何の脈絡もないSSばかりのページです。実は名前変換にも対応済み。
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6月下旬より続けていました1日1セイボリーは文字数を大幅に落としてこちらへ移行しました。
(7/20)SSにも満たなさそうな会話文、極端に短いもの、本編に組み込む予定のない突発エピソード、などはタグ「ちりがみ」に格納します。タイトル冒頭には(塵)と付けます。
▽ 葉桜と魔法
2019.03.31 Sun * 23:11
(桜SS 4/10)
「ほら、見てくださいゲーチスさん」
女性の指差した先にはまだ齢十にも満たないであろう子供達がいる。大きな桜の木の下で、甲高い声と共に走り回る7人の子供だ。
煩いことだと呟けば、隣から小さな微笑みと共に「そっちじゃありませんよ」と返ってくる。
それを受けて男は再び桜の木へと視線を戻し、彼女の「見てください」が示す本当のところをその隻眼で探す。
……走り回る子供達から少し離れたところ、太い幹の四角になっている日陰の場所に、5歳程度の幼子がいた。
彼は自らの背よりもずっと高い桜の枝へと手を伸べて、何かを掴もうとその両手を宙にひらひらと泳がせていたのだ。
あの背丈では、どう足掻いても桜の枝を掴むことは不可能だ。あのくらいの年齢の子供はさて、その程度のことも分からない程に稚拙であったろうか。
そこまで考えて、男は気付いた。あの幼子は桜の枝を掴もうとしているのではない。桜の枝から離れた花弁を握ろうとしているのだ。
その、あまりにも小さな手の中に、あの「ひらひらしているきれいなもの」が飛び込んできたならどんなにか嬉しいだろうと、そうした期待の元に手を伸べているのだ。
「幸福とは往々にして、求める人のところにはやって来ないものですよね。追いかければ追いかける程、手を伸ばせば伸ばす程、幸福や運命は逃げていってしまう」
「……」
「あれ? ……ふふ、どうしたんですか? そんなに驚いて。まるで貴方が同じ言葉を、誰かに言ったことがあるみたいな、顔をして」
その「誰か」をこの女性は既に知っている。知っていて、敢えてそのような物言いをしている。
男は左肩だけを軽く竦めて隻眼を伏せて眉をひそめて、その不可思議な彼女の不気味な言動を許す。
過去も未来も別世界での出来事も、この不可思議で不気味な女性にとっては一冊の本のようなものでしかない。彼女はその本を「読んでいる」に過ぎない。
だからきっと、その言葉を受けて男がこれから為すことだって、彼女にはとうに見えている。既にその物語は、読まれている。
故に男が躊躇う理由など、きっとあるはずもなかったのだ。
歩を進める。満開の大樹の下へ向かう。女性はその足取りを少し離れたところから眺めている。
桜の大樹に若葉が生える。男の後ろ姿が、その背に流れる緑の髪が、満開の桜に溶ける。葉桜と化す。葉桜の一つ目は、満開の桜を見上げるその目は、赤い。
幼子は隣に立った長身の男に驚き目を見開く。その男がそっと左手を宙へと差し出せば、ほら、そこに桜の花弁が一枚だけ落ちてくる。
男は花弁を望んでいない。花弁を求める気にはなれない。それでも手を伸べた。だから花弁は男の手を選んだ。それだけのことであった。
戯れに膝を折る。戯れにその左手を幼子へと差し出す。戯れに「これが欲しかったのでしょう」と言ってみる。戯れに、微笑んでみる。
「おじさんは魔法が使えるの?」
けれども純な眼差しを向けられて、そのようなことを尋ねられてしまっては、男はもう「戯れ」を続けることができずに、眉をひそめて沈黙するしかない。
クスクスと、男の背後から笑い声と共に足音が聞こえてくる。女性が駆け寄ってきているのが分かる。
さて、彼女はこちらに助け船を出すつもりなのだろうか。それとも、更に深みへと突き落としにかかるつもりだろうか。
男は女性へと振り返り、「早くしなさい」と急かすように睨み付けた。女性は楽しそうに笑いながら、男の隣にしゃがんで幼子と視線を合わせた。
……そして、男は大きな溜め息を吐く準備をするために呼吸を止めた。これは、自分ではなく幼子の味方をする顔だと気付いたからだ。
「そうよ、この葉桜さんは魔法が使えるの。貴方のところに幸せを届ける、優しい魔法。ね、素敵でしょう?」
