21(C)

それから私は毎月、シェリーの手紙をフラダリさんの元へと届けていた。
彼女がいなくなってからも定期的に届くその手紙を、彼はどのように思っているのだろう。私は想像するしかなかった。
彼は私が、シェリーとこの5年間、ずっと隠れて会っていたことをしらない筈だった。それが彼女の作った世界だった。
全ての人間と関係を絶っていた筈の彼女が、どうやってこの手紙を送っているのか。
いなくなってしまった彼女からの手紙、この真実に彼は気付いていない筈だった。私は彼にも大きな隠し事をしていたのだ。

できることなら、このままずっと隠していたかった。
フラダリさんにとって、この手紙は生きる希望になっていたのだと思う。だからその手紙を送っている人物の存在など、きっと知らない方がいいのだ。
これはあくまで「シェリー」からの手紙であり、その背後にいる私の存在を気に掛ける必要などないのだから。
そう思った私は、次の月も、その次の月も、夜中の1時頃に彼のカフェに向かい、扉に彼女の手紙を貼り付けていった。
あの夜以来、私が彼と話をすることもないまま、そうして時間はずっと流れていく筈だった。
私の庭に挿し木をした金木犀の背が伸びていく程度のゆっくりとした速度で、私も彼女の喪失を受け入れていく筈だった。そうなる筈だと信じていた。

その扉に、私宛の大きな茶封筒が貼り付けられているのを見るまでは。

その封筒に書かれた私の名前を見た時に、私がどれほど戦慄したかは想像に難くないだろう。
いつから、いつから見抜かれていたのか?眩暈のする頭で私はその茶封筒を扉から引き剥がした。
ガタンと扉が大きく揺れ、私は慌てていつもの手紙を貼り付けて駆け出した。
近くに会ったポケモンセンターに駆け込み、ソファに座ってその茶封筒を開け、息を飲んだ。そこには大量の便箋がまとめて入れられていたからだ。

私はそれを恐る恐る取り出してみた。そして、気付いた。
字が幼いのだ。大きさがまばらな、まだ鉛筆を持ちなれていないような子が書いたその手紙に私は驚き、そして先程の心配は杞憂だったのだと思い直すことができた。
シア」という名前は私ではなく、シェリーが借りていた「偽名」の方を指していたのだ。
あのカフェに通っていた子供達、シェリーを慕っていた彼等が、彼女に向けて手紙を書いてくれたのだ。

私は夢中でその手紙を読んだ。シア、と呼ばれる私ではない人物への想いにくすぐったい気持ちになりながら、私はその手紙を捲っていった。
子供達の文面から、彼等がこの手紙の送り主を「シェリーの幽霊」だと思っているということが直ぐに解った。

『ユーレイになってまでおじさんに手紙を書くなんて、シアお姉ちゃんは本当におじさんのことが大好きなのね。』
『おじさんに手紙を書いてくれてありがとう。手紙を読んでいるときのおじさんはとてもうれしそうにわらっているんだ。ぼくにもお返事を書いてね。まっているから。』
まだ10歳に満たないような子も、習った文字を駆使して懸命に手紙を書いていたことが見て取れた。
彼等の字は読み辛いところもあったけれど、それでも私は込められた想いに心を揺らした。時に微笑み、時に泣きそうになりながら、子供達の手紙を読み進めていた。

『おじさんは隠しているけれど、でも僕等は知っているよ。幽霊の正体も、幽霊になってしまったシアがもう戻ってこないことも。』
年長者らしい少年の整った字でそんなことが書かれているのを見つけ、私は息を飲んだ。
フラダリさんは子供達に「幽霊から手紙が来た」と告げていたのだということが、この一文ではっきりと解ったからだ。
だから彼等は一様に、手紙の中で彼女のことを「幽霊」と呼んでいたのだ。
それは子供に聞かせるための彼の嘘だったのだろうか。それともフラダリさんは本当に、私が今まで送り続けてきた手紙が、彼女の幽霊からのものだと思っているのだろうか。

そしてそれらの手紙の一番下に、フラダリさんが「シェリー」に宛てた手紙が残されていた。
彼の言葉は鋭く私の心を抉っていった。彼が辿り着こうとしている真実に眩暈がした。
ああ、なんだ。私が全てを話さなくても、彼女が告白しなくても、彼女を想っていたフラダリさんは、彼女のことなんてとてもよく解っていたのだ。

「……」

私は、どうすればいいのだろう。
この子供達に返事を書いてあげたい。彼等の想いに応えてあげたい。
けれど、違うのだ。その返信はあくまでも「シア」からの返信であって、彼等が望む「シア」からの返信ではない。
彼等が望んだ「シア」からの手紙を、私は届けることができない。

彼女の筆跡を真似してみようかとも思った。けれど、無理だった。
私はそこまで器用ではないし、何より子供達に見抜かれなくとも、フラダリさんなら即座に気付いてしまうだろうと思ったからだ。
けれど「真実」を告げることはどうしても躊躇われた。フラダリさんと子供達に、残酷な告白をすることがどうしてもできなかった。
そうすることで彼等がどれだけ悲しむか、想像するのはあまりにも容易かったからだ。私にはそうした臆病な面もあったのだ。

