私は彼からの手紙と本を、信じられないような気持ちで見ていた。
『手紙を、書いてください。』
確かに彼はそう言ったが、それは私からの一方的なコミュニケーションだとばかり思っていた。
私は彼に、無我夢中で旅の記録を書いて送ったけれど、まさかそれに返事が返ってくるなんて考えもしなかったのだ。
震える手で手紙を開ければ、流れるような美しい彼の字が目に飛び込んできた。
『拝啓 シアさん
早速、手紙を書いてくださったのですね。届いていますよ。ありがとうございます。
タマゴから孵ったロトムとも仲良くしてくれているようで、とても嬉しく思っています。
さて、書面にポケモンのことを事前学習しなかったことへの後悔が綴られていましたので、わたしから一冊、プレゼントさせて頂きました。
2年前のイッシュ地方に生息する、ポケモンのデータをまとめたものです。
生息地は変わっているかもしれませんが、ポケモンが好む環境は共通していますから、参考程度にはなるでしょう。
旅の邪魔にならないよう、なるべくコンパクトなものを選びました。お役立てください。
旅のことについて、とても詳しく書いてくださっているので、シアさんがこれまで歩んできた旅の過程を、詳細に想像することができています。
聡明で努力家な貴方は、これからも全てにおいて手を抜かずに取り組むことでしょう。しかし、無理はしないように。
貴方のことを心配しているポケモン達が、いつでも傍に居てくれることを忘れないでください。
わたしも、私用で近いうちにヒウンシティを訪ねます。もしかしたら会えるかもしれませんね。
敬具 アクロマ』
「……」
私はその手紙を、何度も何度も読み返していた。
『届いていますよ。』
読んでいてくれた。彼が、私の手紙を読んでくれていた。
胸を突き上げるような熱い感情を私は持て余していた。
どうしてこんなにも嬉しいのだろう。どうして嬉しいのに泣きたくなるのだろう。
簡単なことだ。私は彼から返事が来ることを期待していなかった。
私が書く手紙を、彼が研究の合間に読んでくれているかもしれないという、その思いだけで喜ぶことができたからだ。それ以上を私は望まなかった。
しかし彼はこうして手紙を送ってくれた。
旅をしているため、彼から私に手紙を渡すことは困難であるように思われたが、彼は知り合いのポケモンであるサザンドラに頼むことでそれを可能にした。
ポケモンバトルに関する事前学習をしなかったことへの後悔まで汲み取り、こんな素敵な本まで用意してくれたのだ。
その手紙を強く握り締め、沈黙のままに立ち尽くす私に、ロトムが怪訝そうにふわふわと宙を泳いで近寄る。
私の顔を覗き込むように見上げてくれるので、その頭をそっと撫でた。
「君を私に預けてくれた、とても素敵な人からの手紙を読んでいたの」
ロトムにそっと囁く。私を慕ってくれる小さな命。私を守り、私が守る、とても愛しいパートナー。
私はこのポケモンに相応しいトレーナーになれるだろうか?
私は手紙を丁寧に折り畳み、鞄の中へと仕舞った。
こんな私の旅路をそっと応援してくれる優しい人。私を信頼し、私が信頼する、とても大切な人。
私はこの人と同じ世界に靴底をつけることができるだろうか?私を支えてくれる彼に相応しい人になれるだろうか?
