私と彼は、ホドモエシティのポケモンセンターに立ち寄っていた。
ポケモン達を預けている間、私達の間には沈黙が降り続けていた。
まだ完全に泣き止むことができない私を、彼は黙って待ってくれている。
「ごめんなさい」
ようやく嗚咽が止み、最初に紡いだのはそんな言葉だった。
「私、守れなかったんです。金縛りに遭って、……何も、できなかった。
アクロマさんの言う通りでした。私、きっと思い上がっていたんです。ポケモンが居てくれるから、一人じゃないからって、傲慢になっていたんです」
あの時、彼の忠告を聞いて入ればよかったのだろうか?
……しかし、あの時の私には、彼の言葉に従うという選択肢はなかった。ただ、ヒュウを放っておけなかった。だから欲張りにも、手を伸ばした。
私は、自分を守っているだけではどうにも足りないのだ。それでは、私の周りにいてくれる人への示しがつかないと考えていた。
彼等が私を支え、手助けしてくれるのと同じように、私も彼等に報いたいと思うことは欲張りなことだったのだろうか?
私は大きく揺らいでいた。不安と恐怖とで押し潰されそうになっていた。
「いいえ、シアさん。貴方は正しい」
だから、彼のそんな言葉が、どうしても信じられなかったのだ。
「貴方の行動は正しい。何も、間違ってなどいません。わたしが貴方を止めたのは、わたし自身のエゴによるものです。
わたしは貴方に傷付いてほしくなかった。我が儘で欲張りだったのはわたしの方です」
「……」
「ですから、貴方を嫌いになったりする筈がないのですよ。それが他でもない、貴方に頼まれたことであったとしても」
『私のことを、嫌ってください。』
彼との別れ際に紡いだその言葉を私は思い出していた。
きっとこの人は私を軽蔑すると思っていた。人の忠告を聞かない私に呆れ、蔑み、嫌いになるとばかり思っていた。
それなのに彼は、我が儘だったのは自分の方だとまで言い、私の罪を引き取って優しく笑う。
「それに、放っておけないという気持ちは、わたしにもよく理解できます。
やはり、私と貴方は似ているのですね」
嘘だ、と、この時ばかりはそう思った。
こんなにも優しい人と、こんなにも無力で愚かで欲張りな私が似ている筈がない、と思ったのだ。
彼がその「似ている」に、彼のどの境遇を重ねているのかが解らなかった私は、そう心の中で唱えていた。
私はまだ、彼のことを知らなかったのだ。
「シアさん。貴方にとってヒュウという幼馴染は、「かけがえのない存在」ですか?」
「……いいえ、違います」
「でも、放っておけない。そうした思いは、間違っている訳ではありません。
世の中には、その人に「かけがえのない存在」を見出している訳ではないにもかかわらず、その人に手を貸したい、その人を支えたいとする複雑な思いが確かにあるのですよ。
そしてシアさん、貴方はそうした思いを抱く傾向が強いようだ」
かけがえのない存在ではないけれど、放っておけない、力になりたい。助けてあげたい。
私はその言葉を反芻し、縋るように彼を見上げて尋ねた。
「その思いに、名前はありますか?」
「……ええ、ありますよ。けれどわたしは貴方にそれを教えたくありません」
「どうしてですか?」
「貴方が、その言葉に飲まれてしまうかもしれないからです」
彼は不思議なことを言って、とても悲しそうに笑った。
私は彼の言うことを理解できずにいた。
ポケモン達の回復が終わり、私達はポケモンセンターを出た。
彼はボールからサザンドラを出す。久し振りの再会に私もそのサザンドラと簡単な挨拶を交わした。
その後で彼はその背中に乗ろうとしたのだが、ふいに何かを思い出したかのように振り向いて私へと駆け寄る。
「『かけがえのない存在だからこそ、その存在が脅かされた時、彼等は盲目となります。それは凄まじい憤りを引き起こす火種にもなり得ます。
大切だという思いが過ぎて、それが彼等の足枷となっているようにも感じられました。』」
「!」
私は焦った。それは私が先日の手紙に書いた言葉だったからだ。まさか彼はその内容を暗記してしまったとでも言うのだろうか?
