13:Letter(61通目)

5年前の事件の舞台となったセキタイタウンは、今ではもう以前の穏やかさと静けさを取り戻していた。
最終兵器の跡地であった穴は完全に埋め立てられ、やわらかな芝生がその地面を覆っている。
5年も経てば生態系も変わる。以前は生息が確認されていなかった、白やオレンジのフラベベが町の随所で戯れていた。
フラダリはそんな穏やかな町の様子を見ながら、町の中でも一際背の高い家へと足を運ぶ。

3mはあろうかという高さのドアをノックすれば、フラエッテが出迎えてくれる。3枚のすっと伸びた赤と青の特徴的な花を携えている。
フラダリはそのポケモンと軽く挨拶を交わしてから、傍にいた背の高い男に向き直った。
この男こそ、3000年前にあの毒の花を生み出した人物であり、永遠の命を授かったポケモンと共に、この町でひっそりと暮らしているかつての王に他ならない。

男はフラダリの姿だけで、彼が何を目的として自分を訪ねてきたのかを察したらしく、「ついて来なさい」と呟いてから家を出た。
その木は裏庭に植えられていた。フラダリの背丈よりも少し低いその木を飾るように、オレンジ色の花が無数に咲いていた。
フラダリはその花を視界に収め、思わず息を飲む。その4枚の花弁には覚えがあったからだ。
「彼女」がフラダリに宛てた手紙の入った封筒に、4枚の花弁をした花がいつも小さく書き込まれていた。そして、その封筒の色は、この金木犀のオレンジ色によく似ていた。
何より、先日届いた61通目の手紙からは、この金木犀の香りがしたのだ。

ああ、彼女の手紙の外郭はこの花によって形作られていたのかと、フラダリはようやく気付く。気付いて、いたたまれなくなる。
自分は何も知らなかった。大切なことを何も話さないまま、彼女のことを何も知らないままに、彼女はいなくなってしまったのだ。
しかしもう泣くことはなかった。男はもう既に泣き疲れていたからだ。

「……昨日は、手紙をありがとうございます」

礼を言っておかなければならないと思い、フラダリはその男、AZに頭を下げる。
しかし彼は怪訝な顔をして首を捻ったのだ。

「昨日?私が手紙を渡したのは一昨日である筈だが」

「その翌日に、扉に貼ってくださっていたでしょう。61通目の手紙です」

AZはその傍をふわふわと漂っていたフラエッテと顔を見合わせ、何かを確認し合うように視線を交わらせてからゆっくりと首を振る。
その反応に驚いたのはフラダリの方で、その僅かに青い目を見開いて沈黙した。

「残念だが、私が彼女から受け取っていた手紙は60通だけだ。昨日はずっとこの家にいた」

「そんな……」

フラダリは愕然とした表情のままに立ち尽くした。
昨日の朝、カフェの扉に貼られていた「彼女」からの手紙を届けられる人物がいるとするならば、それはこの男を置いて他にいないと思っていたのだ。
彼女がフラダリに隠して交流を持っていた人物、彼女が書いた60通の手紙をまとめて届けてくれた人物。
AZに「彼女」が手紙を託していた。あの手紙は彼女からの、ちょっとした悪戯心だった。そう考えるのが論理的であるとフラダリは確信していたのだ。

けれどその仮説が、他でもないAZによって否定された今、あの61通目の手紙の送り主は誰だったのか、という疑問が依然として残ってしまう。
フラダリは思考を巡らせようとしたが、それはやはり袋小路になったままだった。
彼は結論を導き出すことができないまま、少しでも手掛かりを求めて足掻くことしかできなかったのだ。

そして、フラダリがその前日の夜に出会った女性の正体にも、彼は依然として辿り着くことができずにいた。
『だから、また会えるかもしれませんね、フラダリさん。』
5年前のあの日から、フラダリは自身の格好を変え、名前すら伏せて生きてきた。今の今まで、自分のことをフラダリであると見抜いた人間はいなかった。
加えて、あの時は夜だった。フラダリが相手の顔を確認することができなかったのと同じように、あの女性もフラダリの顔を見ることなどできなかった筈なのだ。
変わり果てた自分を「フラダリ」であると即座に見抜くことができるとすれば、それは「彼女」を置いて他にいないのだと、知っていた。
けれど、彼女はいない。いる筈がない。

「……貴方は、3000年に渡る時を生きてきたのですよね」

「ああ、そうだ」

「では、幽霊に会ったことはありますか」

その言葉にAZは目を見開いた。この知的で冷静な男から幽霊などという単語が出てきたことへの純粋な驚きがそこにはあった。
フラダリに届いたという61通目の手紙を、その送り主を、彼は理解しかねているのだ。だから同じく、理解の及ばない存在に助けを求めようとしているのだろう。

