23 da capo

彼は白い陶器の入れ物を手に取り、軽く振った。カラカラと小さな音がするその中に、もう角砂糖は一つしか残っていないらしい。
彼は立ち上がり、オブラートのようなものを取り出した。
その小さな角砂糖を、オブラートでキャラメル包みにして私の掌に落とした。
帰り道にでも、舐めてください。そんな風に勧める彼は、ひょっとしたら角砂糖を飴玉か何かと勘違いしているのかもしれない。
それがおかしくて私は笑った。先程の不安は、彼のあの言葉がしっかりと拭ってくれていたのだ。

彼は近くにあったグラフ用紙を手に取り、そこにペンで何かを書き始めた。
カラクサタウン、という単語がある点からして、何処かの住所のようにも見える。
流れるような字で書いたそれを、彼は小さく折り畳み、私に手渡した。

「手紙を書いてください」

「手紙……?」

「どんな些細なことでも構いません。何処に居るのか、どのような人と出会い、どのようなポケモンとバトルをしたのか。一行でも、一言でもいい。
もし何か伝えたいことができたら、この住所に送ってください」

その言葉に、私の目にはとても解りやすい希望が宿っていたに違いない。
これで終わりではないのだという確信は、私の心を温かくするに十分だった。

「また、会えますか?」

私はその紙と角砂糖をポケットに仕舞う。
そして、自分の中の不安を消し去りたくて、確認の質問を投げる。しかしその言葉に、彼はとても楽しそうに笑った。
「さあ、どうでしょうか?」と紡ぐ彼に、私はまた不安の淵に追い詰められたような気分になる。
しかし彼の言葉はそこで終わらなかった。

「ふふ、ではこうしましょう。シアさん、またわたしに会いたいですか?」

「……も、勿論です!」

「それなら、必ず会えるでしょうね。私達はとてもよく似ていますから」

『では、きっとわたし達は似ているのですね。
ですからこう考えてください。貴方がわたしを思っているように、わたしも貴方を思っているのだと。』
その言葉は、あの時の彼の発言を思い出させた。私はそれでようやく笑うことができた。
大丈夫、大丈夫だ。私は彼にまた会いたいと思っている。こうして、彼と連絡を取る手段もある。ただ、少し離れるだけ。それが、寂しいだけ。

「……そうだ、このオイル時計も貰ってください。元々、貴方のために用意したものですから」

「え、でもさっき、アクロマさんも眺める時があるって、言っていましたよね」

「だからこそ、わたしが持っている訳にはいかないのです。わたしはその時計に海を重ね過ぎた」

彼はまたしても、難しくない言葉で、難しいことを紡いで笑う。
その笑顔が頑として譲らないので、私はその美しいオイル時計を譲り受けることにした。
この時計で測る3分が、何よりも好きだった。きっとこの時計は、その時間をいつまでも記憶として留めておいてくれる。そう、私は確信していた。

彼は徐に立ち上がり、扉を開ける。
白い手が旅路を指し示す。

「さあ、行っておいで」

心のままに任せたとすれば、きっとその手に縋ったのだろう。
しかし私の衝動は、その心よりも欲張りだったらしい。その腕に勢いよく飛び込んだ。
オイル時計を握り締めたまま、背中にそっと手を回せば、彼は私の頭をそっと撫でてくれた。
ふわりと、この優しい世界を象徴する紅茶の香りがした。

「アクロマさん」

「はい」

そっと顔を上げる。
吸い込まれそうな太陽の色があった。映る私は泣きそうだった。だから、私は笑ってみせた。

「行ってきます!」

駆け出した。止まらなかった。振り返らなかった。扉の閉まる音はしなかった。
彼が預けてくれた命を腕に抱き、海の色をしたオイル時計を握り締めて走っていた。
その終わりは、実にあっけなく訪れていた。

やがて息が切れた私は、ポケットに入れていた角砂糖を取り出した。オブラートでキャラメル包みにされたそれをそっと開き、口にポイ、と放り込む。
自然と笑みを作る。張り詰めていた糸が一気に切れる。込み上げてくるものを止める術を、もう私は持っていなかった。

砂糖って、こんなに苦かったのかな。
こんな、悲しい味だったのかな。

「……、」

(馬鹿。止まれ、止まれ……!)
心の中でそう叫び続け、しかしその命令は何の意味も持たなかった。

あの場所は私の大好きな場所だった。少なくとも、旅立つ明日を想像して涙が止まらなくなってしまう程には。

その時だった。腕の中の命にひびが入る。ぽろぽろとタマゴの殻が割れて、アスファルトに落ちていく。
いくら心の中で叫んでも止まることをしなかった涙が一瞬の内に止む。
春の終わりを告げる温かい風が、私の濡れた頬をそっと撫でていった。
やがて現れたそのポケモンの名前を、私は偶然にも知っていた。それは、アクロマさんがこの間、連れていたポケモンだったからだ。

「……ロトム」

あの白衣を掴んだ冷たさが。そのまま私の腕の中にあった。
待ち焦がれた命との邂逅を、みっともない泣き顔で迎えてしまったことを、一先ずは最初の手紙に書いてみようか。

「はじめまして」

涙の跡を作ったまま、私は優しく笑ってみせた。
ロトムはふわふわと漂い、私の髪をくいっと引っ張った。驚く程に軽いその身体をそっと抱き上げて、私は立ち上がる。
アスファルトを蹴って、駆け出した。

彼は私に何をくれたのだろう。
私は彼に何を求め、そして彼の傍に何を見出そうとしたのだろう。
この子と共に、住み慣れた町を飛び出す私は、果たして彼の傍で居ること以上の世界の広がりを見ることができるのだろうか。
そんなことを思いながら、彼と過ごした一つの季節を懐かしみながら、私はロトムを抱き締めて走った。

物語はまだ、始まってすらいなかったのだけれど。

2014.11.17

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