1-4

私は、彼女のように強欲ではなかった筈だ。

私は静かに暮らしていたかった。私はできるだけ多くの人にとって無害な存在で在りたかった。
私は過度の期待や賞賛を寄せられたくはなかった。私は誰にも敵意を向けられたくはなかった。

私は、勝者となることを求められたくはなかった。私は、私のしたいようにのんびりと、気ままに、静かに生きていたかった。
私は、此処に居ていいのだと思える役割が欲しかった。その役割は、目立たず、難しいことでなく、単調で、穏やかで、慎ましやかなものであればある程によかった。
一人になることはとても恐ろしかったけれど、大勢の輪の中に入りたくはなかった。私は誰にも注目したくはなかったし、誰にも注目されたくはなかった。

私の名前は、カロスに生きる人のほとんどの記憶に残らないような、些末で矮小で、ありふれたものでなければいけなかった。
その名前に意味を見出してくれる人がいるとすれば、それは一人、たった一人でなければいけなかった。
それ以上の数に、期待や賞賛を向けられることに、私の心は耐えられそうになかった。けれどもそれ以下の孤独にもまた、私の心は間違いなく耐えられなかった。

もしこれら全てを「贅沢だ」「欲張りだ」「強欲なことだ」と多くの人が非難するのならば、……きっと、それが正しいのだろう。

何もかもが間違っている私。
そんな間違いばかりの存在が大嫌いな、卑屈な私。
けれども、その間違いを是正しようとするだけの努力を持たない、怠惰な私。
それでも、その間違いを開き直って己の武器とすることさえも、怖くてできない、臆病な私。

美しすぎるカロス地方は、そんな醜い私を排除しなければならなかった。
「私が弾かれること」こそが正しいのだと、そう心から思えたからこそ、私はあの日、彼と共にセキタイタウンの穴の中へと残ったのだ。
それは私の、一生に一度為せるかどうか解らないような果断であった。彼は私の果断を認めてくれて、間違いだらけの私に「間違っていない」と断言してくれた。
そうしてようやく「正しさ」という烙印を得た私は、美しく息絶える筈であった。

けれどもカロスは、私が焦がれ続け、恐れ続けたこの土地は、そんな、臆病で卑屈で怠惰な私を許さなかった。

「わたし達は、長すぎる時を生きなければいけない」

フラダリさんの言葉が意味するところを、私はもしかしたら一生、理解できないままであるのかもしれないとさえ思われた。
それ程に、彼の紡いだ不思議な事実は現実離れし過ぎていたのだ。
呪いとか、永遠とか、止まった時間とか、死ぬことができないとか、そんなふざけたことばかりを、彼は。

……カロスの言葉を上手く操れなかった私は、この美しい土地に生きる人たちと、上手くコミュニケーションをはかることができないままであった。
それ故に、フラダリさんが「知っているだろう」という前提で話を進めた全てのことが、私にとっては未知の、訳の分からないものばかりであった。

あのAZさんが永遠の命を持っていること。兵器の光を浴びてしまったが故に、死ぬことのできない存在となってしまっていたこと。
同じく永遠の命を持っているポケモンを、彼は3000年もの間、ずっと探し続けていること。不完全な状態で起動された筈のあの兵器は、けれど全く同じ呪いを私達にかけたこと。

そのどれもが信じられないようなことばかりだった。私にはその全てを理解するだけの力も、その全てを受け入れるだけの力も、何もなかった。
私は何か壮大な映画でも見せられているかのように、ただ茫然と、彼の口がそうした不可思議なことばかり紡ぎ続ける様を、鑑賞していたのであった。

「私、知りませんでした。AZさんのことも、あの兵器にそんな力があったことも、何も……」

ようやく呟くことの叶った言葉に、フラダリさんは眉を下げて笑った。

「カロスを旅した君なら、このようなこと、もうとっくに知っているものだと思っていたよ。
この土地には、こうしたカロスの伝承を語り継ぐ詩人がいて、彼等はあらゆる場所で、この歴史を語り継いでいた筈なのだが……」

ああ、私の臆病で怠惰な部分が見抜かれてしまう。私は顔を青ざめさせ、深く俯いた。
「ごめんなさい」といつもの言葉を告げようとしたけれど、どうにも喉が渇いて上手く音になってはくれなかった。

カロスのあらゆる場所にいる詩人の声に耳を傾けられない程に臆病な私。彼等の歌を聞き取ろうという気概をもって足を止めることの叶わない怠惰な私。
そうした私を、きっとこの立派な人は許さない。この人だけではない、きっとカロスに生きる全ての人が、私の本当の姿を絶対に許さない。
私は誰にも許されない。

だからこそ私は、いなくならなければいけないのではなかったか。

「イベルタルのエネルギーを失った兵器の起動は、せいぜいこの基地を崩壊させ、わたしと君、たった二人を殺す程度の威力しか持たない筈だった。
けれど、君が救ったイベルタルは、君を守るために自ら兵器の中へ飛び込んだ」

