黄色いタンクトップ、空色のホットパンツに真っ赤な帽子。左右で色の異なるソックスを履き、真っ青なリップを嬉々として塗り付けた。
そうした壊滅的なセンスを披露することでしか生き残れなかった私に、美しくなる術を与えてくれたのは、彼女だった。
白い布地に金色の刺繍やリボンが施されたこのドレスは、まるで物語の中のお姫様のようだった。彼女が私を、ピエロからお姫様にしてくれたのだ。
そのお姫様が「代役」であったところで、構わなかった。
「凍ってしまうってどんな感じですか?痛いのは嫌だなあ」
「……ミヅキ、貴方は眠るときに痛みを感じる?」
「あ、そっか!凍るのは私が眠った後だから、どうってことなかったんですね!」
嬉々として微笑む私とは対照的に、彼女は不安そうに眉をくたりと下げていた。
私は彼女の言葉に恐怖や不安を取り払ってもらっていたけれど、彼女はまるでその分の恐れを全て引き取り背負い込んでいるかのように、重く震えた息を吐いていた。
彼女の息は、この冷たい空間の中でも白く濁らなかった。私の、高揚に弾んだ息だけが白い煙となってふわふわと白い宙を漂い、そして消えた。
私はまだ小石だ。地に転がる小石だ。氷の上に立つ宝石はこの冷たさに馴染んでいる。小石は地面を知り過ぎているから、まだこの冷たさに馴染めない。
けれどそうした「馴染めなさ」も、私が此処で眠ればなかったことになるのだ。
この美しい人と同じ温度になれること、彼女の愛しい子供達の中に加えてもらえること。彼女の愛した私のままに眠れること、宝石になれること。
全てがどうしようもなく嬉しくて、わくわくした。覚悟を貫き通すことの叶った私に、恐れるものなど何もなかった。
白く広がる部屋の奥には、小さな、冷蔵庫のような扉があった。
この部屋自体が冷蔵庫のようなものだけれど、その扉の向こうから漂う冷気は常軌を逸し過ぎていた。常夏のアローラでは、まず触れることの叶わない温度だった。
「アシレーヌは大丈夫ですか?死んでしまったりしませんか?」
「ええ、大丈夫よ。その子も貴方と同じように眠るから」
「そっか、よかった。この子だけ最後まで私から離れてくれなかったから、どうしようってずっと思っていたんです。一緒に眠れるのなら、寂しくありませんね」
吐く息は益々、白くなっていた。それは小石が小石たる息の色であると、解っていたから私は自分の吐く息を恨めしそうに睨み付けた。
でも大丈夫、もう大丈夫。だって私はこれから眠るのだ。白い息のことも、誰からも覚えてもらえなかったあの女の子のことも、みっともない小石のことも、全部忘れて眠るのだ。
そうして私は宝石になって、この美しい人にずっと大事にしてもらえるのだ。
「ねえルザミーネさん、私、望んで此処に入るんですよ。貴方が綺麗にしてくれた私のまま、貴方を大好きになれた私のままに、眠ることができるんですよ」
だからどうか笑ってくださいと、声に出すことができなかった。
私は彼女に大好きになってもらえた私を貫くために、息を吐くことを禁じかけていたからだ。言葉など、最早不要であるように思われた。
だって何も言わなくても、彼女はこんなにも美しい。キラキラしていて、輝いていて、宝石みたいで、それなのに彼女はこんな寒いところで一人、震えている。
貴方はもっと愛されて然るべきだ。アローラの舞台は彼女のような人をこそ歓迎している筈だった。なのに彼女は一人でいる。おかしい。
小石は弾かれて然るべきだ、だから私のことを悲しむ必要なんか何処にもない。
けれど宝石は、弾かれてはいけないのではなかったか。宝石は、求められなければならないのではなかったか。宝石は、望んだ全てを手に入れることが叶うのではなかったか。
宝石は、ただそこにいるだけで、かけがえがないのではなかったか。
そうした気持ちのままに、私は彼女が差し出してくれた銀色のワイングラスを、手に取った。
中に入っているのはただの水だ。グラスの隅に泡がぱちぱちと弾けているから、きっと炭酸水かサイコソーダなのだろう。
いつも、この冷たい空間の中で飲むのはココアだったのに、ここにきてこんなものを私に差し出す意味を、私はちゃんと理解している。この中には睡眠薬が溶けているのだ。
金属製のグラスの中の水は、グラスの銀色をそのまま吸い込んでいた。まるで銀色を飲んでいるみたいだと思い、強烈な多幸感に襲われた。
私はようやく、彼女と同じものを飲むことが叶ったのだ。
嬉々としてグラスに口を付けて、そっと開ければ銀色が勢いよく流れ込んできた。
あまりの冷たさに唇が凍ってしまうのでないかと思ったけれど、グラスの冷たさも、流れ込んできた液体の冷たさも、ごくりと飲み下して唇からそっと離せばなかったことになった。
そうしてグラスを彼女に返せば、彼女はそのグラスをガシャンと金属の床へと落として、私に細い腕を伸べて、まるで自分の娘にするように強く、強く抱き締めた。
「貴方が眠れるまで此処にいるわ」と告げる彼女の声音はやはり不安そうに震えていたから、その不安を振り払ってあげたくて、私は思いっきり明るい声音で呟いた。
「貴方の傍で眠れるなんて、夢みたい」
夢にまで見たお姫様のベッドには、レースのカーテンも大きな枕も、豪華なベッドサイドランプもありはしなかった。
私が眠るそのベッドはどこまでも冷たく、硬く、凍っていて、けれどそれがどこまでも私らしいと思えたのだ。私はこの冷たいベッドさえも大好きになる覚悟が出来ていた。