「私、強くならなくちゃ。君の為にも、私の為にも」
それが、今の私ができる精一杯の誠意だと、信じていた。
ヒウンシティ行きの船に乗った私は、そこで意外な人物と再会する。
「トウコ先輩、どうしてこんなところに?」
「たまには私も俗世間の空気を吸おうと思ってね。平和だったイッシュがなんだか最近、騒がしいから、のうのうと引きこもり続ける訳にもいかなくなっちゃったのよ」
そう言った彼女も、プラズマ団が復活したことを風の噂で聞いているようだった。
彼女曰く、2年前に解散したと思われるプラズマ団は、あれから二つの派閥に分かれたらしい。
「傷付けられたり、捨てられたりしたポケモンを守る」という方針に賛同していたメンバーと、「人間からポケモンを奪う」という方針に賛同していたメンバーだ。
前者はホドモエシティにその本拠地を移し、今も傷付いたポケモンの介抱や世話をしているらしい。
おそらく今、各地で好き勝手に人のポケモンを奪っているのは、後者の方だろうとトウコ先輩は説明してくれた。
「プラズマ団のトップは実質上、Nということになっていたけれど、あいつより少し下、もしくは同等の権力を持っていたのが「七賢人」なの」
「七賢人……?」
「アスラとか、リョクシとか……。なんか沢山いたような気がするわ。彼等は一度、国際警察に捕まったの。もうとっくに釈放されているけれどね。
ホドモエシティで活動している元プラズマ団の中にも、確かその一人が居た筈だけど、……何て名前だったっけ」
忘れちゃったわ、と呟く彼女に私は苦笑した。
人の名前を覚えることに関しては私よりもとりわけ優秀である筈の彼女に、思い出せない人物がいることが些か驚きだった。
あいつら、風貌が似ているから区別できないのよね。そう零して彼女は眉をひそめる。
「で、その七賢人のトップがゲーチスって奴なの。そいつが2年前のプラズマ団の全権を握っていたわ。
他の七賢人もそいつには敬語を使っていたし、きっと立場はNよりも上だったわね」
私は彼女の説明を聞きながら、2年前のプラズマ団が抱える複雑な人間構成に頭を悩ませていた。
つまり、プラズマ団の王はNさんで、彼を支え、彼よりも少し下の地位に居たのが七賢人。
けれどその七賢人を束ねるゲーチスさんという人は、Nさんよりも強い権力を持っている。
……ではどうして、ゲーチスさんがプラズマ団の王を名乗らなかったのだろうか?
「私は2年前、国際警察の人間に頼まれて、イッシュ各地に逃げた七賢人を探し出したんだけど、ゲーチスだけ、見つからなかったの。
あいつを慕っていた、黒っぽい3人の男がいたから、きっとそいつらの力を借りてイッシュの外へ逃げていたのね」
「そのゲーチスさんが、今回の復活したプラズマ団と何か関係があるんですか?」
「呼び捨てでいいわよ、あんな奴。……ええ、間違いなく、奴が絡んでいるでしょうね。
前回はポケモンを解放することをイッシュ各地の人間に説いて回っていたけれど、今回は表舞台に姿を出すことはしなくなったみたい。
各地のジムリーダーに聞いて回ったけれど、目撃情報が皆無だもの」
「……トウコ先輩、ジムリーダー達のこと、嫌いだって言っていませんでした?」
「ふふ、何を言っているの。使えるものは何でも使うのよ、私は。たとえそれが、大嫌いな相手であってもね」
彼女は気丈にそう言い放ち、得意気に笑ってみせた。
「私はまた各地で探りを入れてみるつもりだけど、あんたも気を付けなさいよ」と言って私の頭を乱暴に撫でる彼女は、しかし私のことは嫌いではないようだった。
「先輩、イッシュ地方なんか大嫌いだって言っていたけれど、そのイッシュの為に奔走しているところを見ると、やっぱり嫌いになりきれない部分があるんですね」
ちょっとだけ、嬉しいです。
そう続けた私に、何がおかしかったのか、彼女は声をあげて笑い出した。
唖然とする私に、彼女は笑いを堪え切れていないままにまくし立てる。
「馬鹿なことを言わないで。いつ私がイッシュの為に奔走しているなんて言ったのよ」
「違うんですか?」
私は驚いた。彼女が再びこうしてイッシュを飛び回っているのは、てっきりイッシュ地方に訪れた脅威のためだと思っていたからだ。
当たり前よ、と彼女は答え、おどけたように笑ってみせる。
「私はいつだって自分の為にしか動いていないわ。2年前も、今もね。
私の世界は私とNとを中心に回っているのよ。他の奴なんて知ったことじゃないわ。そのNが、今回の件に悩んでいるみたいだったから、私もちょっと協力しているだけ。
解った?だからもう、そんな癇に障るような発言は慎んでよね。今の言葉、もしあんたじゃなかったら、蹴飛ばしていたわよ」
「ご、ごめんなさい」
「……まあ、別に気にしていないけどね。イッシュを嫌いだって豪語した私のことを、心配してくれているんでしょう?ありがとう。
でもまあ、そんな気遣いは無用だったってことね。覚えておきなさい」
それに、と付けたし、彼女はとても素敵なウインクをこちらに送ってみせるのだ。
「今回は、旅に出るあんたの為でもあるんだから」
「!」
「あんたの旅路が少しでもマシになるように、この偉大な先輩が協力しているのよ。だから精々、頑張りなさい」
私は肩を竦めて「はい」と返事をする。
この人には、敵わない。
2014.11.18
スケルツァンド 戯れるように