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その日、青い髪をした女性、クリスは、ヨシノシティの小さな喫茶店を訪れていた。
隣町のワカバタウンは彼女の故郷でもある。その実家に住む妹から、数日前、仕事の依頼を受けたのだ。
とある被告人の弁護をお願いしたい、という、15歳の妹らしからぬ内容に彼女は驚き、しかし二つ返事で受け入れた。
ただし、お願いをしたのは彼女の妹であるのだが、その「依頼人」に相当する人物は、彼女ではない。
今日、クリスはその「依頼人」に会いに来たのだ。この喫茶店がその待ち合わせ場所だ。

「お姉ちゃん!」

彼女を呼ぶ声に振り向けば、妹であるコトネが一人の少女を連れて駆けてきた。
腰まである長い髪は、上のほうでお団子の形に纏められているところを見ると、これよりも遥かに長いらしい。
ツインテールにされたその髪が、一歩を踏み出すたびにふわふわと揺れた。低い背も相まって、その柔らかな髪はより一層長く見えた。
コトネの後について私を窺うように見上げたその目は、とても透き通った青色をしていた。海の色だ、とクリスは思い、笑う。

「こんにちは、貴方がシアちゃんね?」

いきなり名前を言い当てられたことに、シアと呼ばれた少女は驚いたようで、その海の色をした目を零れそうな程に大きく見開いた。

「私はクリス、弁護士をしているの」

そう言ってクリスは名刺を手渡す。シアはお礼とともにそれを受け取った。弁護士の事務所と彼女の名前、そして受付時間が書かれただけのシンプルなものだ。
けれど少女にとって、人から名刺を貰うというのは初めての経験だったらしく、その青い目を輝かせて名刺を受け取り、嬉しそうに微笑んだ。
適当に作った名刺だから、そんな風に喜ばれると少し恥ずかしいな。そんなことを思いながらクリスは笑った。
少女はその名刺をカバンの中に入れてから、深々と頭を下げた。

シアといいます。イッシュ地方出身の13歳で、1年ほど前にはポケモントレーナーとしてイッシュを旅していました」

その言葉に相槌を打ちながら、クリスは彼女の落ち着いた仕草や流暢な言葉遣いに感心する。
コトネからの電話で、この少女が13歳であるという情報は耳に入っていたが、とてもそうは見えなかった。
年相応なのはその背丈くらいで、人を真っ直ぐに見上げるその凛とした目も、年上の人物に対して怯えを見せないその態度も、少女を構成する全てが彼女を大人びて見せていた。

「それじゃあ、中でお話を始めましょうか」

クリスは喫茶店の扉を開ける。来客を知らせる鈴の音が涼しげに響いた。
陽当たりのいい席に案内され、クリスは少女と向かい合う形で座り、メニューを広げる。
少女の隣に座ったコトネが「オレンジジュースね」と、小さな頃から変わっていない注文の仕方をする。
シアちゃんは何が好きなの?」と尋ねるクリスの言葉に顔を上げ、少女はとても嬉しそうに微笑んでみせた。

「苺のフレーバーティーに、角砂糖を一つ落として飲むのが好きです」

13歳の少女の口から、フレーバーティーという言葉がさらりと出てきたことにクリスは目を丸くして驚く。
おそらく、コトネは「フレーバーティー」というものの存在さえも知らないのではないだろうか。
大の読書好きで知識には事欠かないクリスは、常飲こそしないものの、紅茶にそのようなフレーバーティーと呼ばれる種類があることを知っていた。
余程、上品な過程で育ったのかしらとクリスは思ったが、直ぐにその可能性を消した。紅茶を常飲するようなお嬢様が、旅などする筈がない。

苺のフレーバーティーが好きだと語った彼女は、しかしコトネと同じオレンジジュースを注文した。
クリスが「ここにアールグレイの紅茶なら置いてあるみたいだよ」とメニューを指差すが、少女は笑って首を振った。

「紅茶は、特別な時に飲むんです」

その微笑みがとても幸せそうなものだったので、クリスはそれ以上勧めることを止めた。
少女にとって苺の紅茶は「特別」なものであるということが、その笑顔で容易に想像できたからだ。それこそ、クリスにとっての焼き芋のように。

ウエイターを呼び止めて、自分のカプチーノを含めた3つの飲み物を注文してから、クリスは少女へと向き直った。

「さてシアちゃん、私は数日前にコトネから、ゲーチスさんの裁判の弁護をしてくれないかと頼まれていたの。
私はその依頼を引き受けた後で、彼が率いていた組織のこと、1年前の夏にイッシュ地方で起きたこと、その更に2年前に起きたポケモン解放のことも調べてあるわ」

クリスはそう説明して、カバンから手書きの書類を何枚か取り出した。
女性特有の丸文字がびっしりと書き込まれているが、その丁寧な字体のおかげで読みやすく要点がまとめられていた。
彼女はその紙を少女の方に向けた。少女はさっと表情を真剣なものに変え、その活字を素早く目でなぞった。

