W 夏ー6

ヒワダタウンを西に進んだ先には、暗い森が何処までも広がっていた。
今は真昼である筈なのだが、成長し過ぎた木々により太陽の光は遮られ、夜のような薄暗さだ。足元がよく見えないため、時折何かに躓いて転びそうになる。
確かイッシュにも、よく似た場所があった筈だ。

「ヤグルマの森を思い出すな……」

そう呟いた途端、視界が開ける。どうやら自然にできた空間ではなく、ヒトが何らかの目的で切り拓いた場所らしい。
その中央には、小さな祠のようなものがある。
ずっとNの後ろを付いてきていたゾロアークがその祠に向かって駆け出したので、彼もそれに続くと、その祠の影に見慣れないポケモンを見つけた。

若草色の、小さな身体をしている。とても気持ちよさそうに眠っていて、思わず微笑んだその瞬間、その大きな目がぱちり、と開いた。
しまった。起こしてしまった。Nは慌てて謝罪と弁明をしようと口を開く。

「ごめん、眠りを邪魔してしまったね。キミのようなトモダチには会ったことがなかったから、興味が沸いたんだ」

するとそのポケモンは大きく伸びをした後でNをじっと見上げる。
Nがその声を聞く前に、そのポケモンを眩しい光が包んだ。
目を閉じても迫ってくるその光を遮るため、左腕で目元を塞いだ。ぐらり、と足元が揺らいだ気がしたのだが、今の彼にそれを確認する術はない。

暫くして目を開けた彼は、あまりの驚きに言葉を失ってただ、立ち尽くすことになる。

「此処は……?」

明らかに先程までの森とは違う、小さな町が目の前に広がっていた。自分の身に起こったことが理解できない。
分かるのは、ここが先程の森ではないことと、一緒に居た筈のゾロアークが姿を消していること、そして自分は、この場所に覚えがある、ということ。
いつだったか、トモダチを通して、この町の風景を見た気がする。この町の名前は確か、

「カノコタウン」

「彼女」のトモダチ、ランプラーの声にあった、彼女の出身地だ。
……先程の見知らぬポケモンが原因だろうか。カレには空間を移動する能力があるのだろうか?
そう思案していた彼は、視界を横切る小さな二つの影への反応が遅れてしまった。

「早くおいでよ、先に行っちゃうよ!」

「ベルはせっかちだな。そんなに呼ばなくても、トウコはちゃんと後から来るよ」

その二人の子供には見覚えがあった。確かゲーチスが彼等のことをダークトリニティに調べさせていたような気がする。
名前は確か、チェレンとベルだ。トウコの幼馴染で、彼等もカノコタウンに住んでいたらしい。
Nも彼等と会ったことがあったが、しかし彼の記憶にある二人と、目の前を駆け抜けていった二人は随分と面立ちが違う気がした。
顔立ちが幼く、背も低い。甲高い声で楽しそうに話をしている。

「あ、来た!おーい、トウコ!」

ベルが手を振るその先で、Nは「彼女」と出会う。
しかし彼女も、チェレンやベルと同様に幼く、まだあの頃よりもボリュームの少ないポニーテールが、足を一歩踏み出す度に激しく揺れた。
彼女の自宅らしき家のドアで、彼女の母らしき人物が「いってらっしゃい」と手を振っている。
目の前を通り過ぎようとしたまさにその時、Nは思わず彼女を呼んでしまう。

トウコ

彼女は立ち止まる。澄んだ青い目がこちらを見上げた。

「……?」

「あ、えっと、その……」

しかし彼女はNを見ても、ただ首を傾げるだけだった。予想外の反応にNはたじろぐ。
トウコ、と彼女を呼ぶ二人の声に返事をして、彼女は駆けて行ってしまった。
そしてNはようやく気付く。自分は場所だけを移動してきたのではなく、時間をも移動してきたのだと。
きっと此処は、過去なのだ。そして今通り過ぎた「彼女」は、Nに出会う前の、Nを知らないトウコなのだ。

