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「笑顔の眩しい子でした。一緒にいた大人しい少女と違って、勇敢で、快活で、何にでも笑いながら取り組む子でした。
スカル団の下っ端さんと戦っていた時も、とても楽しそうにしていましたよ」

茂みの洞窟でぬしポケモンのデカグースと対峙し、ポケモン諸共疲弊したグズマを、イリマは2本のミックスオレで労った。
缶のプルタブを開けてグソクムシャに手渡す。鋭い爪を持つ大きな手が、小さな缶を大事そうに抱える。そっと口へと運ぶ姿を見届けてから、グズマは2本目の缶へと手を掛ける。
イリマはそんな一人と一匹を涼しい笑顔で眺めている。微笑ましそうに目を細めている。

「そういえば、試練の時に『スカル団のお兄さんに助けてもらった』と言っていましたね。
巣穴へと逃げ回るデカグースの退路を塞いでくれた、と、とても嬉しそうに報告してくれました」

「……あいつら、こんなところでも油を売っていやがったんだな」

「ふふ、でもその「油売り」を彼女はとても喜んでいましたよ。
『あの二人にもノーマルZをあげてください。』とボクに頼んできた時には、流石に、困ってしまいましたけれど」

その「ノーマルZ」が、おそらくは少女が手にしたものと寸分違わぬ輝きで、今、グズマの手の中に在る。
ポケモンに秘められたタイプの数だけ、その輝きはある。かつてグズマの元に集められていた「ムシZ」を数えないならば、彼が彼自身の力で手に入れた宝石は、これが初めてだ。
アローラの日差しにその宝石をかざせば、眩しさがチカチカと目を刺した。
イリマはクスクスと笑いながら、「真っ直ぐに太陽を見上げるのはお勧めしませんね、目が悪くなってしまいますよ」と軽い口調で彼を窘めた。

「強くなる気がしていました。けれど真っ直ぐに強くなってはくれないだろうな、とも思っていました。当たってほしくない勘でした。でも、そうなってしまった」

この少年も、「彼女」がチャンピオンの間でどのようになっているのかを知っているのだろう。
ハラから聞いたのか、あるいは別の挑戦者からグズマのように写真を見せられたり、伝えられたりして知ったのかは解らないが、
何にせよ、この少年もグズマと同じように、少なからず驚いたに違いない。驚いて、このままではいけないと思い、ポケモンリーグに足を運んだ。けれどどうにもならなかった。
キャプテンという輝かしい地位を手に入れた成功者にも、ままならぬことがあるのだと、そうしたままならなさは至極当然のことであるのだと、
けれどそうした「当然」を、成功者の経験のないグズマは上手く理解できない。そういうものなのだと納得することが難しい。
故にイリマが悲しそうに目を伏せることが、どうにも不思議なことのように思われてならない。

「あいつのことが心配なんだな」

「勿論です。彼女はボクの大事な元教え子であり、同時に尊敬するトレーナーでもありますから」

あのような愚行を働く少女は、アローラの誰彼からも見限られているのかもしれないと、ほんの少しそう危惧していただけに、
イリマが毅然とした声音で「勿論です」と紡いだことは、グズマをこの上なく安心させていた。彼はけっと馬鹿にするように笑いながら、その実、胸を撫で下ろしていたのだ。
やはり「彼女」はちゃんと認められていたのだ。彼女の強さは、輝きは、正しく評価されていた。
彼女の吐き出したマラサダに思いを馳せるばかりでは到底、知ることの叶わなかった事実であった。

「彼女」の旅路を追ってアローラを歩くこと。彼女の時間を追体験すること。
そうした遠回りはもしかしたら、この上なく重要な情報をグズマに与えてくれようとしているのかもしれなかった。
あの美しい少女の元へ赴くだけでは知ることのできなかった「彼女」に、全く別の角度から触れることが叶うのかもしれなかった。

『お前に足りないもの、あの子に足りなかったもの、きっとこの旅で理解できることだろう。』
ハラはそれを見越して、グズマに島巡りの証を持たせたのかもしれなかった。

「貴方なら、彼女を連れ出すことができるかもしれませんね」

「……へえ、オレはスカル団ボスのグズマ様だぜ?そんなならず者のボスに、随分な期待を寄せるじゃねえか。

「ええそうです、ならず者の貴方だからこそ期待しているんですよ」

歌うようにそう告げたイリマに、グズマは大きく溜め息を吐いた。
その言葉の真意を尋ねる気力はとうに失われていた。今はただ、奮闘してくれたグソクムシャと共に休みたかった。
試練、お疲れ様でした。そんなイリマの声を背中に聞きながら、グズマは短いお礼の言葉と共に茂みの洞窟を出て、2番道路を南下した。

『そういうところが一人なんですよ、グズマさん。』
『ええそうです、ならず者の貴方だからこそ期待しているんですよ。』
子供というのは、不思議なものの言い方をする。それは何も「彼女」に限ったことではなかったのだと、グズマはまた一つ、新しいことを知る。

