付けられることになる。
『オマエもだというのか! オマエも! こんな子供に絆されたのか!』
彼の率いたポケモンですら、彼を裏切った。彼は全てに見限られていた。

逃亡した男を、しかし、男の用意した手駒の一つは許さなかった。
男のしたことをイッシュの人々は許さなかったが、それはイッシュに住むポケモンにも言えたことだったらしい。
キュレムは容赦なく男に攻撃を仕掛けてきた。何とか逃げ延びた自分の右手はそのキュレムにより氷漬けに遭い、大半が壊死していた。
元々、疾患を抱えていて思うように動くことをしなかったその右腕は、男が世界に理不尽を突き付けた代償として、呆気なく切り落とされた。

二度目の計画を立てていた段階から、男の体調は悪化し始めていた。
必死に、それこそ文字通り身を粉にして念入りに準備を重ね、神経を張りつめさせていた男には、己の体調のことにかまけている余裕などなかったのだ。
そして、全てが終わってしまった頃には、もう、体調を気に掛ける必要もなくなっていたのだ。不条理な世界で生き続ける意味を男は失っていた。
切り落とされた、もうある筈のない右腕は、頻繁に刺すような痛みをもってして男を苦しめた。しかしその痛みも、男が徐々に衰弱するにつれてなくなっていった。

二度の失敗を経て、世界は完全に彼を拒んだと思われていた。

しかし、男の元へ一人の人間が姿を現す。
それは男が最も憎んだ人物の一人だった。男の手駒を狂わせた、男の計画の全てを潰した、あの青い目をした子供だった。
その子供は、自分を氷漬けにしようとした人物を見つけて泣きながら「会いたかったです」と、信じられないことを紡ぎ、以来、毎日のように男の元へとやってきた。
男に死が迫っていることに涙を見せた。死のうとしていた男に平手打ちを食らわせ、「生きてください」と懇願した。
その信じられない愚行もさることながら、それを受け入れつつある自分自身が男はどうしても許せなかったのだ。
その柔らかな屈辱は今も男を蝕み続けていた。

だからなのだろう。時折、少女に対して煮えたぎるような憎悪を抱くのは。
ない筈の右腕が時折、その屈辱を思い出したかのように鋭い痛みを訴えるのは。

「お前が生きてほしいと懇願した男の話は、これで全てだ」

2015.1.14

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