23 pietoso

最後のオーベムが倒れた時、私の胸を支配したのは間違いなく安堵だった。
クロバットに労いとお礼の言葉をかけて、ボールへと戻す。

「強くなりましたね、シアさん」

降りてきた長い沈黙を破ったのは彼の方だった。
オーベムをボールへと仕舞い、私に歩み寄る。私はぎこちなく瞬きをした。
込み上げてくるものはすぐ傍にあったけれど、私がみっともなく泣くことを彼が許してくれたとして、しかし、それは今ではいけない気がしたのだ。

「繰り返しますがわたくしは、ポケモンの力を引き出す為なら、手段は何だってよかったのです。
人との交流で届かない高みがあるのなら、そこに心はなくとも、科学的アプローチのみで能力を発揮させてもいいのです。
……そしてどちらかというと、わたしはそれを望んでいた」

人間を信用していないと零した彼が、世界に理不尽を突き付けられ、その世界を、人を嫌った彼が、今こうして私の仮説を受け入れてくれている。
その意味を、私は正しく理解しなければならなかった。

「ですが貴方はわたくしに可能性を見せてくれた。
きっとこれは、世界がどう在るべきかと決める戦いだったのですね」

「……はい」

「しかしシアさん、まだ終わっていません」

私は思わず彼を見上げる。
私と彼とは、それぞれの正義と信念をかけて戦った筈だった。もうその戦いは終わったと思っていたのだ。

そして、此処へ来るまでに必要だったカードキーやパスワードを思い出す。
厳重なロックが掛けられたその向こうにいた彼こそが、プラズマ団を束ねる当人である筈だった。
事実として、彼は以前、私に『今はその組織をまとめるのに忙しい状況なのです。』と言っていた。
彼と戦い、勝利を収めた今、何をもってして彼は「まだ終わっていない」と言っているのだろう?

「貴方の証明は、まだ終わっていません。
わたくしの部屋に続く道の向かい側にもう一つ、ワープパネルがあったでしょう」

そう言えば、プラズマ団員がその道を塞いでいた。
彼は私に、そこへ向かえと言っているのだろうか?その先には、何が待っているのだろうか?
しかし迷っている暇はなかった。私は踵を返して駆け出した。

「気を付けて」

「!」

「わたくしはこれからするべきことがあるので一緒には迎えませんが、どうか注意してください。
プラズマ団はポケモンに対してこそ無慈悲なアプローチをしますが、貴方自身に危害を加えることはしなかった筈です。
ただ、……きっと彼は躊躇わない」

「彼」が誰のことを指しているのかに、私は気付くことができずにいた。
彼とのバトルを経て、心臓は弾けそうなくらいに煩く高鳴り続けていたし、何より私は涙を堪えるので精一杯だったのだ。
本当にこれでよかったのかと、気を抜けば振り返り、悔やみそうになっていたのだ。
だから私は、いつものように紡ぐことを選んだ。

「また、会えますよね」

その言葉に彼は目を見開き、しかしふわりといつものように微笑んでくれた。

「ええ、貴方がそう願うなら」

私は笑った。零れたものに、彼が気付いていないことを祈りながら、ワープパネルに飛び込んだ。
ふわり、と体が宙に浮く。先程の廊下に足を着けるより先に、零れた涙が床に弾けた。

「……」

どうして、あんな顔をしたのだろう。
彼とバトルをしていた時、彼が最初のポケモンを繰り出した時、私と一瞬だけ目を合わせた彼は、本当に優しく微笑んだのだ。

シアさん、わたしは彼等の居場所を守るために戦います。それがわたしにとっての正義です。』
『ですから貴方は、貴方の正義をもってしてわたしと戦いなさい。
そしてわたしに、こんな酷く屈折した正義は間違っていると、どうか知らしめてください。』
私は彼に証明できたのだろうか。それは本当に正しかったのだろうか?
それは彼の居場所を奪ってしまうことに繋がらないだろうか?彼等が昔の自分を重ねたというプラズマ団員達は、これからどうなるのだろうか?