ふわふわとした心地に任せて、とろけるように笑ってみようとした。けれど、上手く笑えなかった。四肢が思うように動かせなくて、零そうとした歓喜の涙は睫毛の上で瞬時に凍った。
「ポケモン達は眠るとき、怖がるのよ。大きな鳴き声を上げて、最後まで必死に抵抗するの。
わたくしがどれだけ酷いことをしようとしているのかを、賢いポケモン達はとてもよく解っているの」
賢いポケモン達、此処で眠らされることを恐れるポケモン達。最後まで必死に抗うポケモン達。
私が此処で眠ることを恐れないのは、私が賢くないからだ。私が抵抗しないのは、私に何の力もないからだ。
ほらやっぱり、知性や強さなど何の役にも立たない。ポケモン達はなまじ知性や強さを持つばかりに、この冷たさを祝福だと思えないのだ。眠ることを喜べないのだ。
……ああけれど、彼等は既に宝石だから、此処で眠る必要などなかったのかもしれない。だからポケモン達は怖がり、怯え、抵抗したのかもしれない。
それなら尚更、私が此処で眠れてよかった。此処はまさしく私のための場所であるということなのだから。私のような小石こそが、此処で眠ることを必要としていたのだろうから。
「サニーゴを、天敵のドヒドイデがいないこのエーテルパラダイスに保護しても、彼等は時折、広い海に戻りたくて暴れるの。
大切な人が消えた、向こう側の世界の命を手に入れようとして蓄え続けていた力は、けれど娘と息子の理解を得られず外へと持ち出されてしまった」
「……」
「恐ろしい不条理から免れようとしてわたくしがすることは、いつもわたくしの愛した命を悲しませる」
誰よりも美しい宝石が愛されないという不条理。宝石が何もかもを手に入れられず、一人寂しく凍っているという不条理。愛したものが愛したままに留まらないという、不条理。
あのヤドンやピカチュウは、あの氷の中から出たいのかしら。風のない穏やかな保護区で悠々と暮らしていたサニーゴは、幸せではなかったのかしら。
リーリエやグラジオは、ルザミーネさんのことを愛していないのかしら。彼等は、悲しんでいたのかしら。
「でもやっと、やっとわたくしの何もかもを許してくれる人に出会えた。自ら望んで眠ろうとしてくれたのは貴方が初めてよ、貴方だけなのよ、ミヅキ」
「……貴方の、初めてと唯一になれるなんて、とても嬉しい」
「……でもどうしてかしら、貴方を眠らせることが、怖いの」
彼女の頬が涙に凍っていた。泣きそうに顔を歪める彼女は、ここ数日でそう珍しいものではなくなっていたけれど、本当に泣いてしまったのは初めてだった。
彼女が泣いたから、私は笑った。泣かないで、と告げれば彼女は益々氷の粒を大きくした。
あれ、おかしいな。泣かないでと言った筈なのに。私は貴方を悲しませたくて、眠ろうとしているのでは決してないのに。
「わたくしはきっと間違っているんだわ、でも止まらないの。大好きな貴方にこんなことしちゃいけない、貴方を眠らせても何も解決しない。解っているのに止められないの。
貴方の声が聞こえない、温かい肌の貴方に触れられない、貴方が笑わない。そんなことよりもずっと、貴方が変わってしまうことの方が恐ろしいのよ。
人は変わる。生き物はいつかいなくなる。子供はいつか親の元を離れていく。それが当然のことだって、解っているのに……」
生き物が変わり続けること、子供が成長して親元を離れること、小石が淘汰されること、端役が排斥されること、それらは全て当然のこと、受け入れるべきこと。
けれど彼女は受け入れられなかったから私を眠らせている。私も、受け入れられなかったから眠ろうとしている。私も彼女も、きっとおかしい。
ああ、お揃いだ。私はようやく、この宝石と同じものを手にすることが叶った。
「ルザミーネさん、私もそう思います。貴方は間違っている。貴方はおかしい。でも大丈夫ですよ。私も間違っているんです、私だってずっとおかしかったんです。
貴方は一人じゃないから、ずっと私が此処にいるから、私、貴方とお揃いになるから」
私は目覚めないかもしれない。
私が大好きになった人、私と出会ってくれた可愛いポケモン、私が歩くことを許してくれたアローラの美しい大地。それらが皆、私を置いて走り去っていく。
私は此処で人の温度を手放し、息を忘れ、時を止める。誰にもできないこと、私にしかできないこと、私が宝石になるために必要だった、唯一の決意。
ポケモン達はきっと、素敵なキャプテンや島キングのところで幸せに暮らしていく。指輪を嵌めたリーリエはきっと彼女の元へ戻ってくる。
そうして私を忘れたアローラは、やはり美しく回るのだ。私の役目はこれでおしまい。それでいい、構わない。
私はそうした世界の外で、こうして冷たい宝石になるしかなかった。そうしなければ、生き残れなかった。
「だからお願い、私で最後にしてくださいね。だってそうじゃないと私、大好きな貴方の一番になれないんだもの」
でもグズマさん、貴方のことだけ少し、心配だなあ。
「貴方が本当の家族を愛せますように。もう代わりなんか要らないよって、笑えるようになりますように。宝石みたいな貴方が、誰よりも眩しく輝けますように」
ルザミーネさん、私を宝石にしてくれてありがとう。貴方とお揃いにしてくれてありがとう。私のこと、大好きになってくれて本当にありがとう。
だからお願い、私を起こさないで。私を綺麗な宝石のままにしておいて。貴方のためにずっと眠らせて。
私はもう、疲れたから。
2016.12.26
Thank you for reading her story.