※直接的な描写はしていませんがそういう行為を仄めかす発言があります
こいつは痩せ型である。私は……少なくとも太ってはいないと思う。身長は双方高めであるため、高確率で平均より背の高い、比較的すらりとした姿が出来上がると予想する。
生まれてこの方染髪というものをしたことがない私のダークブラウンの髪、色はともかくこの癖毛が遺伝してしまったら少し可哀想だと思う。
けれどもNだって私に引けを取らないくらい、ぴょんぴょん跳ねて宿主を困らせるタイプの髪をしているから、どちらに似るにせよ美しいストレートヘアーは期待できそうにない。
「私の焦げ茶とあんたの黄緑が混ざって、いい感じの栗色にでもなってくれたらいいんだけどね」
海の見えるお洒落なホテルの夜、一本足のお洒落な丸いテーブルの上、お揃いのグラスに入ったオレンジ色のお酒と、絵画道具。
広げたスケッチブックはイッシュの港で購入したもの、24色の水彩色鉛筆は後輩から借りてきたものだ。
旅なんてNとならいつでもできるけれど、このような大仰な名前が付いた旅行は一生に1回しかない。
だから、絵を描くなんていう殊勝なことをしてみたくなったのかもしれなかった。
当時の情景を写真よりもずっと感情的に情緒深く呼び起こすことが叶うその手段を、手に取りたくなったのかもしれなかった。
……もっとも、私もNも熱心に絵を描いた経験などなく、更には「上手に描こう」などという彼女のような立派な向上心もなかったため、
そんな二人がスケッチブックに足していくのは、幼い子供でももう少しマシなものが描けるのではないかと疑ってしまう程の、拙く汚い落書きばかりであった。
「栗色というと、コトネみたいな髪の色のことかな」
「そうそう、女の子ならあれくらいの明るい色の方が喜んでくれそうじゃない?
……まあ、私の血を引いた人間に「可愛らしさ」を自身に求めるだけの健気な乙女心があればの話だけれど」
鉛筆で適当に描いた女の子の人型に長い髪を生やして、栗色の色鉛筆を手に取り走らせる。
芸術家を気取るつもりは更々ないけれど、この水彩色鉛筆の柔らかな芯がスケッチブックの上を駆けるときの、乾いた音の心地良さを私はとても気に入っていた。
Nとの時間が与えてくれる安寧に質量を与えてくれるような、自身の心の収まりが良くなるような、そうした漠然とした幸福感に見舞われて、嬉しくなるのだ。
けれどもこいつはHBの硬く尖った芯が紙面を叩く音の方が好みらしく、隣のページに描かれる男の子らしき人型はモノクロで構成され、色の一切が存在していなかった。
肩より少し上辺りでぴょこぴょこと跳ねるその癖毛を、果たしてNは何色とみなして描き込んだのだろう。
「キミの血を引いているのであれば、その子も可愛くなるんじゃないかな。キミはキミ自身が思っている以上に魅力的な人だよ」
「あはは、そりゃあどうも! かなり酔いが回っているみたいだけれど、このカクテル、そんなに強かったっけ?」
「キミこそ酔っているんじゃないかな。普段のキミならそんな分かりやすい照れ隠しはしないはずだ」
少しばかり悔しい思いを抱きつつ、栗色の色鉛筆の腹をその白い頬にぐりぐりと押し付けてやる。
木の良い匂いがするね、とズレた感想を口にしたNは、自らの鉛筆で私の頬へと仕返しをしてきた。鉛筆特有の炭っぽい匂いと、木の香りが混ざったものが鼻先をくすぐる。
ああ、もしこの紙面上の男の子と女の子のどちらもがいれば、こんな風に子供っぽいじゃれ合いを兄弟ですることが叶うのか、と、そんなことを考えたりもしてみる。
それからも私達は他愛もない話を続けながらスケッチブックに落書きを続ける。
目の色を決めて、爪の形を決めて、声の高さはどれくらいかしらと話し合ったりもして、笑いながらオレンジ色のお酒を喉に通す。
トウヤが熱中しているRPGのキャラクターメイキングにも似ているその遊びを飽きることなく続ける。いつの間にか日付が変わっている。お酒はまだ瓶に半分程残っている。
そろそろ眠った方がいいかしら、と考えながら、ほぼ完成形に近付いた、栗色の髪に若葉色の瞳をした女の子の頬をそっと撫でる。
凸凹とした紙の触り心地を人間の頬とするのは難しいことであったけれど、少なくとも一晩の夢をNと楽しく見ることができたから私はそれなりに満足していた。
「早く産まれるといいね」
……前言撤回。満たされていたはずの私の顔色は一瞬にして青ざめてしまった。
どうしたんだい、と不思議そうに首を傾げるNは、自らがどれ程不自然な発言をしたのかを理解していないらしい。
「そういうこと」をしていないにもかかわらず私のお腹の中に命があるなんて妄想、三流ホラーもいいところだ。
こいつはまさか、愛などという目に見えず質量化もできない概念だけで命が生成されるとでも思っているのだろうか?
「……そうね、私も楽しみだわ」
もう少し夜の浅い時間帯であれば、私はNをベッドの上へと正座させて、人間における命の成り立ちについて熱心に説いたのかもしれなかった。
あるいは素面の状態であったなら、至極真面目な表情を作って、愛とかいうものの不確実性と互いの薬指に嵌めている契約印の意味についてまくし立てることもできたかもしれない。
けれども今は0時を回っていて、私もNも同じ色のお酒に酔っていて、今はとても楽しい気分で、まるで子供に還ったかのような遊びをして、ただ、ただ、幸せだった。
ならば何も知らない子供のように素敵な未来を夢見たいと思ったとして、そうして二人が出会う前のずっと前の子供時代を疑似的に共有してみたくなったとして、
……それはだって、目の前にいるのが結婚までしてのけた片割れである以上、至極当然のことではないだろうか。
「N、私ね、今とても」