私が流れていってもよかったのに、と思うことが何度かあった。カロスという土地は、私が生き抜くにはやはり美しすぎたように思ったからだ。
けれどそんなの、別にどうだっていい。だって馴染まないのなら出ていけばいいだけの話なのだから。別の土地からつい数か月前にカロスへとやって来たのと同じように、あと一年か二年もすれば何処か別の土地へ行ってしまえばいい。私の永住の地は、必ずしもカロスでなければいけなかった訳ではない。
にもかかわらず、カロスに執心し続けたあの人はいなくなり、カロスに何の執心もなかったはずの私が、今のこの土地を象徴する存在になり果ててしまっている。
ごめんなさい? 馬鹿馬鹿しい。私は謝ったりしない。あの方にも、あの人にも、あの子にも、この土地にも。
私にはカロスに執着するための理由が足りない。あの方のような理想も、あの人のような愛も、この土地のような夢も、あの子のような友達も、何も持っていない。にもかかわらずこの騒動に「出しゃばってしまった」ことを、けれども私は悔いることさえ許されない。私が持つべきは愛でも理想でも夢でも友達でもなく「正義」であり「英雄心」だった。私が旅の中で懸命になって見つけようとせずとも、ただ求められるがままに動いた結果、カロスという土地がそれを差し出してきたのだ。
愛を知りたかった。理想を求めたかった。夢を見たかった。友達が欲しかった。
友達は……いなくてもいいものだと知った。私のことを友達だとして親しく接してくれる子供たちはカロスに沢山いたけれど、私はそうした「おともだち」と一緒にいない時の方がずっと楽に、息ができた。
夢や理想は持つだけ無駄だと分かっていた。基本的に怠惰で飽きっぽい私は何をやっても長続きしなかったし、なりたいものも思い付かなかったし、何かを追い求めて血を吐くような努力をするなんて、私には到底似合わない、不格好なものだったからだ。かっこいい努力をする人間を私は知っていたから、同じことをして「かっこ悪くなる」ことを無意識のうちに恐れていたのかもしれない。とにかく、夢や理想を持てばそれらが逆に「頑張れない私」の首を締めに来る。だから、夢も理想も打ち捨ててしまった方が都合がよかった。
愛は……よく分からない。愛なんてものがなければ、セキタイタウンにあの大きな花が咲くこともなかっただろうと思う。でもそれと同じくらい、カロスに生きる人々がカロスのことを愛していなければ、私の旅した土地がここまで美しくなることもなかったと思う。私は誰かが向けた愛の欠片を踏んで歩くように旅をした。誰かが巻き起こした愛の嵐の中を駆け抜けるように戦った。沢山の愛に触れてきたはずだったのに、旅を終えてみればなんてことはない、私の中に愛などただの一つも残らなかった。清々しい程に、恐ろしい程に、私は誰も何も愛せないままだった。
私には、愛は、理想は、夢は、友達は、重すぎた。恐れ多いとも感じたし、私にはなんて勿体ないことだろうとも思われた。その重さを感じることができたのは言うまでもなく、私にそれらがあらゆる形で差し出され続けてきたからだ。こんなにも重いものを、こんなにも恐れ多いものを、私なんかにくれた人が確かにいたのだ。おそらくは、よかれと思って。おそらくはそれらが、私の希望になってくれるはずだと信じて。
その結果、こんなことになるとは露程も想像せずに。
……私が漠然と「こうなれたらいいな」と思っていたもの全て、愛も理想も夢も友達も全て、私が「手に入れられなかった」が故に抱いていた幻想に過ぎなかったのかもしれない。それら全て、本当は、そういいものではなかったのだ。それら全て、本当は持たなくたって生きていかれてしまうのだ。本当に必要なものなんてただのひとつもなかったのだ。
こんなものはない方がいい。きっとない方がずっと楽に生きられる。だから、
「私は貴方から沢山のものを貰ったけれど、私は貴方にただのひとつもそれを返しません」
ねえ博士。私に愛を教え、理想を掲げ、夢を見せ、友達を与えてくださった博士。私は貴方にただのひとつもそれを返しません。だってそんなものを返してしまえば苦しいから。貴方が、苦しむことになるから。また眠れない夜が増えるだけのことだから。
「だからこんな最低な人間のために、謝らないでください」
(修正版に加筆予定)