*
個人的に大好きな太宰さんの短編「葉桜と魔笛」のタイトルを意識しました。
サイコロを振らない/青の共有 ゲーチス/クリス▽ 夕刻に溶ける枝
2019.03.31 Sun * 10:10
(桜SS 3/10)
陽はすっかり傾いている。夜風とするにはまだ少し明るいが、それでも肌を撫でるそれは夜風として差し支えない冷たさであった。
寒い、と、人混みの中からめいめいに声が上がる。ブルーシートがふわふわとなびいている。
花見の席を確保するために何時間も前からそこにいたのだろう、身を寄せ合い震える人の姿があちこちに確認できた。
「寒いね」
そして、そんな彼等の言葉と同じそれが少年の隣からも聞こえてくる。眉を下げて笑う少女、彼よりも少しだけ、ほんの少しだけ背の高い女の子だ。
首を激しく振って寒気を振り払おうとしている。茶色の短い、癖のあるツインテールがぴょこぴょこと跳ねる。
春のこの日、勿論、少年も少女も暖を取るための道具など用意していない。
故に彼は「そうだな」と相槌を打ちながら、その後に「大丈夫か?」と続けようか否かと、悩むことくらいしかできない。
「寒いね、本当に寒い! ねえシルバー、手を貸してよ」
「手? ……構わないが、どうするんだ?」
彼女の寒さがそれで和らぐのなら、手助けは厭わないつもりだった。そういう意味で「構わない」と告げたのだが、少女はとてもおかしそうに笑い出してしまった。
違う、違うよシルバー、そうじゃないの。歌うようにそう告げて少年の手を取る。手助け、をするための冷え切った手が、少女によって奪われてしまう。
同じく冷え切った少女の手に包まれるのみであるこの状態が、おそらくはこれからしばらく続くのだろうと察してしまったから、
その手に、何もできなくさせられてしまった彼は、本当に何もできずにただ呆気に取られるしかなかったのだ。
「俺の手なんか握っても、温まらないだろう。まだチコリータを抱きしめていた方が効率的だ」
「そうだね、私もそう思う。でも君なんだよ、君の手がよかったんだよ。どんなに冷たくても、温まらなかったとしても、こうしていたかったんだよ」
他でもない彼女自身がそう言うのなら、彼女の中で納得のいく行為であるのなら、それでいいかと少年は思った。思って、手を握られるままにしていた。
寒い、寒いと零しながら行き交う人々を眺めつつ、目的の場所へと歩を進める。
道中、同じように手を、おそらくは双方冷え切っているはずの手を、繋いでいる二人組をいくらか目撃した。
仲睦まじいことだ、と少年は思い、そしてはっとした。自らと彼女こそ、その「仲睦まじい行為」をしている張本人に違いないのだと気付いてしまったのだ。
顔が火照る。手が汗ばむ。先程までの寒気が嘘のようだ。彼はすっかり当惑してしまって、自らの迂闊さをひどく後悔して……。
それでも、その手を振り払おうという気には、なれなかったのだ。
急速に上がった手の温度に、少女が気付いていないはずがない。
案の定、彼女は楽しそうに笑いながら「逃がさないよ」と悪戯っぽく言い放ち、握った手の力を強くした。
やられっぱなしは少年の性に合わなかったのだろう、彼もまた強く握り返した。ただそれだけのことが随分と嬉しかったらしく、少女は夕陽を眩しがるように目を細めた。
▽ 花染の綱に足を乗せ焦がれた人へと渡りゆく
2019.03.30 Sat * 22:39
(桜SS 2/10)
「綺麗ですね」
「……へえ、科学者にも風情を重んじる心があるのね」
「これはこれは、随分な偏見じゃありませんか」
酷い人ですねと困ったように笑いながら、けれどもこの白衣の優男は私の暴言をすっかり許しているような声音でそう告げる。
眼鏡にぺとりと貼り付いた桜の花弁を剥がすために、彼は上品なデザインのそれをそっと外す。眼鏡を失い、ぐっと幼くなったその横顔を見て、私は小さく笑う。
彼の剥がした花弁は風に煽られて宙を舞う。戻ってきた仲間を歓迎するかのように、数多の花弁がその一枚を抱き込んでくるくると踊る。
軽快な桜色のダンスを眺めつつ、彼は目を細めて眼鏡を掛け直す。
科学的であり多分な無機質性をその身に宿す彼は、けれどもその実とても人間的で、その心にたっぷりの有機質性を飼っている。