「ポケモン解放を訴える組織を率いていた彼は、イッシュに住むポケモントレーナーに対して、時に力をもってして自らの思想を貫いたそうね。
具体的には、部下を使ってポケモンを奪わせたり、イッシュを氷漬けにして町の人を脅したり……。
「ポケモンと一緒に居られなくなるかもしれない」という恐怖を、常にポケモントレーナーに負わせたことも含めて、彼のしたことは少し度を越しているわ」

「……はい」

「誰もがこれを見れば、ゲーチスさんという人のやり方は過激なものだったと言うと思うの。
彼が世論のままに、通常よりも厳しい刑罰を科されたとして、それは仕方のないことだとも多くの人が思っているはずよ。
それでも、貴方はそうしたくないと言っている。それはどうして? ゲーチスさんの裁きを今の世論に任せたくないという、その理由は一体、何かしら?」

クリスはこの少女に尋ねたいことが二つあった。そのうちの一つが今の質問だった。
イッシュに住む多くの人が、ゲーチスの逮捕と起訴に心から安堵している筈だ。
もうこれで、ポケモンの解放を訴える恐ろしい組織は現れない。自分たちは、ポケモンと居てもいいのだと。もうポケモンと引き離されることはないのだと。

けれど、この少女は違った。
かつてプラズマ団と対峙し、ゲーチスとも戦ったであろうこの小さな少女が、誰よりもポケモンと人間との共存を望んでいたであろうこの少女が、
あろうことかプラズマ団の長の弁護を自分に依頼し、彼を世論の糾弾から救ってほしいと案に訴えている、その姿はクリスに衝撃を与えていた。
だからこそ、今ここで尋ねておかなければならなかったのだ。
少女は何故、彼を救おうとしているのか。少女は一体「何」を知っているのか。

「ここに書かれていることの半分は、事実ではないからです」

そして少女が紡いだ言葉に、クリスはふわりと微笑んでみせる。

「ええ、知っているわ」

「え……」

「私はコトネから電話を貰って直ぐに、ゲーチスさんの弁護を担当したのだけれど、その時に強い違和感を持ったの。
だって、イッシュの人が語るゲーチスさんの姿と、目の前に居た彼の姿とがあまりにもかけ離れているんだもの。あの人が何かを隠していることは直ぐに分かったわ」

少女は驚いたようにその海の目を見開いた。
これで疑問の一つは解決した。ゲーチスは弁護士であるクリスに何かを隠している。
それが「何」であるのかはまだ解らないままだったけれど、その情報だけでも十分だった。これで自分がゲーチスに抱いた違和感の正体が分かった。
クリスには、この事件の真実がまだ見えていない。そしてその真実を握っているのは、きっとゲーチスだけではない。

「けれど、それは真実の半分でしかなかったのね。そうでしょう、シアちゃん」

そしてこの少女の口からその真実を聞けば、もう一つの疑問もきっと解決する。
何故、1年前の夏に起きたあの騒動から、ずっと身を隠していたゲーチスが、今になって世間にその姿を現し、裁きの対象となることを選んだのか。
何故、あそこまで過激な行動を組織全体で起こしていた、その主犯格である彼が、今になってその罪を全て被ろうとしているのか。
そして、そんな彼を何故、彼の敵であった筈のこの少女が必死に救おうとしているのか。

予測をすることは容易い。この二人の間に何かがあったのだと、推測することは簡単にできる。
けれど予測だけでクリスは動く訳にはいかない。人を法廷で救うためには、真実に従って行動しなければならないのだ。その真実こそが戦うための武器となるのだ。
ゲーチスはクリスにその真実を話すことをしなかった。けれど、この少女はきっと話してくれる。
真実は全て、この少女が握っている。

「私は、ゲーチスさんに脅迫されたことなんか一度もありません。彼の嘘は全て、私を守るためのものでした」

その真実は鋭い鋏となって、事実の断片と彼の供述との間に生まれていた違和感をばっさりと切り裂いた。
つまりはそういうことだったのだ。彼の不思議なタイミングでの出頭も、依頼人として彼が脅迫したという少女が名乗り出たという事実も、何もおかしくなどなかったのだ。
これは紛れもなく、互いが互いを想った結果の出来事だったのだから。

シアちゃん、もっと聞かせてくれないかな。貴方とゲーチスさんのこと、貴方が思っていること、貴方がしようとしていること、全て」

「……私の話すことが、ゲーチスさんの弁護のお役に立てるんですか?」

「そうよ。貴方の持っている真実が、法の場で戦うための武器になるの」

その言葉を噛み締めるように少女は頷き、とても嬉しそうに微笑んでみせたのだ。
そこには「彼の役に立てる」という紛れもない安堵と歓喜が含まれていた。クリスは思わず笑ってしまった。
どうして、誰かを想う人の笑顔というのはこんなにも美しいのだろうか。

2015.3.14

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