天を読む藍

7 - Saturn (2) -

そんな彼に味方が現れた。
悉くギンガ団にとって「異質」な少女をこの組織が迎え入れてしまったその時から、寧ろこうなることは必然だったのかもしれないけれど。

「あの子を差し向けなければいけない」

たった一言、しかしジュピターのその一言が全てを物語っていた。
この女性も全てを知ってしまったのだと、そして彼女の組織に対する愛着は、自分のそれを遥かに上回っているのだと、そのためならたとえアカギをも裏切ってみせるのだと、
その強すぎる意思と、捨てきれなかった組織への愛着、そして彼女に何もかもを託す覚悟、それら全てがそこには詰め込まれ、歪な光を放っていた。

「……いいだろう」

そして、彼女に協力する意思を見せてしまったサターンもまた、歪だったのだろう。
誰もが歪だった。あの子供だけが完璧な輝きのままにそこに在るように思われた。藍色の目を持つ彼女の無垢な煌めきは、そんな我々の手に余り過ぎていた。

彼女は猛毒だった。

サターンはテンガン山に赴かなかった。アカギは彼に同行を命じなかったのだ。
何が起きようとしているのか、赤い鎖とやらで何を呼び出し、何を造り出すつもりなのか、その全てを彼が知ることはなかった。
しかし彼は生きていた。アカギというギンガ団の空虚な中枢を欠いたまま、ギンガ団の全てはあの事件を最後に散り散りになってしまった。
マーズやジュピターに連絡を取ろうと思えばいつだってできたのだろう。下っ端を呼び戻すことだって、多くの部下を抱えたこの青年には容易いことだったのであろう。
しかし彼はそうできなかった。失ったもの、変わってしまったものがあまりにも大きすぎたし、これからどうすべきか、何も見えて来なかったからだ。

そうして、トバリシティのアジトでただ徒に日々を過ごしていたサターンの前に、再びあの少女が姿を現したのだ。

マーズがよく梳いていた長い髪は淡く濁り、その先は無造作かつ無秩序に乱れていた。深く被られたニット帽には、いつかのように葉っぱや小枝が付いたままだった。
縋るように青年を見上げたその藍色からは、一切の光の類が消え失せていた。それは遠い宇宙の色にも、戻ることのない邪悪な闇の色にも思えた。
彼女の猛毒は彼女自身をも蝕み始めていた。

「アカギさんが見つからないの」

そう告げた彼女は、やっとそうすることが叶ったのだという風にぼろぼろと、あまりにも自然な心地で涙を零し始めたのだ。
シンオウのあらゆる場所を探した。テンガン山には5回も登った。ギラティナというポケモンに頼んで不思議な世界にも足を運んだ。それでも見つからない。どうすればいい?
それらを少女は少しずつ口にした。嗚咽は不気味な程に弱々しく、そのあまりにも静かな泣き方をサターンは少しばかり恐れた。
ああ、この少女にとって、たった一人を失うとはこういうことなのかと、サターンはその泣き様を目の当たりにしてようやく痛感するに至ったのだ。

「お前は何故、あの方を慕っていたんだ」

「……アカギさんのことですか?」

そうして丁寧な言葉を使った少女に、サターンは少しばかり驚いた。
このアジトに足を運んだばかりの頃、少女は誰に対しても砕けた言葉でしか喋ることのできない子供だったからだ。
目上の、年上の人には敬語を遣うべきだということすら知らなかった少女は、しかし此処に長く通い詰めていく中で、おそらくはアカギの傍で、
彼に話し掛ける人の全てが、そうした「丁寧な言葉」を操っていることに気付いたらしい。
彼女も少しずつではあったが、言葉の最後に「です」「ます」を付けようと努め始めていた。
それでもサターンやマーズ、ジュピターに対しては、気心の知れた相手であることも相まって、まるで親しい友人のような口ぶりで話すことを止めなかった。

しかしこの子供はまだ10歳だ。成長と変化の余地を十分に残し過ぎていた。
そんな彼女がサターンに対しても少しずつ丁寧な言葉で喋ることを覚え始めていたとして、それはしかし当然のことだったのだろう。
そうした「変化」に微笑みながら、しかしサターンは容赦なく質問を重ねた。

「そうだ。心を閉ざしたあの方を憐れに思ったのか?あの方に取り入って我々の野望を阻止するつもりだったのか?」

彼女は困り果てたように眉をくたりと下げ、首を振りながら「私はそういう難しいことは、何も……」と嗚咽の合間にか細く零した。
この子供は純粋に、アカギという一人の人間、そしてギンガ団という一つの組織を慕っていたのだと、解り切っていたことをその言葉で再確認させられたようで、息が詰まった。

「私に、いろんなことを教えてくれたんです。星の名前、月が丸くなったり欠けたりする理由、真っ黒な空の向こうに広がる宇宙のこと、夜は怖くないんだってことも。
アカギさん、向こうに行きたいって言っていました。だから私、置いていかれるんじゃないかって、思って……」

そんな筈はない、とサターンは思わず笑った。あの方がこの子供を置いていくなどということが起こる筈がない。サターンは半ばそう確信していたのだ。
おそらく彼はこの子供を連れていっただろう。他のギンガ団の連中を悉く切り捨てて、それでもこの少女の手だけは離すことができなかったのだろう。
彼は完全に、この少女に入れ込んでいた。彼女に毒され、絆されていた。サターンはそう見ていたのだ。