無機質と有機質の間にピンと糸を張り、そこを綱渡りして楽しんでいるようなところのある人なのだ。
無機質性を貫く彼の信念はあまりにも情熱的で狂信的だ。有機質性に傾き尽くした彼の誠意はあまりにも一途で切実だ。
私はそんな「綱渡り状態」の彼を見て楽しみこそすれ、その「極振り状態」の彼を愛そうなどという気にはまったくもってなれない。
自らの傍に置くには、自らの内側へと招いてしまうには、その極振りされた無機質性と有機質性はあまりにも鋭利で、危険だと思う。
この男を真正面から見据えるのは、随分と骨の折れる作業である。その無機質性を孕んだ情熱と、有機質性を孕んだ誠意に、できることならあまり触れたくはない、と思う。
彼の情熱も誠意も、私の目にはなんだかとても痛々しく映るのだ。極振りされたそれらに触れると、私が焼き焦げてしまうのではないかとさえ思われるのだ。
「そういうところ、もっとシアの前でも見せればいいのに」
「……眼鏡のことですか?」
「そうじゃないわよ」
だから私は、こうしてちょっとばかし心を遊ばせているくらいの彼が好きだ。
今の彼は無機質か? 有機質か? ……などと、思案せずにはいられない程度の綱渡りをしている彼が好きだ。
私の後輩が焦がれた彼の姿は、きっとこれではないのだろう。あの愚鈍で愚直な私の愛しい妹が慕った彼、その魅力はきっと此処にはないのだろう。
それでも私は、後輩が焦がれていない部分の彼を好ましく思わずにはいられない。妹が知らない部分の魅力を愛さずにはいられない。
「さっき私の暴言を優しく許したように、あの子の言葉も気楽に受け止めて笑ってやったらいいのにって言ったの」
「それは……貴方に置き換えれば、不可能なことであるとすぐに思い至れるはずですよ、トウコさん。過ぎる想いの足枷は、貴方の方がずっとよく知っているでしょう?」
ほら、そういうところだ。そういう「過ぎる想い」の先にあの子がいることを、もっと気軽にあの子へと伝えてあげればいいのにと、思ってしまうのだ。
……けれども科学的であり人間的である今の彼の、その言葉は間違っていない。
そう、我々にはどだい無理な話であったのだ。過ぎる想いの足枷の前には「気楽に」など、途方もない道のりにしかなり得なかったのだ。
我々には、とした途端、あんなにも軽快に舞っていた桜が、にわかにおもたげな様相を呈してきた。
あいつのせいだ、と思った。あいつを想起したせいだ。私の「過ぎる想い」の先にいる相手を思い出したせいで、桜の花弁にまで足枷が付いたのだ。
あまりにも急な情景の変化に私は笑うしかなかった。このおもたげな桜を見てしまっては、先程の軽快な花弁の舞を思い出すことなど、もうできそうになかった。
この白衣の優男はシアのことが好きだ。「どうしようもない程に好き」としても差し支えない程に、彼女に執着し、彼女を崇敬し、彼女を庇護し、彼女を愛している。
けれどもその「どうしようもない程に好き」という真実を、彼はまだシアに伝えていない。
私にはさらりと言語化してみせるその真実を、シアの前で紡いだことはきっと一度もない。
想いは重いものなのだ。過ぎる想いは泥のように重く、その暴力的な足枷は我々の「気楽」への歩みを一切許していない。
彼等が「気楽」に好きを言い合い言葉を許し合うまでには、途方もなく長い時間がかかるのだと容易に察することができた。
私もきっと、その道のりの途中にいる。だからこんなにも今の桜はおもたげに舞うのだろう。そういうことなのだろう。
「綺麗ね」
それでも桜は綺麗で、おもたげに舞う想いを捨てることなどできないままで、けれどもそれがいっとう私達らしいと思えたのだった。
アピアチェーレ/モノクロステップ トウコ/アクロマ▽ 桜よ、返せ
2019.03.29 Fri * 21:28
(桜SS 1/10)
強すぎる風が目に見える。鮮やかな桜の花びらが風を見せている。
春の嵐と呼んでも差し支えないこの強風がどれ程凄まじいものであるかということを、舞い上がる桜が、頬を軽く叩く桜が、空へと飛び去る桜が、あまりにも克明に示している。
こちらが不安になってしまいそうな程の美しさであった。その美しさが風という、唐突で不条理なものによってあまりにも呆気なく壊れてゆく様は、男を物悲しい心地にさせた。