「……」

宝石を手に入れてみよう、と思った。
「彼女」が握り締めることの叶った、Zストーンという名の美しい宝石を、同じように手にしなければいけない気がしたのだ。
彼女を知る人に会おうと思った。彼女の話を聞こうと思った。彼等が彼女をどう思っていたのか、知りたいと思った。
彼女の輝きが幻想であったのか、それとも真実であったのか、その答えはきっと、この遅すぎた島巡りの向こうにある筈だ。

空になったミックスオレの缶を、ポケモンセンターの脇にあるゴミ箱へ投げ捨てた。カラン、という爽快な音が彼の決意をささやかに肯定した。
グソクムシャの入ったボールをもう一度握り締めて歩幅を大きくした。2番道路は彼にとって馴染みのある場所であったから、今更、道に迷うなどということは在り得なかった。
海沿いの道を南西に下り、きのみ畑を通り過ぎた頃になると、彼の心臓はキリキリと締め上げられ始めた。己を襲う感情の理由は解っていたから、グズマは特に動揺しなかった。

潮風に揺れる小さなブランコを睨み付けて、トロフィーの並ぶ窓を見ないように深く俯いて、ハウオリシティに続く緩やかな坂を駆け下りた。
ささやかな箱庭へと続くドアが開かないことを祈れば祈る程、彼の心臓は緊張と恐怖に揺れた。歩幅を更に大きくして乱暴に黄色い地面を蹴った。振り返らなかった。

ハウオリシティを行き交う人の声を耳元に認めて、ようやくグズマは自分が、2番道路をとうに歩き終えていることに気が付いた。
ボールを握る自分の手は汗ばんでいた。一度激しく打ち始めた心臓は、なかなか大人しくなってはくれなかった。

ただそこにいてくれるだけで、かけがえがない。

究極の愛を与えられ続けたグズマは、けれど「いなくなる」という最大の裏切りを両親に示すように、家を出た。
生みの親にそのような仕打ちを見せた自分が許せなかった。ささやかな幸福で満たされていた筈の家庭に、安息を見出せなかった自身がひどく腹立たしかった。

満足のいかない結果に対してあまりにも優しく賞賛されること、そもそも頑張ることさえも不必要なものであるとみなされてしまうこと、
どのように生きるべきだ、という指針を与えられないこと、強さの意味を教えてくれないこと、世界がどこまでも小さく閉じていること。
劣悪な家庭環境であるという訳では決してなかった。ただ、冒険心と野望を年相応に持ち合わせていた彼には、少年を極めたまま大きくなってしまった彼には、相性が悪すぎた。

けれどあのささやかな箱庭を飛び出して、そこからどうしようとしていたのだろう?
彼には解らなかった。誰も教えてくれなかった。教えを乞う術さえ彼にはなかった。彼はただ、生きるために足掻いていたのだ。酸素を得るために暴れていたのだ。
当然のことだった。

ハウオリシティの往来で、グズマは足をぴたりと止めてしまっていた。
自らの息苦しさを「彼女」の記憶で塗り替えるために、心臓の揺らぎを誤魔化すために、彼はかたく目を閉じて、彼女の言葉を記憶から引っ張り出し、感情の渦に放った。
放って、そして、彼女の心を紐解けないものかと思いを巡らせた。

『舞台から降ろされないように、排斥されないように、怯えながら頑張っているんです。滑稽でしょう?』
『私は、私にしかできないことが欲しい!』

『グズマさんのこと、大好きですよ。貴方といると、私が一人だってこと、忘れてしまいそうになるんです。』
『少しくらい、アローラのことを忘れていてもいいですよね。大丈夫ですよね。』
『私も死んだら大切にされるかしら?』
『貴方は宝石を食べられる人間でよかったですね。』
『私も忘れられるように努力するから。貴方と出会えて嬉しかったこと、楽しかったこと、貴方に救われたこと、そんな何もかも全部、此処に置いていくから。』

『グズマさん、貴方は私がいなくなっても大丈夫?』
『私はもうぶっ壊れているよ。だってそうしないと輝けなかったんだもの。誰からも価値を貰えなかったんだもの。私は、排斥されるだけだったんだもの。』
『だから貴方は眠らないでね、私みたいなことを考えないでね。』

『貴方は壊れてなんかいないよ。出会った頃からずっと、子供みたいで、怖がりで寂しがり屋で悲しそうで、そんな貴方のことが大好きだったよ。』

どの言葉を思い出しても歪であった。歪んでいない言葉などありはしなかった。けれどその歪みの源泉が、どうしても見つからない。
彼女が自らぐしゃぐしゃに絡めすぎたその歪を紐解くことは、存外、困難を極めそうである。

たった一人と向き合うことがこんなにも大変なことであるのだと、グズマはこの時、初めて知った。
彼は自らに欠けているものを知り始めていた。欠いた場所に埋まるべきピースには、「誠意」という名前が付いていたのかもしれない。


2017.1.29

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