お酒は苦手だ。大勢での食事は別に苦ではなかったけれど、そこにアルコールが入ると私はにわかに緊張した。
独特の匂いがするそれを口にした皆は、よく笑うようになったり、泣き虫になったり、怒りっぽくなったり、妙に饒舌になったり、押し黙ったりする。
私のよく知っている人達、よく知っていると思っていた人達の、見たこともないような姿に、私は驚き、時に恐れていた。
「大脳皮質の働きが弱まることにより生じる現象です。感情が、理性によって抑圧されることなくそのまま表現されてしまう。アルコールにはそうした作用があるのですよ」
それは「その人の本質」なのだと彼は言った。普段、理性の影に潜んでいる感情の部分が、その抑圧を解かれて表に出てきているだけのことだと、説明してくれた。
お酒による人格の変化を科学的に説明してもらって、勿論、私はとても気が楽になった。
……誰もが、建前と本音、嘘と真実、欲望と節度、理想と現実を使い分けて生きている。それができることこそが、きっと大人であるということなのだろう。
私は、そう思う。だからお酒による人格の変貌を「気持ちが悪い」「野蛮だ」と思ったことはない。
むしろ、普段そうした本質を上手に隠して生きている彼等のことは、まっとうな大人として尊敬している。
だから、お酒を飲んで人が変わったようになるのは、悪いことでは決してない。私はそう、教えてもらった。だからそうなのだと分かっている。分かってはいる。
けれども私はどうしても、人前でお酒を飲むことができない。
彼の説明は私の気を楽にしてくれた。恐怖は確かに薄れた。けれども薄れたのは「お酒を飲み人が変わる相手」への恐怖であり、「お酒」への恐怖はまだ、根強く私の中に在る。
だから、大好きな皆にお酒を勧められると、私はどうしようもなくなって困り果ててしまうのが常であった。
注がれたグラスの中身を空にできたことは一度もない。ビールもカクテルも焼酎もワインも、舌の上に少しだけ含む程度の味わい方しかできない。
私はお酒が怖い。お酒を飲むことが恐ろしい。私の大脳皮質の内側に隠されたおぞましいものを、できることなら誰にも知られたくない。
私のおぞましさを、おぞましさを象徴するあの罪を、暴かれてしまうことが怖い。
誰かに裁いてほしいと思っているにもかかわらず、ずっと断罪の時を待っているにもかかわらず、私は被告の席に立つことを恐れ続けている。最低だ、最低、最低。
「あはは、どうしたんですかゲーチスさん。ねえ、そんな悲しい顔をしないで。笑って、笑ってください。私を笑って、許さないで、あの子みたいに」
白ワインを浴びるように飲んだ私がどうなっているか、なんて、この狂った頭では分からずとも、ボトルを取り上げたこの人の表情があまりにも雄弁に語っている。
「……いい加減にしなさい、シア」
「そんなこと言わないで、今日くらい許してくださいよ。今日は特別な日なんです。私の大好きなあの子の誕生日、大切な日。
あれ? 誕生日じゃなくて、命日だったかな? 今年は何周忌だったかしら? あはは、もうどうでもいいか!」
お酒が怖い。
大脳辺縁系に司られた感情が、大脳皮質に司られた理性を突き破って湧き出てくる、この麻薬のような飲み物が怖い。
浴びるように飲んでも、焼け付くように痛い喉に手を当てて泣いても、空のボトルを足元に積み上げても、結局は何の解決にもなっていない。
私は断罪されないまま、彼女は戻ってこないまま。
にもかかわらず、この日に私を誘うお酒が怖い。責めるように強く香るワインが怖い。おぞましい罪を抱えて生き続けることが怖い。怖い、怖い。
……ああ、もう少し飲めばよかった。そうすれば、こんなことも全て、全て考えなくていいようにしてくれたかもしれないのに。