ボールを宙に投げ、レシラムを出す。
コトネとシルバーは、その真っ白な見た事のないポケモンを見上げ、目を丸くして驚いていた。
イッシュの神話に伝わるポケモンの一匹だと説明すれば、「ルギアとホウオウみたいなポケモンかな」とコトネが呟いていた。
何処の地方にも、伝説と崇められ、特別視されているポケモンはいるらしい。
「Nさん、ルギアとホウオウに会ってみたい?」
「そうだね、会えるなら、全てのトモダチに会いたいと思っているから」
「じゃあ、お姉ちゃんに連絡して頼んでみるね」
コトネはポケモンの背中にひょいと飛び乗りながらそう答えた。白い身体に、赤と青の不思議な模様がある。
シルバーのボールから出てきたポケモンは、紫色の身体で、4枚の翼を持っている。どちらもイッシュでは見かけないポケモンだ。
「Nさんは、ちょっとお姉ちゃんに似ているね。お姉ちゃんも、ルギアやホウオウのことを「お友達」って言うの。もしかしたら話が合うかもしれないね。
でもお姉ちゃん、ちょっと変わっているから、Nさん、びっくりするかもしれないなあ」
「……そうかい、楽しみだな」
「じゃあ、コガネシティまで飛んでいくから、Nさんも一緒に来てね」
二人を乗せたそれぞれのポケモンは、ふわりと空へ舞い上がった。Nもそれに続きながら、先程のコトネの言葉を脳内で反芻していた。
ポケモンのことを「トモダチ」と呼ぶ人間を、Nは自分以外に知らなかった。そのため、その人物には純粋に興味が沸いた。
暫くジョウトの空を飛んでいると、前に居たコトネとシルバーのポケモンが降下を始めた。レシラムもそれに続く。
降り立ったのは、人の多い賑やかな町だった。
「此処がコガネシティだよ。ジョウトで一番の大都会なの」
そう説明してくれるコトネに頷き、Nはレシラムをボールに仕舞ってから辺りを見渡す。
イッシュのように高層ビルこそなく、通行人もそこまで多くはないはずなのに、此処はイッシュの大都市、ヒウンシティよりもずっと賑やかに思えた。
「で、新しいポケモンとの関わり方、というのは、何処に行けば見つかるんだい?」
すると、シルバーが呆れたようにNを見上げて、不機嫌そうに言葉を投げる。
「これだけいて、まだ気付かないのかよ?」
「シルバー、そんな噛みつくような言い方をしなくてもいいじゃない」
コトネが苦笑してシルバーの発言を咎める。しかしその彼の言葉でようやく気付いた。
目の前を一組の男女が通り過ぎて行った。白いチョロネコのようなポケモンが2匹、彼等の後ろを付いていく。
大きなデパートの前で談笑する3人の学生の傍には、研究所でも見たヒノアラシ、チコリータ、ワニノコが眠っている。
あまりに賑やかすぎるこの声は、ヒトだけのものではなかったのだ。多すぎるその声に、Nは拾うことを忘れていた。
「何故、彼等はポケモンをボールに入れていないんだい?」
シルバーはその言葉に「やっと気付いたか」と静かに笑った。
「ジョウトでは、手持ちのポケモンを1匹だけ出して、町や道路を歩いてもいいことになっている。所謂「連れ歩き」だな。
他の地方でも、ポケモンをボールから出すトレーナーはいると思うが、ここまで大勢に浸透しているのはジョウト地方だけだ」
シルバーの足元では、紺色のポケモンがこちらを見上げていた。コトネの帽子にはいつもチコリータが乗っている。
「町中や道路では、他の人の迷惑になるから一匹しか出せないけれど、家やその庭、公園なんかだと、皆をボールから出して遊ぶんだよ」
コトネのその言葉に、Nはワカバタウンの彼女の家を思い出す。
近くの浜辺に彼女の姉のポケモンがそのまま遊んでいたり、家の中にもポケモンが自由に歩き回っていたのは、そういうことだったのだ。
この地方では、モンスターボールがあまり意味を為していないらしい。