唖然とする私の前で、彼は更に続ける。
「『けれど、それでも彼等はかけがえのない存在を想うことを止めません。自らが怒り、傷付き、苦しんでも、それでも彼等は大切だと紡ぐのです。
だからこそ、その思いは素敵な輝きと温かさを持っているのだと、私は思います。』」
彼の目に宿る二つの太陽には、私が映っていた。
「わたしは、この言葉が好きです」
「え……」
「好きですよ、シアさん」
彼はサザンドラに乗り、飛び去ってしまった。
難しくない言葉で紡がれたとても難しい言葉を、私はそれから長い時間、ずっと、持て余していたのだ。
『アクロマさんへ
お元気ですか?
私は今、ヤマジシティという町で手紙を書いています。
此処に来るまでに、色んな事がありました。一つずつ、お話をしますね。
先ず私はあれから、6番道路を抜けた先にある電気石の洞穴に向かいました。
この不思議な洞窟には、ポケモンが好む電磁波が流れていて、その磁場のせいで石が浮いていました。力を込めて押すとふわふわと流れていってしまいます。
ここではアクロマさんが連れていたギアルや、とても小さなバチュル、鋼・草タイプのテッシードなどがいました。
洞穴の中はとても入り組んでおり、迷いながらも何とか自力で抜けることができました。
電気石の洞穴を抜けた先にあるフキヨセシティには、小さな飛行場がありました。
この町で私は、私にポケモン図鑑をくれた、アララギ博士と出会うことができました。
彼女はカノコタウンのポケモン研究所で、ポケモンの考古学を専門に研究をしているそうです。
ポケモンという種族がいつ生まれたのか、その起源を調べているのだと説明してくれました。
彼女は私に、マスターボールという不思議なボールをくれました。「どんなポケモンでも捕まえることができる最高のボール」なのだそうです。
私は、ポケモンがポケモントレーナーの投げたボールの中に入ってくれるのは、ポケモンがそのトレーナーの実力を認めてくれたからだと思っています。
そのために彼等とバトルをしているのであり、その過程を経ることなく彼等をボールに収めてしまうそのボールに、私は違和感を抱きました。
表面にMと書かれた不思議なそのボールを、私は今も使わずに持っています。
フキヨセシティの先の7番道路には、背の高い草が生い茂っていました。その草むらを抜けると、タワーオブヘブンという大きな塔がありました。
ここは亡くなったポケモンを悼むための場所であるようです。静かなその空間には、ヒトモシやリグレーといったポケモンが生息していました。
ポケモンを喪い、悲しみに暮れている人ばかりかと思っていたのですが、生前の思い出話を楽しそうに聞かせてくれた女性もいました。
きっと彼女も、こうして笑えるようになるまでに、辛い喪失体験を乗り越えてきたのでしょう。
人間はとても強いいきものだと、私は思います。どんなに辛いこと、苦しいことがあっても、時間をかけて前に進むことができます。
苦しい体験を消化する術は人によって異なります。
その苦しさを怒りに変えたり、ひらすら嘆き悲しんだり、その体験を与えたもの全てを拒絶したりと、様々です。
その姿は、そうした苦しみを体験していない人には酷く歪に見えるかもしれませんが、けれどもそれが、彼等の精一杯の在り方なのだと、私は知り始めていました。
人間は強いいきものです。前に進むことを選ぶことができるからです。それでも生きていたいと、思えるからです。
フキヨセシティに戻ってきた私は、この町のジムリーダーであるフウロさんと戦い、6つ目のジムバッジを手に入れました。
その後、彼女の飛行機に乗せてもらい、この山岳地帯にある小さな町に辿り着きました。
明日にはこの町を出て、近くにある大きな洞窟に入ってみようと思います。
アクロマさん。
私が答えることを拒んだ質問に、やっぱり、答えようと思います。
私は貴方の事が大切です。けれどそれが「かけがえのない存在」なのかどうか、私には自信がありません。
何故なら私は今まで「かけがえのない存在」を持ったことがないからです。
けれど、貴方のことは大切です。けれどそれは、貴方の為なら誰かを放っておいてもいいと思える程の強さではないんです。
私はとても欲張りです。そして、そうでしか在れない自分が少しだけ、嫌いです。
シア』
2014.11.19
フィアッコ 弱々しく