私は頭を強く振った。今はそうしたことを考えている暇はないように思われたからだ。
私は彼を対峙することを選んだのだ。プラズマ団と戦うことを選んだのだ。誰に押し付けられるでもなく、強いられるでもなく、私が、選んだのだ。
……だから、貫かなければ。

私はそっと足を踏み出す。迷ってはいけない。此処で迷うことは、私の背中を押してくれた皆への冒涜になる。
全てを振り返り、悔いることがあったとして、それは少なくとも、今であってはいけない。

向かいのワープパネルを塞いでいたプラズマ団員は居なくなっていた。私は毅然とした足取りでパネルを踏む。
トウコ先輩とNさんはどうしているだろう。ふと、そんなことを思った。私の背中を押してくれたあの二人は、今も何処かで戦っているのだろうか?

「……」

そして私は、トウコ先輩の忠告を思い出す。思い出して、パネルの移動した先の暗い部屋で立ち尽くしていた。
……そうだ、どうして忘れていたのだろう。

アクロマさんが頻繁に口にしていた「知り合い」の存在。プラズマ団のリーダー格の立場にいながら、彼がその頼みを断ることができなかった存在。
2年前の七賢人の一人でありながら、王であるNさんよりも強い権力を持っていた人物。超人的な力を持つダークトリニティが忠誠を誓う人物。
国際警察に頼まれて七賢人を捜していたトウコ先輩が、唯一、見つけることのできなかった相手。
表舞台に姿を現すことをしなくなった、プラズマ団のボス。


「なんと愚かなことだ。こんな子供に絆されるとは」


壁一面に設置されたモニターには、プラズマフリゲートの全ての部屋や通路が映し出されているようだ。
団員達の喧騒が聞こえるところから察するに、音声も拾うことができるらしい。
そのモニターに向かって吐き捨てるように呟いたその男性は、椅子に掛けられたステッキを持って、立ち上がった。
私は彼の言葉を吟味することを忘れていた。「絆される」という、聞いたことのない言葉は、しかし私を注目させるだけの威力を持たなかった。
何故ならその言葉に注目するだけの余裕を、私は何処かへ置き忘れてしまっていたからだ。

「さて、アナタは幸運です。ワタクシ、ゲーチスの演説を、たった一人で拝聴できるのですから」

高い背は、黒いマントのようなもので覆われていた。
Nさんを思い出させるような新芽の色をした長髪は、後ろで一つに束ねられていた。
塞がれていない方の左目は、射るような紅い目をしていた。

「キュレムが秘めている真の力を、プラズマ団の科学力・技術力で極限まで引き上げ、イッシュを氷漬けにします!
恐怖に支配されたイッシュの民、ポケモンは、プラズマ団の、いやワタクシの、足元にひれ伏すのです!」

その荒んだ声音が私の鼓膜を抉った。

「キュレムは、虚無。とあるポケモンがレシラムとゼクロムに分離したときの余り。
ワタクシの欲望はイッシュの完全なる支配!そうです、キュレムという「器」にワタクシの欲望を注ぐのです!」

茫然と立ち尽くすばかりだった私は、彼の比喩を理解することができなかった。
彼が何をもってして、キュレムを「器」としたのか。虚無、……つまりは空っぽの存在であるというキュレムに、彼が何を重ねているのか。
2年前の騒動を見ていなかった私は、その本当の意味に気付けなかったのだ。
彼がNさんという「器」に、自分の欲望を注いでいたことなど、この時の私が知る筈もなかったのだ。

ただ、私は恐れていた。
私は旅をして、沢山の人に出会った筈だった。
けれどもその声音だけで私を硬直させ、言葉を失わせる程の衝撃と戦慄を与えた人間は、彼を置いて他に居なかった。

私はただ、恐れていた。
これが、私と彼の出会いだった。


2014.11.20

ピエトーソ やさしく情をこめて

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