(桜SS 8/10)
丈の長い真っ白のワンピースから覗く足は、その白に負けない程に悉く色素を落としている。
春風を掴むように宙を撫でる指は飴細工のように繊細であり、華奢な背に流れる長い髪は滝のように流麗であり、遠くの樹を見据えるその目は花のように優美である。
そんな彼女、花である彼女が「走っている」。手折られた花が、澄み切った花瓶の水しか知らない花が、大地に植えられた樹に咲く花へと駆けている。
ああ、と男は思った。本当にそうであればいいのにと、悲しくならずにはいられなかったのだ。
本当に、貴方がこうであればよかったのに。
外に出ることを恐れず、走り方を心得ていて、一人になることを躊躇わず遠くへと駆け出せるような、そうした貴方であればよかったのに。
けれども、夢でさえこの花はあまりにも美しい。この花に注ぐべき水の純度を男は知らない。この花をどのように愛せばよいのか、男にはまだ分からない。
男の夢が男の願いを叶え、男の愛すべき人が元気に走っているにもかかわらず、男は苦しかった。
夢は醒めるものだ。花が枯れるものであるのと同じように、この奇跡を永遠に留め置くことなどできやしないのだ。
きっとその永遠は「生きている」限り、誰にも手に入れられるものではないのだろう。
「ズミさん、見て。花がこんなに沢山」
その大樹は、カロスに生える金木犀の木とは随分と様相の異なるものであった。カロスではまず見ない植物であったが、男はその名前を知っていた。
カントーやジョウトに咲く花。一気に咲き誇り刹那に散る花。まるで死ぬために生まれてくるかのような、そのあまりにも美しい命には「桜」という名前が付いている。
そして今、この桜の樹は満開の頃を過ぎ、あとは散るのみといった風貌であった。彼女の足元にも、枝から離れた桜の花弁が敷き詰められていた。
その桜の死骸の中心で彼女は笑っている。膝を曲げて屈み、その死骸を両手いっぱいに掬い上げる。
微塵の躊躇いもなくその死骸に自らの鼻先を押し当てた彼女は、鈴を転がすように笑いながら男に死刑の宣告をする。
「やっぱりお花って素敵ね、わたしもこんな風になれるかしら?」
彼女ならあるいは、と考える。なれてしまうのだろう、と思う。
他の誰にもできないことであったとしても、このあまりにも美しくあまりにも生きづらい女性にならそれができてしまうのではないかと、思ってしまう。
けれども男は肯定の言葉を紡がなかった。否定もしなかった。
ただ沈黙して、彼女の朗らかな笑顔……現実の世界では先ず在り得ない「陽の当たる場所に立つ彼女」の笑顔が、歪む瞬間を待っていた。
その笑顔がぐにゃりと歪み、溶け、桜の死骸と混ざり合い、夢に終幕を下ろしてくれるのを待っていた。
あの人はまるでお花のようです、という、もう顔も名前も忘れてしまった家政婦の言葉が、男の脳髄にチクチクと突き刺さって、なかなか抜けてはくれなかった。
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第二章31話くらいの夜に見ていたかもしれない夢