だから私は、卑怯な一手を投じることにした。

私はイッシュへと戻り、数日をかけて彼女が書いた手紙のコピーに全て目を通した。
あのカフェに通う子供達のことが書かれていた部分を拾い上げ、この子がどんな子であるのかを限られた情報の中で私なりに把握するという作業を繰り返した。
彼女の手紙には、子供達一人ひとりの姿が克明に記されていた。
この子は勉強が好きな子だった。この子はよく転んでけがをしていた。この二人は喧嘩ばかりしていたから心配だ。
彼女が愛した、彼女を慕った子供達のことを、彼女がフラダリさんに宛てた手紙は雄弁に語っていた。
私はそれら全てを読んでから、白い便箋に、彼等への返信を1通ずつ書いた。カロスの言葉で、誤字が無いように気を付けながら、丁寧に書き記していった。
私は子供達の望む「シア」になりきることを選んだ。

その一方で、フラダリさんへの返信には、ありのままを伝えることにした。
私がシェリーを演じたとして、きっと彼は見抜いてしまう。だから私は「シェリー」ではない、という残酷な真実を、彼にだけは正直に告白することを選んだ。
もう、隠せないと解っていた。私は全てを彼に話さなければならないと思ったのだ。
私はたった数行の手紙を書き、青い便箋に入れた。

その1か月後、私は子供達とフラダリさんに宛てた手紙を、大きな茶封筒に入れていつもの扉へと貼り付けた。
名前は、怖くて書けなかった。

『3日後の午前10時に、このカフェにお邪魔します。
私の知っていることを全て話します。だから貴方の話も、聞かせてください。』

「……笑ってください。わたしも、本当に彼女が幽霊になって戻って来たのだと思っていたのですよ」

その言葉は私の心臓を冷たい温度をもってして貫いた。
そこには「どうして騙し通してくれなかったのだ」という叱責が含まれているように思われたからだ。
私のこの選択は間違っていたのだろうか?子供達を騙したように、彼のことも騙した方がよかったのだろうか。
私は迷っていた。己の選択を悔いていたのだ。悔いることなく終えられた選択など、今まで一度もなかったのだけれど。

「彼女の字はもっと荒っぽく、乱雑でした。貴方の手紙に書かれた字はあまりにも整い過ぎていた。誤字の一つもなかった。
それにあの子は、一枚だけの手紙の時に、何も書いていない便箋をもう一枚添えておくなどという作法を知りません」

彼の言葉の全てが「私がシェリーでない」というその事実を責めているように感じられた。私は居たたまれなくなって歩みを進めた。
フラダリさんが彼女を失って、悲しんでいることは解っていた。けれどフラダリさん、忘れないで。彼女がいなくなって悲しいのは、貴方だけじゃないんですよ。
私は静かな声音で彼を糾弾する準備を整え始めていた。私はさっと表情を消した。それは私が怒りに我を忘れそうになった時の癖だった。
軽く息を吸い込み、その言葉は喉まで出かかっていたのだ。

「ありがとう、わたしに手紙を届けてくれて」

その言葉を聞かなければ、私は彼を責めることができていた筈なのだ。
喉元で用意されていた声がパチンと音を立てて消えてしまった。私は驚きに目を見開いた。
この人は私を責めてなどいなかったのだと、気付いた瞬間、熱いものが込み上げてきた。

「私を、」

そしてようやく私は気付く。私はこの人に責められたかったのだと。私はこの人を責めたかったのだと。
私も彼も、シェリーを救うことができなかった。私は責められるべきだし、私は彼を責めていい権利があると信じていた。そして、それは彼も同じである筈だった。
乱暴な言葉を投げて、憤ることができると思っていた。私の喪の作業はそうして始まるのだと信じていたのだ。

「私を、責めないんですか?」

けれどフラダリさんは私を責めない。責められるべき人間を責めるべきではないという、当たり前のことを彼は唱えるかのように私にお礼の言葉を紡ぐのだ。
双方が叱責し合うその未来を私は予想していた。それは異常な行動であったのかもしれないけれど、それでもよかった。
だって親友をこんなにも早く失ってしまうということが、それもその死が彼女の緩慢な自殺によって引き起こされたという事実が、正常である筈がないのだ。
異常なものの中で異常に振舞ったとして、誰も私達を咎めない。だから思い切り怒鳴ってもいいのだと、泣き喚いてもいいのだと、そう思っていた。

それなのに、彼はその異常な喪失の中に正常な倫理を持ち込み、責めるべき対象である私にお礼を紡ぎさえするのだ。
その異常な優しさに耐えきれなくなって私は涙を零した。
だから私は、その彼の優しさに、真実をもって応えなければならなかった。

「聞かせてくれますか?貴方のこと、彼女のこと、あの5年間のことを」

私は小さく頷いた。喪の作業はこうして始まったのだ。


2015.4.3
deuil-追悼(仏語)
異常な環境において、正常な反応は寧ろ異常である(V・E・フランクル著「夜と霧」より)

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