夜ばかりの国(USUM・未定)

(「悪魔が幸せそうに眠るから」のもう少し後、ちょっとばかし仲良くなってしまった二人)

「貴方も私と同じなんですね。此処ではない別の世界の人間で、挨拶の仕方さえぎこちなくて、この常夏にはきっと一生馴染めない」

 馴染めない、などというネガティブな言葉を歌うような陽気な心地で告げつつ少女は笑う。ミヅキではなく「私」と自身を称して、子供っぽくはあるがそれなりに綺麗な敬語を使って話す。ダルスにだけ見せる彼女の姿である。別の世界の人間である彼にのみ、彼女は「別の世界の私」を開示してくる。

「お前はカントーという土地から来たのだろう。それはこのアローラと世界を同じくしているはずだ。俺とは……事情が違う」
「違いませんよ。何も違わない。此処は私の世界じゃないんです。私は余所者、ずっと余所者。でも私、諦めませんよ。ちゃんとこの世界を私のものにしてみせます。ミヅキから、奪い取ってみせます」

 奪い取る相手、それはこの少女と同じ名前をしているので、ダルスはやはり眉をひそめて困惑を示さずにはいられない。その表情がこの子を楽しませることになると分かっていながら、彼にはそうすることでしか、彼女の情報開示を求められない。別の世界からやって来た彼は不器用だ。別の世界からやって来たと思い込もうとしているこの少女と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に。
 「ミヅキ」と「私」の違いが彼には分からない。おそらく本質としては同じなのだろうとは思っているが、それを指摘したところで彼女は認めようとしないだろう。ただ、彼女にはその「ミヅキ」を「私」の中に迎え入れたくない理由があるのだ。受け入れたくないがために、わざと呼び分けて、区別して、弾いているのだ。

『馴れ馴れしく話しかけるな! ミヅキはお前みたいな甘ったれた奴が大嫌いだ!』

 白い帽子の可憐な少女の手を振り払い、悪魔のような形相でそう告げていたあの姿を思い出す。誰もに憎悪を振り撒き、攻撃を怠らず、大嫌いと繰り返してきた彼女。排斥に余念のない彼女。けれどもダルスは知っている。彼女が排斥したがっているのは他の誰でもない彼女自身だ。正確には彼女が、彼女自身の一部であると認めたくない「ミヅキ」の運命、それに他ならないのだ。
 彼女は「ミヅキ」を排斥したがっている。自らの背中にべっとりと付いてくる「ミヅキの運命」が恐ろしくて、必死に振り払おうとしている。

「私は絶対に、ミヅキのように眠ったりしない」

 その運命の成れの果てはいつも「眠る」という行為に収束する。故に彼女は眠ることをひどく恐れている。目の下に黒く彫られた隈は奇しくもダルスと揃いの様相を呈していて、彼は密かにその事実を少し、ほんの少しだけ喜んでいる。

 生まれた時から太陽を知り尽くしているはずのお前の目にも、影があるのか。
 お前のような輝きを宿した子供が、よりにもよってこのような暗いものを拠り所とするのか。

「貴方も、太陽を奪い返したいんでしょう? 貴方の世界を在るべき形に戻したい。そのために此処へ来た。違う?」
「……訂正させてもらおう。かがやきさまを取り戻したいとは考えているが、そのためにこのアローラを暗闇に落とそうなどとは考えていない。この輝かしい土地を犠牲にしてまで光を手に入れたいとは思わない」
「ふうん、そうなんですか。ちょっとつまらないな、貴方も悪役だと思っていたのに」

 彼女自身がとっくに悪役、ヒールへと身を落としているかのような口ぶりである。悪者であることを喜んでいるかのような、ひどく嬉しそうな、眩しく暗い笑顔である。矛盾を孕み過ぎた複雑な輝きはダルスを混乱させる。当惑と不安と混乱の果てに、けれども彼は、この少女が自分のような余所者に対して寄せる「信頼」に似た何かを感じずにはいられない。お前が一緒にいて安心できるのは俺やアマモのような余所者だけなんだなと、そうした悲しい確信を抱かずにはいられない。
 ……いや、少しだけ嘘だ。悲しいだけでは在り得ない。ダルスは少し、ほんの少しだけ喜ばしい。

「お前が本気で望むなら悪役になってみせようか?」
「え?」
「お前と、二人きりの時に限るが」

 彼女の数少ない信頼の対象に自分が在ることを、彼は喜ばずにはいられない。

「ふふ、あはは! ダルスさん、根本からして間違っていますよ。悪役は、そんな優しいことを言えるように出来ていないんです」
「そうだろうか。『悪役』を自称するお前はしかし、俺と二人きりの時にだけ優しいような気がする」
「今は『オフ』なんですよ。憎悪と排斥を振り撒く悪役の私は休業中。だから貴方に優しくしたところで何の問題もありませんよね?」
「ではその悪役の看板、今は空いているということだな。俺が貰い受けても構わない訳だ」

 愉快そうに笑いながら、彼女は煤色の目を細める。本気で? と、その目は雄弁に問うている。
 さあ悪役のプロフェッショナルよ、どうすればいいか教えてほしい。お前の望むようになろう。お前の歪で寂しく悲しい信頼に足る悪役になってみせよう。どうせこれだって二人のうちに秘匿されるのみ、他の誰にも、太陽にさえ、知られはしないのだから。

「それじゃあ悪者のダルスさん? 貴方に奪ってほしいものがあるんです」
「何だ」
「今夜の私の、睡眠時間」

 時刻は夜の11時を回ろうかというところ。星と月の照る夜空は故郷の闇よりずっと明るい。悪役にはもう少し濃い闇が必要であろう。そう例えば、ミルクの一滴も入らない、コーヒーのような。

「エスプレッソ、にしておくか? 眠りたくないのならあちらの方が効果的だろう」
「ふふ、素敵な提案! 11歳の子供に勧める飲み物としては大外れですよ。でも悪役ムーブとしては完璧。それじゃあ行きましょう、私のダークヒーローさん!」

 最寄りのポケモンセンターへ続く道へと足を向け、少女は悪役の手を取った。太陽より眩しく月より冷たい彼女の目元、今日もこうして隈が濃くなる。夜はまだもう少しだけ、明けないままで、秘匿されたままであるべきだ。でないと彼女が笑ってくれない。

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