ミルクパズル

13

シルバーの連れていたゴースはゴーストに、ズバットはゴルバットに進化していた。
彼等の力で、やって来るロケット団を何とか抑え込み、彼は私に道を譲ってくれた。
まるで「アポロを倒すのはお前だ」と言われているようで、無言の後押しを受けた私は益々その足を速めて階段を駆け上がった。

しかし、何とか最上階にやって来た私を待っていたのは、ラジオ塔の局長……に変装したラムダさんだった。
ドガースだらけの手持ちに何とか勝利すると、本物の局長を地下通路の奥に閉じ込めてあることを教えてくれた。
慌てて階段を駆け下り、私は待っていたシルバーにその胸を伝える。
しかし彼は眉をひそめ、大きく溜め息を吐いて私に背を向け、ひらひらと手を振った。

「じゃあ、俺の出番はここまでだな。後は勝手にしろ」

「え、どうして?」

「俺はロケット団を倒すために、お前に協力したんだ。人助けをするために力を貸した訳じゃない。そんなこと、馬鹿馬鹿しくてできる訳ないだろう」

「……それは、ヒノアラシを盗んだから?」

私のその言葉に、彼は固まってしまった。
今、どうしてそんな言葉が出てきたのか、自分でもよく解っていなかった。けれど、今しかないとも思ったのだ。
ロケット団と戦うために力を貸してくれた彼が、人助けとなった今、さっと身を退く素振りを見せた、その理由に、私は一つしか心当たりがなかったからだ。

「前に「私は君を追いかけている訳じゃない」って言ったけれど、あれは嘘なの。
本当は、ずっと君を追いかけていた。君に「これ以上ポケモンを盗まないで」って、言いたかったの」

彼と出会う度に、私は心の何処かで「また会えて嬉しい」と感じていた。その時の感情はどれも、何処か上ずっていて、私から冷静な判断を奪ってしまっていた。
本当は一番に「もうポケモンを盗まないで」と言わなければいけなかったのに、それだけのことを伝えるのに、こんなにも時間が掛かってしまった。
しかし、やっと彼に伝えられるようになった時には、もう既に、そんなことを伝える必要はなくなっていたのだ。

「私ね、君がヒノアラシを盗んだ日に、警察の人に犯人の特徴や名前を聞かれたの。でも、答えなかった。覚えていないって、嘘を吐いたの。……おかしいでしょう?
君のしたことが間違っていたとしても、でも私はどうしても、君からポケモンを奪ってほしくなかった。
だって、君はポケモンバトルをしている時、一瞬、本当に一瞬だけど、とても楽しそうに、幸せそうに笑うんだもの」

「……気のせいだろ」

「ううん、本当だよ。私は君をずっと見てきたんだもの」

そう、ずっと彼を見てきたのだ。

「君が本当に悪い人かどうかは、君と一緒にいるヒノアラシを見れば、直ぐに分かる。だから、悪いことをした自分に引け目を感じないで」

届いてほしい、と思った。
私はお姉ちゃんのように頭が良くないし、難しい言葉も、人を感動させるような素敵な言い回しも知らない。
故にとても幼稚な、それでいて愚直な自分の思いを、そのまま彼に伝えることしかできない。
私は無力だ。彼の背負った罪悪感を取り去る術を持たない人間だ。他人の荷物を奪い取るだなんて高等な技術を、幼稚な私が持ち合わせている筈もなかった。
だから、祈るだけ。彼がその荷物を自ら下ろしてくれるのを、願うだけ。

彼は長い長い沈黙の後で、大きく溜め息を吐いた。

「なんでお前が泣きそうな顔をしているんだよ」

そう言われて私は笑ってみせようとした。泣きそうな顔、だなんて、そんなつもりは微塵もなかったのだけれど。
しかし引きつった頬はぎこちない表情しか作れず、私は本当に泣きたくなってしまった。
こういう場合、相手側はもっと余裕のある態度で接さなければいけない筈なのだけれど。……それこそ、私の背中を押してくれた、お姉ちゃんのように。