「サターンさん、アカギさんはもう戻って来ないのかなあ?もう、会えないのかなあ……」

白い絹のように滑らかな頬を、ぽろぽろと宝石のように涙が伝った。
少女の服に染みを作り、弱々しい嗚咽を零しながら肩を揺らし、それでも彼女は泣くことを止めない。泣き止みようがない。
「私にも解らないんだ」と告げれば、彼女は驚いたようにその暗い藍色を見開き、「サターンさんにも解らないの?」と、全ての希望が断たれたような絶望の表情を浮かべた。

「我々はあの方のことなど何も知らなかった。あの方に最も近い位置にいたのはお前だ。そのお前の知らない答えを、私が導き出せる筈がない」

でも、私にも解らない。そう告げて少女は完全に俯いてしまった。
絶望が少女を飲み込もうとしていることが分かったから、サターンはその華奢な肩をぐいと掴み、「ヒカリ」と名を呼んで彼女に前を向かせた。

「よく聞け、ヒカリ。解らないかもしれないが、どうか最後まで聞いてくれ」

そうして彼はあまりにも饒舌に、自らの思いと祈りを吐き出した。
この子供は理解しないかもしれない。10歳の少女にこの組織の歪さを受け入れろという方が無理のあることだったのかもしれない。
しかしそれでもサターンは言葉を止めなかった。どうしても、伝えておかなければいけなかったのだ。

「あの方は、……アカギ様は、我々を見下していた。使えない、つまらない連中だと吐き捨てるように口にしていたのは、お前も知っているだろう。
我々はあの方の駒に過ぎなかった。ただ利用するだけして、不要になれば躊躇いなく捨てられるような、そうした存在だった。
そうしてアカギ様は我々の心を操り、何もかもを意のままにして、望んだ全てを手に入れる筈だった。しかしその計画は狂った。他でもない、お前がいたからだ」

「……」

「いいか、お前がアカギ様を見つけたいと思うのなら、お前が動かなければならない。お前が望むなら私も力を貸すが、おそらくアカギ様は我々の前には決して姿を現さないだろう。
あの方が再び現れるとするならば、そこに選ばれる役者は当然、お前だ。お前以外にいる筈がない。お前でなければいけない」

お前が我々に残された唯一の希望なのだと、サターンは言い聞かせるように繰り返した。
しかしこの子供はその事実を容易には理解しないだろう。光を放つ存在は、自らが「光っている」ことなど知りようがない。
この小さな少女の視点からでは、今の世界には何の希望もないように見えるのだろう。彼女は自らの光をその目に捉えない。捉えようがない。
だから自分が言って聞かせるのだと、代わりにこの少女に知らしめるのだと、サターンは必至に言葉を重ねた。

しかし彼女は益々顔を歪め、泣きそうになりながら「私の、せいなのかなあ……」と自責と後悔の言葉を紡ぐ。
解っている。彼女の絶望はそう簡単に取り払われるものではない。自らの光に気付くことは恐ろしい程に難しい。解っている。解っていた。

「私が皆を不幸せにしたのかなあ。私が、皆を悲しくさせてしまったのかなあ?」

「それは違う」

大きく首を振り、サターンは少女の涙を指先でぎこちなく拭った。
ああ、アカギ様、何処で何をしているというんだ。この役目は他でもない、貴方のものではなかったのか。

「お前のせいではない。私達はずっと「悲しかった」。そうして悲しいまま、この世界と共に消えていく筈だった。
けれども今、私は少しばかり希望を持っている。お前ならアカギ様を見つけてくれるのではないかと思っている」

「もし、見つからなかったら?」

「……その時は、私が皆を集めよう。ジュピターやマーズをもう一度此処に呼んでやる。お前が望むなら、お前が名前を覚えた下っ端たちのことだって全員、集めてやる。
人が増えればまた、一からやり直せる。そうして新しい居場所を作ろう。作って、そしてアカギ様を待とう。大勢で待てば、少しは寂しさも紛れる」

何度も何度も言い聞かせた。飽きる程に言葉を重ねた。
たった一人とこうして心を通わせるにはこんなにも多くの音が必要だったのだと、他者の心と自分のそれとを繋ぐことはこんなにも大変なことだったのだと、彼はようやく悟る。
悟って、そして笑いたくなった。こうしたことを何もしないまま、アカギに付き従ってきた自分が、彼の心を読み解き、彼の心を開かせることなどできる筈がなかったのだ。

けれど、と思った。
もしお前が私達にもう一度チャンスをくれるのであれば、今度こそ、私達はアカギ様と向き合おう。
盲信することも懐疑の念を抱き続けることもせず、ただ真摯に、誠実に言葉を交わそう。拒まれても、何度でも挑んでみせよう。

やがて少女はサターンの願いを聞き届けたように大きく頷き、踵を返して駆け出した。
アジトを駆け足で出ていく少女の姿に、サターンは小さく呟いた。

「何もかもをお前一人に押し付ける、狡く卑怯で無力な私を、許してくれ」

そうして一つの季節が過ぎた頃、彼にもう一度チャンスが訪れる。

2016.3.19
(地に煌めく黄)

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