「やめて、呼ばないで。離して」
やっとのことでそれだけ紡いだ。男の子はあからさまに不機嫌そうな顔をしたけれど、その表情に献上する「ごめんなさい」を私は用意できなかった。
だって、私は悪くないはずだ。私があの事件に関わったのはもう1年も前のことで、私がポケモンリーグに通わなくなってからかなりの時が流れていて、
その間、この男の子や他の子供達は華々しい活躍をしていて、私にできないことをやってくれる人物は十分すぎる程にいて。
「君は……」
だから今更、私が呼ばれる理由などあるはずがない。あっていいはずがない。
「君はいつから、人の目を見て話ができるようになったんだ」
「……私は、答えないよ。それは、きっと貴方には関係のないことだから」
もし、今日という日でなければ、私はもう少し穏やかな受け答えができたのかもしれなかった。
彼の怒りを受け取って、いつものように謝罪の文句を紡いで、深く俯いて、彼の次の言葉に怯えながら、彼の好き勝手な断罪をこの身に受けられたはずだ。
彼の望む私、彼が優位に立てる私を用意して、彼にイニシアティブの全てを譲り渡しているかのように錯覚させることだってできたのかもしれない。
そうして彼が満足してこの場を去るまで、静かに待つことが、きっと私にはできた。私にはそうした、私を守るための全てが備わっていた。
「行きましょう、ズミさん」
けれども私は、そうした強固な守りの一切をかなぐり捨てて、彼を攻撃することを選んだ。
私の中にある天秤、恐れと憤りが秤に乗せられたそれが、この日初めて、私のために、憤りの方へと大きく傾いたのだ。
それは気が狂ってしまいそうな程の重さで、私ごときがその感情を使いこなすことはどだい無理な話であるように感じられた。
けれども私は衝動のままに、その憤りを放ってしまった。自らが傷付くことを恐れずに他者を傷付けようとしたのは、この日が初めてだった。
「しかし、いいのですか? 彼はまだ貴方に話すことがあるのでは」
「聞きたくないんです。行きましょう。一緒に来てくれますよね。私のしたいこと、何だって遠慮せずに言っていいんですよね。今日はそういう日なんですよね」
私から彼の手を取った。私の方から男の子に背を向けた。別れの挨拶さえしなかった。大きな歩幅でミアレシティの通りを歩いた。彼は、隣にいてくれた。
心臓が高鳴っていた。恐怖でも歓喜でもなく高揚に高鳴っていた。握った手に力を込めた。長く伸ばした爪で、彼の手の甲に跡を付けたくなってしまった。
貴方が私に居場所をくれる。どこまでも落ちていったとしても、貴方と結んだ恋の器が私を受け止めてくれる。私はそうしてようやく人並みに前を向ける。