「……」

「長くカロスを見てきたあのポケモンは、エネルギーを十分に得た兵器の光にどのような力が宿るのかを、とてもよく知っていたようだ。
イベルタルは君の命をどこまでも永く引き延ばすことで、生き埋めになる筈だった君を守ろうとした。……結果、君もわたしも生きている。
多くのエネルギーを奪われたイベルタルは再び繭の形に戻り、あの兵器の傍で眠っている」

あの、黒と赤の大きな翼を持った伝説のポケモンは、私を「永遠の檻」に閉じ込めた。
そうすることで、この穴の中で死ぬ筈だった私を守ろうとした。
そこまでようやく理解したところで、私はああ、と肩を落とした。

臆病で卑屈で怠惰な私の、最後の卑怯な一手さえも、やはり許されなかったのだ。
私の愚かな選択を、あの場にいる誰も止めやしないと思っていたのに、やはり私は止められてしまった。私の願いはまた叶わなかった。私は、死ぬこともできなかった。

イベルタルはきっと、私を責めたのだと思う。
あの場で死のうとした私を、これから歩み続けなければならなかった私の、肩に乗せられた膨大な責務、その全てを放り出して逃げようとした私に、きっと彼は憤りを覚えたのだ。
そのような卑怯なことが、この美しい土地において許されていい筈がない。そうした気概で、きっとイベルタルは私とフラダリさんを呪ったのだ。
私達がイベルタルによって閉じ込められた「永遠の檻」は、きっと間違い過ぎた私達が飛び込むに相応しい造りをしていたのだろう。

物わかりのとても悪い私に、フラダリさんは根気よく教えてくれた。
ぼうっとしていると、平気で1日や2日が経過してしまうことを、私は長い時間をかけて、……いや、ほんの少しの間に理解した。
彼は腕に大きな電子時計を付けていて、そこには年、月、曜日まで、事細かに小さな数字で記載されていた。
パラパラと、まるで日記のページをめくるかのように「日」の数字が切り替わっていくのを、私は砂時計を眺めるような心地で、何もせずにただ茫然と見ている、といった状態だった。

しばらくして、彼は私にも同じ電子時計を買い与えてくれた。私の腕に嵌めるとそれはとても大きく見えて、彼は申し訳なさそうに眉を下げたけれど、私は特に気にしなかった。
私はそれを眺めながら、私にとっては少しの時を、けれどもその時計に記録されている限りではとても長い時間を、どこまでも無為に流したのだった。

1秒が1分になった。1分が1時間になった。5分が1日になった。
ほんの少しの眠りによって、私は数か月、あるいは1年という時をあっという間に超えてしまっていた。
そうした時間を、私の感覚では数日、腕の上に記録された時間では数年ほど、続けているうちに、
私は「以前の時の流れ」というものがどうであったのか、いよいよ解らなくなり始めていた。

1分や1時間というのは、私にとってはとても些細な、瞬きの間に通り過ぎてしまうような可哀想な時であるように思われてしまった。
1日も、1週間も、私にとっては最早、差があるようには思われなくなっていた。
たった一度眠りさえすれば、1分も1時間も1日も1週間も、1か月や1年でさえ、「あっという間」に過ぎていった「過去のガラクタ」になってしまった。


時を止めた私達は、簡単に時を渡ることができるようになった。その分、取り零すものも増えたのだろうけれど、構わなかった。私は、何も持っていなかったからだ。


外に出ようとは思わなかった。彼は気紛れに食事めいたものを買ってきたけれど、今の私や彼にそういったものは最早不要だった。
時の流れに生きることを許されていない私が、まるで時を流しているかのようにサンドイッチを食べて、カプチーノを飲む様は、とても滑稽で、
けれどもそうした「時が流れている振り」をするという行為が、何故だかいよいよ私を安心させている、という有様なのであった。

「素敵な時間ですね」

「……そういってもらえるとは思わなかったよ」

彼はいつしか、私に丁寧な言葉を使うことをやめていた。
そのことを特に不快だとも不満だとも思わないまま、私は「そういうものだ」と受け入れて、……けれども私は、彼に対する丁寧な言葉を、これまで通り崩さなかった。

「ずっと眠っていたい。私が怖いと思ったものが、全部なくなってしまうまで」

「……」

「それまで私はずっと、此処にいてもいいんですよね。もう私、誰にも会わなくていいんですよね」

私は死ぬことができなかった。
けれども私は、逃げることができた。

十分だ、と私は思った。
この現実離れしすぎた「呪い」は、少なくとも、臆病で卑屈で怠惰なこの私においては、どこまでも「祝福」の形をしているように思われてならなかったのだ。


2017.10.2
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