そして彼の前に、あの不思議なポケモンが現れる。

「キミの仕業だね。一体どうしてボクに、こんなことを?」

すると、その若草色の小さなポケモンは、クスクスと笑う素振りをして、再びその身体を光らせた。
あまりの眩しさにNは目を閉じ、……そして目を開けると、また景色が変わっていた。

「!」

また、目の前に「彼女」が居た。しかも今度は過去ではない。……いや、これも過去の一部なのだが、それはもっと最近のことだった。
何故なら此処はプラズマ団の城であり、王座のあった場所の壁は壊れていて、きっとこの過去の数分前、まさに此処から自分が、レシラムに乗って飛び立った筈だからだ。

彼女は膝を折り、冷たい床に座り込んだ。両手を大理石に叩き付ける鈍い音がして、ゆるやかな嗚咽が聞こえ始めた。

「大嫌い」

嗚咽の合間に聞こえたその言葉は、彼女に駆け寄ろうとしたNの足をぴたりと止める。

「いつも、いつもそうだわ。言いたいことだけ言って、こっちの返事を聞かずにいなくなっちゃう。あんたも狡いわ。あんたも同じ。大嫌い。あんたなんか大嫌い」

「……」

「だから、泣いちゃいけない筈なのに。あいつと別れてせいせいしたわって、思わなきゃいけないのに」

それは、今まで彼が見た、どの「彼女」とも違っていて、Nは困惑した。
彼の知っている彼女は、もっと気丈で強気で、臆病だと称した自分を必死に隠そうと振舞っていた。
自分のことを気に入らない、大嫌いだと言い、それでいて自分をも救うのだと豪語し、見事にそれを為してみせた。
彼女はいつだってNのことを「訳が分からない」「不思議で変な奴」と称したが、それはNも同じだった。Nには「彼女」の全てが理解できなかった。

理解できないものについては沈黙しなければならない、といった意味の有名な言葉があるが、しかしNは貪欲にもその理解を求めた。
自分の意見と彼女の意見はどう足掻いても交わらない。そうわきまえてはいたが、しかし彼はずっと、彼女を理解することを望んでいたのだ。
何故なら、他でもない彼女がNを理解しようとしたからでありNと相容れないとしながら、Nを嫌いだ、気に入らないとしながらも、Nを受け入れていたからだ。
彼女への「何故?」は、Nの中で尽きることはなかったのだ。

何故、キミはそんなにポケモンに好かれているんだい?
キミはどうしてボクのことが嫌いなんだ?
キミだって、トレーナーに傷付けられるポケモンが居ると知っている筈だ。それでもキミが、ポケモンとの世界を望み続けるのは何故?


どうして、キミは泣いているんだ。


Nは「トウコ」と彼女の名前を呼ぼうとして、……しかしそれは叶わなかった。何故なら再び現れたあのポケモンが、その小さな手で彼の口を塞いだからだ。
不思議なポケモンはクスクスと笑い、その身体を光らせる。
次にNが目を開けると、暗い森の中に立っていた。

「戻ってきた……?」

ゾロアークがNに飛びつく。カレからしてみれば、いきなりNが居なくなったように見えたのだろう。
あの不思議な体験をしたのは、どうやらNだけだったらしい。

「!」

かさかさ、と茂みが動く音がした。きっとあの不思議なポケモンだろう。
姿は見えなくとも、Nにはそのポケモンの声を聞き取ることができた。そして、その声は、時間を移動した先でNが問いかけた質問への答えを有していたのだ。

『だって、あの子に会いたかったんでしょう?』

クスクスという笑い声が、Nの鼓膜を震わせていた。
そしてNは考える。……ボクは「彼女」に会いたいと思っていたのだろうか?
その問いに答えを出すには、もう少し時間が掛かりそうだった。


2014.11.7

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