「綺麗、本当に綺麗! まるで私達が桜になってしまったみたい」
けれども男のそうした物悲しさを、彼女は楽しそうな笑みをもってして弾いた。
綺麗だわと、本当に素敵ねと、歌うようにアルトボイスを零しながら、歓喜に細めた目でクスクスと笑いながら、桜の嵐の中へと飛び込んでいく。
花弁が、彼女の髪に絡まる。けれども彼女が男から離れていくにつれ、それが花弁であるのか彼女の髪であるのか分からなくなる。
桜も、彼女の髪も、恐ろしくなる程に似通った色をしていたからだ。
「バーベナ」
男は歩幅を大きくして彼女を追う。風がびゅうびゅうと吹き荒んでいるせいで、おそらくその呼び声は彼女のもとへは届いていない。
もう一度、男は名前を呼んだ。彼女が彼女で在るための名前、彼女が彼女らしく在ることを喜ぶための名前を、紡いだ。
強風に負けじと、その声はどんどん大きくなっていった。それでも彼女は振り返らなかった。
桜の嵐と同化しつつあるその横顔はただ楽しそうで、ただ眩しくて、そこに「男」は果たして必要だったのだろうかと疑ってしまいたくなる程の美しさであった。
盗られてしまう、と焦るに十分な恐ろしさを孕んでいたのだ。
「バーベナ!」
だから男はその腕を強く掴み、振り返った彼女の頬や髪に貼り付いた、彼女と同じ色を、やや乱暴な手つきで剥がさずにはいられなかったのだ。
どうしたの、とされるがままの彼女は問うた。一人で先に行き過ぎだ、と彼は濁してまた一枚花弁を取った。
でもそれだけじゃないみたい、と見透かしてきたので、この小綺麗な嵐の中を一人で歩きたくないだけだ、と更に逃げた。
捕まえてくれてありがとう、と困ったように笑いながら自らの髪を整え、彼女は顔を上げた。
そして、分かればいい、と告げて僅かな安堵を見せる彼の髪にそっと、手を伸べた。
「あら嬉しい。貴方も今日は私の色ね」
肩に少しかかる程度に切り揃えられた男の白い髪。全く同じ長さに切り揃えてある彼女の桜色。
けれども彼女を取り返すために桜の嵐の中を駆けた男もまた、その桜色を自らの髪に纏うに至っていたのだ。
雪の上に降る春を愛でるように彼女は目を細めた。花見をするかのようなその視線に男は少しばかり戸惑った。
「……はしゃぎすぎだ」
「ええ、はしゃいでいるのよ。だってあまりにも綺麗だから、嬉しくて」
「そんなに花が好きだったとは知らなかった」
「何を言っているの、そうじゃないわ」
桜の嵐はまだ止まない。風もびゅうびゅうと喚き続けている。
だから、ああ、聞こえなかったことにしてしまってもよかったのかもしれない。
「貴方のことよ、ダーク」
ヴェルヴェーヌの貝殻 ダーク(ジュペッタ)/バーベナ▽ 花の断罪
2019.03.22 Fri * 8:30
(地獄の紅色と失格の烙印をどうぞこの満面の笑みに押し付けてくれの間にあったかもしれない話で、かつ短編「正気の天秤」の流れも汲んでいる)
花と戯れるように生きているような子だった。
道花に、草むらに、花屋に、公園の花壇に、鮮やかな色を見つけると、彼女はその顔にぱっと花を咲かせて駆け寄り、躊躇いなくその一輪を手に取る。
誰の許可を得る必要もない道花の小さな花も、お金を払って手に入れる花屋のそれも、彼女にとっては等しく花であるため、それを我が物にするための行為は惜しまないのだ。
ある時はしゃがんでそれを摘み、ある時は膝を曲げぬままに引っこ抜き、ある時は花屋のカウンターにお金を置いて、またある時は悪戯を楽しむように花壇の花を手折る。
その花を鈍色の目で愛でながら、花びらに手をかけて一枚ずつはがし、まるで足跡を残すように地面へと落としていく。
青年とお喋りをしながら、最愛のパートナーと共に道を歩きながら、あるいは自転車に乗りながら、その奇行は息をするような自然さで繰り返される。
青年はもう驚かない。少女ももう、花を殺す遊びに後ろめたさを感じたりはしない。
そうした奇行、少女が旅を始めてからずっと続いていたその遊びは、けれどもいつも隣にいた最愛のパートナーがいなくなると同時に、ぱたりと絶えてしまった。
それは、青年がこの少女にプロポーズをしたタイミングとも重なっていた。少女があのサーナイトと別れた日こそ、青年が彼女の薬指にプラチナリングを通した日であったのだ。