「霊的な存在を見たことはある。だが、幽霊が手紙を出すなどという話は聞いたことがない」

少しの思案の後で、AZは正直に答えることにした。そうですか、と弱々しく相槌を打って、フラダリは金木犀の木に歩み寄る。
『私、これからは毎月、この町に来ることになっているんです。』
あれは本当に「彼女」だったのだろうか。
少し声が大人びたように低くなり、白と青という、以前に着ていたものとは対照的な色を纏って現れたあの女性は、「彼女」の未来の姿だったのだろうか。
クスクスと笑うその様子に強烈な既視感を抱いたのも、フラダリの手元にあった大量の手紙について言及しなかったのも、彼女が「彼女」であるからだったのだろうか。

そんな姿になってまで此処に留まりたいという意志をみせるくらいなら、いっそ生きたいとあの時に強く望んでくれればよかったのに。

そんなことを思いながらただ沈黙するフラダリに、AZは「彼女」を重ねていた。
ライラックの芳香を漂わせるその木を、あの少女はとても大切に育てていたのだ。
伸びすぎた枝を剪定したり、枯れ落ちた花を掃除したりしながら、彼女はこの木と共に季節を噛み締めていた。

「この花のようになりたかったのだと言っていた」

AZのその言葉にフラダリは振り返る。

「存在しているだけで素晴らしい芳香を持つこの花は、しかしとても小さく控えめに咲いているからこそ美しいのだと。
欲張りな私はそのようになれなかったから、だからこの花に叶えてもらうのだと」

『金木犀の香り、好きなんです。でもこんなにいい香りをしているのに、花はとても小さいでしょう?とても謙虚な、美しい花ですよね。』
『私もそんな風に生きたかったけれど、私はとても質の悪い欲張りな人間だから。』
『だから、この木に託すんです。この花が私の願いを叶えてくれるの。素敵でしょう?』
まだ彼女が以前の快活さを保っていた頃、AZに話してくれたその言葉を彼は覚えていた。
自ら望んで命を縮め、残された時を懸命に生きた彼女のことを、彼は忘れていない。忘れられる筈がない。

AZは金木犀の木を見下ろし、驚きに目を見開く。「彼女」が大切に育ててきたその金木犀の、大きすぎる変化に息を飲む。
金木犀の先に伸びた枝の一部が、控え目に切り取られていたのだ。
AZはそれが「誰」の仕業であるのかを知らない。けれど同時に、その「誰か」の正体に辿り着いてもいたのだ。
それは彼の推測に過ぎなかったのだけれど。それでも3000年の永い月日を生きてきた彼には、そうした人の思いが為せることの大きさをとてもよく知っていたのだけれど。

「彼女が亡くなったのは、あの花に触れ続けていたからだけではない」

……本当は、この真実をフラダリに告げるべきではなかったのかもしれない。
『悪いのは、あの花だということにしておいてください。そうすればきっと、フラダリさんは二度とあの花を咲かせようとはしないでしょうから。』
AZにそう告げた「彼女」の意向を組むならば、彼はこの真実を伏せておくべきだったのだ。
けれども同時にAZは確信していた。もうこの男はあの花を使わない。フラダリが永遠の美しさを求めて神の道具を手に取ることは、もう二度とない。

「イベルタルだ。彼女はあのポケモンに自らの命を分け与えていた」

「……何故」

「彼女はわざとお前にそのことを教えなかった。自分の死の原因はあの花にある。そうお前に告げれば、二度とあの花が使われることはないだろうから、と」

告げられたその真実に、フラダリの目は大きく見開かれた。
その手に握られていた61通目の手紙がぱたりと地に落ちる。金木犀の花がそれに合わせるように空へと舞い上がる。


『フラダリさんへ

驚きましたか?
誰かの代筆ではなく、これは私が書いた手紙です。私が、貴方に宛てた手紙です。
フラダリさんと暮らすようになってから、私は1か月に1通、手紙を書き溜めていました。
その全てをAZさんが届けてくれたと思います。少し多かったかもしれないけれど、読んでくれたこと、本当に感謝しています。

貴方にまたこうして手紙を書いたのは、貴方に約束を守ってほしかったからです。

フラダリさん、生きてください。
30年、一緒に生きるというあの約束を、どうか最後まで果たしてください。私は一緒にいられなくなってしまったけれど、どうか後を追ったりしないでください。
貴方が約束を破ることのないように、私から1か月に1通、手紙を送ります。約束の30年がやって来るまで、ずっと送ります。
だからどうか、私のような狡い選択をしないでください。貴方は私とは違うのだと、この30年を持って証明してください。

次からは、また今までの手紙のように、沢山、書かせてください。
フラダリさんのこと、私のこと、カフェに通ってきてくれる子供達のこと、またいつものようにお話をしましょう。
貴方のことも、聞かせてください。

シェリー


2015.4.1

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