「分かった、一緒に行けばいいんだろ。引け目だとかなんだとか、そういうのを考えるのは面倒だから後回しにするぞ」

「あ……」

「今お前がするべきことは、俺なんかを励ますことじゃない」

私はその言葉に大きく頷き、彼の手をぐいと引いた。
慌てたように彼は声をあげて制止の意を示したが、私は聞こえない振りをした。
やがて彼も諦めたのか、歩幅を大きくして、私の走るスピードを少しだけ追い越す。私はそれが少しだけ悔しくて、地を蹴る力を一層強くした。

地下通路にも多くのロケット団員が守りを固めていた。私とシルバーは手分けして彼等と戦い、最奥で監禁されていた局長を助け出した。
彼は私にラジオ塔に鍵を渡してくれた。どうやらこれを使えば、最上階の更に上にある展望台に行けるらしい。
私は彼にお礼を言い、来た道を戻って再びラジオ塔に入ろうとしたのだけれど、
「まさかお前、連戦越しの疲れ切ったポケモンでアポロに勝てるとでも思っているのか?」と、慌てていた私に彼が制止を掛けてくれた。
そして今、私達は、ロケット団の手が辛うじて及んでいない、コガネシティのポケモンセンターで、ポケモン達の回復を待っている。

「お前はアポロに用があるんだろう。きっと道中には他の幹部もいる筈だ。俺がそいつらの相手をしてもいいが、お前に任せた方が確実かもな」

「私だって分からないよ。勝てる保証なんて誰にもない。……負けるつもりは、ないけど」

「当然だ」

彼のその言葉に頷いた直後、私のポケギアが着信を告げた。
画面には「クリス」と表示されていて、私は慌てて通話ボタンを押した。

『受かったよ!』

その瞬間、彼女にあるまじき大声が、「もしもし」というお決まりの挨拶に先んじて私の鼓膜を突き刺した。
あまりの音量に私は驚いたが、直ぐに彼女の一言を理解する。……受かった。弁護士になるための試験に、受かったのだ。

「おめでとう!発表、今日だったんだね」

私の祝福の言葉に、しかし彼女は何故か沈黙した。
どうしたの?と尋ねそうになった私の声を、しかし彼女は絶妙なタイミングで遮る。

『貴方がこれから戦う悪には、後で私が償い方を教えてあげるから。だから安心して戦ってきてね。』

私はあまりの衝撃にポケギアを取り落としそうになった。
手が震える。紡ぐべき音が喉の奥で形を失う。代わりに零れそうになった涙は、寸での所で押し留められた。

ああ、なんだ、そっか、そっかあ。
私はようやく正解に辿り着いた。遅すぎたのかもしれない。それでも、アポロさんに出会う前に答えを出すことができた。
馬鹿で愚直な私にしては、割と早い方だったのかもしれない。そう思いながら、込み上げてくる数多の感情を押し殺して私は笑った。

つまりはそういうことだったのだ。
彼女が私に、ヌオーやラプラスではなく、私の言うことを聞いてくれないであろう程に強いスイクンを預けたのは、私に、私自身のポケモン達だけで強くなってほしかったからで、
ロケット団と戦った私に注意こそしたものの、それを止めなかったのは、私の性分を把握していたからということ以上に、彼女自身の願いが込められていたからで、
弁護士の試験にどうしても一発で受からなければいけなかったのは、彼女がどうしても受け持ちたい裁判が、ロケット団が再び解散した後で行われる筈だからで、
「もう直ぐ、裁かれる人がいるから」というあの言葉は、実はただ一人を指していたのであって、
しかしそれらを成し遂げるためには、私がロケット団と戦って勝てる程に強くなる必要があって、つまり、

彼女が持っていた正義感は、私なんかよりもずっと順風に行使されていたのだ。
私はずっと彼女の掌の上に居たのだ。私のすることなんて、きっと彼女にはお見通しで、私の決死の行動は、彼女にとっては些細なことで、彼女はそれすらも容易く行使していたのだ。
「きっと私は軽蔑されてしまうね」とは、本当はこちらのことを指していたのだ。
そして、そんな彼女らしくない行動の裏には、彼女にとってどうしても譲れないものが隠れていたのだ。

道徳に悖っていたとしても譲れないものは確かにある。
それはシルバーにとってのヒノアラシのように。お姉ちゃんにとってのアポロさんのように。
私にとっての、この思いのように。

それは私が初めて抱いた、私以外の人の世界を受け入れて肯定するための感情だった。

2014.10.26
「共振」

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