故に、パートナーの喪失が少女をそうしたのか、あるいは青年のプロポーズが彼女を変えてしまったのか、彼には、……いや、きっと誰にも分からない。
「振り返らないでね、ダイゴさん」
ミナモシティのコンテスト会場、その周りを彩るように植えられた赤や黄色のチューリップを見るために少女は膝を折る。
彼女はもう、花を摘まない、手折らない。チューリップの花びらを一枚ずつ千切って、ミナモシティの潮風に吹き流すようなことはしない。
ただ、優しく目を細めてその花を撫でる。朝露の付いたチューリップは彼女の視線を喜ぶように震える。
「私達はもっとずっといいところへ行くのだから、後ろを見る必要なんかきっとないわ」
彼女の言っていることがよく分からなかった。分からないなりに、彼女がそれを声に出すことには意味があると思ったので「そうだね」と同意した。
すると彼女は驚いたようにこちらを見上げ、クスクスと笑う。笑顔でありながら、その眉は困り果てたように下げられている。また、その視線が花へと落ちる。
「……いいえ違うわ、そうじゃないの。きっと私、後ろを見られることが恥ずかしいのね。私の足跡は私が殺した花の形をしているから。
私が千切って、ぐしゃぐしゃに潰した花の死骸が、褪せた色で私を恨めしそうに見上げていることを思うと、恐ろしくなってしまうから」
「……」
「ごめんね。私、貴方の仲間を何輪もひどい目に遭わせたのよ。私、人の面を被った悪魔なの」
随分とまともなことを言う彼女は、もしかしたらまだ寂しいのかもしれない。
最愛のパートナーを地獄へと送り出したことによる喪失感は、まだ彼女の胸にぽっかりと穴を開けたままであるのかもしれない。
青年はそう思った。その喪失感をどうにかして埋め合わせることができればいいのにと思った。けれどもその役目に自分が名乗りを上げるのは、随分と傲慢なことであるように思われた。
あのサーナイトの代わりなどできるはずがない。青年は彼女の婚約者でこそあれ、彼女の最愛のパートナーではない。
「罰が欲しいかい、トキちゃん」
「罰?」
「花を殺した君の罪を、ボクが裁いてあげようか」
彼女は今度こそこちらへ顔を向け、立ち上がった。大きな鈍色の目は彼の言葉を楽しむように、訝しむように、期待するように、ぱちぱちと恣意的に瞬きを繰り返している。
それでいてその色は、仮に青年がどんなに立派な文句を紡いだとしても、自身の憂いを晴らすには至らないであろう、という悲しい確信に満ちている。
彼はダイゴであり、サーナイトではない。そのようなこと、青年が指摘せずともこの少女はとてもよく分かっている。
自己の救済を諦めたように、彼の言葉の無力さを許すように、恣意的な瞬きがぴたりと止む。
……失ったことにより生じた穴は、彼女自身が埋めるべきだ。青年にできることは、そうした、穴を埋める作業をのんびりと行う彼女の傍に在ることだけだ。
ただそれだけ、寄り添うだけ。隣で「そうだね」と相槌を打つだけ。
「君を手折るよ」
そうしてたまに、このような物騒なことを思い付いて、彼女を笑わせてみせるだけ。
「君の未来、君の自由、君の愛、その全てをボクが奪う。君は一番美しい時に、これからもっと美しくなれる時に、ボクに摘まれる、手折られる。
そしてボクは、君の死骸を靴の裏に引きずって生きていく。ボクの足跡はいつまでも、いつまでも、君の色のままだ」
硬直した少女の目を覗き込みつつ、青年は「どうだい、いい具合に物騒だろう」とからかうように告げた。
ややあって少女はお腹を抱えて笑い始めた。その眉はもう下げられていなかった。彼の期待した反応であった。彼はこうして彼女が笑ってくれるだけでよかったのだ。
何の解決にもなっておらずとも、最適解を導き出せなかったとしても、それでもこの「答えのない状況」を二人の好みに合わせて修飾することはできる。
地獄の色も、もっとずっといいところの色も、二人で決められる。だからこれでいい、構わない。
「でも、0点ね」
「あれ、随分と辛辣じゃないか。そこまで楽しんでおいて酷評するなんて」
「だってそれじゃあ断罪にならないわ。だってこんなにも嬉しいのに。こんなにも、救われたと思ってしまうのに」
成る程確かにそれならば0点だ。そして、それならばいっとう都合がいい。
ライラックコーラル トキ/ダイゴ