「此処の人々は、ポケモンに対する思い遣りを持っているんだね」
そう呟いたNに、しかしコトネはきょとんとした顔で首を捻る。
「ボールに閉じ込めていてはトモダチが可哀想だから、外に出しているんじゃないのかい?」
それを、ヒトの言葉では思い遣りと呼ぶのではないのか。
Nのその確認に、コトネは「違うよ」と答えて、笑った。
「だってボールの中じゃ、一緒にお話ができないじゃない」
「!」
「一緒に笑ったり、遊んだり、そういうこと、ボールに入れているとできないでしょう?だから皆、外に出しているの。ポケモンが大好きだから、一緒にいるの。
ボールに閉じ込めているとポケモンが可哀想だから、だなんて、そんな難しくて傲慢なこと、あまり考えたことはないんだ」
Nは言葉を失った。それは頭を強く殴られたような衝撃だった。
この幼い、おそらくはNよりも何歳か年下の少女は、彼の出せなかった結論をいとも簡単に出し、誰よりもポケモンのことを案じていた筈の彼を傲慢だと静かに叱責した。
『だってボールの中じゃ、一緒にお話ができないじゃない。』
それは、Nのようにポケモンの声が聞こえない筈の少女の言葉なのだ。「お話」ができない筈の少女が発した言葉なのだ。
Nには何もかもが解らなくなった。解らなくなり、その混乱を一先ずは押し留めるために、目を閉じて、この喧騒の中からポケモンの声を拾い上げようとした。
瞬間、聞こえてきた沢山の声。……それはあの「彼女」に言わせれば、もっと奥の深い正直な部分らしいが、それらは確実にNの心に突き刺さり、鋭く抉った。
『しあわせ』『大好き』『ずっと一緒だよ』
それらは、ひたすらに彼等を引き離そうとして来たN自身への呵責に思えた。
そしてNは思う。
どうして、世界はこんなにも複雑なのか、と。
「ボクは、多くのことを知りたくて、イッシュを出たんだ」
思わずNは呟いていた。コトネとシルバーは、その言葉に驚き、そして沈黙する。
今日一日で、様々なことが起こり過ぎていたのだ。それら全てを、Nは上手く消化することができずにいた。
ポケモンの声が聞こえない筈なのに、ポケモンの心を理解する人物。当たり前のようにポケモンをボールから出す人々。自身へのやわらかな呵責。
答えが見つからない。
「……それなのに、此処へ来てから、知らないことばかり、解らないことばかり増えていく」
何が正しいのか。何が間違っているのか。
……いや、本当は分かっていた。結論など、もうとっくに出ていたのだ。
Nは気付いていた。自分がプラズマ団という組織に利用されていたこと。ポケモンの解放という思想は、プラズマ団がイッシュを掌握するための方便だったということ。
それを受け入れるには二つのシンプルな、それでいて残酷な結論が必要だった。
自分がこれまで歩んできた人生の否定と、自分がこれまで否定し続けてきた世界の許容だ。
しかし、その二つがどうしてもできなかった。怖かったのかもしれない。……やはり彼にはよく、解らなかった。
「別にいいじゃないか」
3人に降りた沈黙を破ったのは、意外にもシルバーだった。彼はそのまま話し始めた。
「これから、じゃないのか?今、全てを知っている、全てを解っている必要なんかきっとないさ。これから、知っていけばいいじゃないか」
コトネも、それに続く。
「それに、きっとNさんはこれから、解らないことも増えるかもしれないけれど、それ以上にもっと、沢山のことを知ると思うの。
Nさんの世界は、旅に出ることで、これからも広がる。それって、きっととても楽しいことだよ」
Nは長い沈黙を続け、その二人の言葉を長い時間をかけて咀嚼し、……次の瞬間、笑い出した。
シルバーが真っ赤になって「何がおかしい」と怒鳴る。コトネがそれを優しくなだめる。
この複雑な世界は、しかしそれ故に、とても温かく美しいらしい。
2014.11.6