「お父さん、いい加減にして! 貴方に渡すチョコレートなのに、貴方が監修しちゃ意味がないじゃないの!」
彼が手を出そうとしたのを大声で咎める。もうこれで6回目だ。流石にそろそろ諦めてもらわなければなるまい。
実の娘の、聞いたこともない大声を聞いて彼は流石に怯んだらしく、緩慢な歩みでキッチンを出ていった。
あたしの隣に立つ彼女が「大丈夫だから」と告げて微笑んだのも、彼を納得せしめる要因となったのだろう。彼はあの笑顔にめっぽう、弱いから。
素人のテンパリングに指摘を入れたくなるのはシェフの性なのだろう。
同じ材料で作るのなら、より美味しくなった方がいいに決まっている。それが自らの口に入るものであるのなら、尚更だ。
けれどもあたしは今日、そうした芸術性や効率性を完全に無視して、ただ彼女とチョコレートを作ることに決めていた。
彼の手の一切が入らない、女性だけのキッチンで、正しく「バレンタイン」なるものをやろうとしていたのだった。
どうせこの二人は、バレンタインとかいう風習に則ったことなどないのだろう。
逆チョコと称して彼の方からチョコレートを贈ったことならあったかもしれないけれど、と微笑みながら、溶かしたチョコレートを型に流し込んだ。
もうすぐ50歳を迎えようとしているこの女性、ここ数年でようやく、冷たい水や新鮮な食材に触れることができるようになった私の母。
そんな彼女と一緒にチョコを作る。お父さんのために、二人で作る。その有り体な光景を、けれども数年前の私は想像することさえできなかった。
そう、今、あたしたちがこうしてキッチンに並んでいることは、奇跡のようなことなのだ。
その素晴らしい奇跡があれば、作ったチョコレートが不味くなることくらい、どうということはない。
そして、それを「奇跡」だとしていたのはどうやらあたしだけではなかったらしく、
チョコを溶かして型に流し込んで冷やし固めただけの代物を受け取った彼は、震える両手でそれを包み、その上にぽろぽろと涙を落としたのだ。
それを見た彼女も、釣られたように泣き出してしまった。小さなチョコを囲んで涙を流す壮年夫婦の姿を、あたしはしばらくの間、黙って眺めていた。
その後で勿論あたしは「どうしてこんなことで」と、とびきり呆れた。「大袈裟だわ」と笑い飛ばしてやった。そうしなければいけなかったのだ。
二人が妙なところで涙脆いから、あたしはこうして強くなっていく。これがあたしたちの歪な家族の形だ。それでよかった。それがよかったのだ。
「あたしとお母さんが、お父さんのために作ったのよ。たとえ不味かったとしても、不味いなんて言わせないわ」