7/4、木田さん

 初めまして、木田さん。管理人の葉月と申します。この度はセイボリーの「大論判三部作」をお読みくださり、本当にありがとうございます。
 こんなにも丁寧で詳細で温かいご感想を頂いてしまってええんやろか……とあわあわしつつも、込み上げてくる喜びはどうしようもなく……とても「嬉しみが深い!」思いをさせていただきました。書いててよかったー!
 あまりにも喜んでしまったのと、あと元来お返事文章を長くしがちであるという傾向も相まって、木田さんが下さった以上の文章量でお返事してしまっているかと思います。驚かせてしまっていましたら申し訳ありません。軽く流し読みする程度に目を通していただければ嬉しく思います。

 そもそも「セイボリーとはどういう人間か?」を考えたときに、出会いからレアリーグカード取得、1日1セイボリーできるバトルコートでの試合までを振り返って最終的に出した結論が、彼は「闇の深い人」でも「奇天烈な人」でもなく「魂の清い人」である……というものでした。
 サイキッカーの一族としての矜持、愉快極まりない道化型の処世術。夢を追い続けることを選んだその熱意と、不正に対する反省をすぐさま見せることのできる誠実性。原作において彼が取った行動はあまりにも粗削りで捻くれており、幼稚で拙く呆れてしまう程のものでしたが、それらの愚行をも全力で行う彼の心は、実は既にとても強いものなのではないか、と私は考えました。これはクララにも同じことが言えますね。

 木田さんもご言及くださっているように、セイボリーの望むものとユウリ(デフォルト名にて失礼します)の差し出そうとしているものの「ねじれ」により起きた衝突がこの大論判三部作の中身です。
 現実社会においても、求めているものと与えてくれるものとの違いに悲しくなる、苛立つ、ということは起こり得ると思うのですが、その時に「貴方のその気持ちはとても嬉しいけれど、本当に私が求めているものはそれではない」と口にできる人は決して多くありません。それができる人間、ある種勇敢な存在としてセイボリーを書かせていただきました。私の個人的な解釈が最も強く反映されている部分ですね。
 その「伝え方」が粗削りで捻くれていて幼稚で拙く、呆れてしまう程のもの……であるという点については、なるべく原作のセイボリーと重なるよう意識して書きました。水をかけたり突き飛ばしたり捲し立てたり、などがこれに相当しますね。この粗削りな面、すなわち言葉より先に超能力が出てくるという点を「彼らしい」と評してくださったこと、とても嬉しく思います、ありがとうございます!

 次に「花占い」に始まるお花の描写! こちらにご言及くださったことについても心からの感謝を……。
 花占いという行為の歪性、すなわち【ズレている部分】が二人のすれ違いによる衝突と重なるというご指摘に、書いた本人が「!?」と息を飲んでしまいました。そ、そそそうなんです。「彼の気持ちを何も救わない花占い=彼の気持ちを何も救わないユウリの配慮」ということだったんです。そこにお気づきくださるとは……光栄の至りです!
 突き飛ばされてからのユウリの独白『これ程までに多くの花を散らせなければならないほどに彼が焦がれていたものとは、何だったのか。私はそれが分からないでいる。それでいて、そんなことも分からない私だからこそ、彼にこんな顔をさせているのだということだけは分かってしまっている』がまさにその部分に相当しておりました。そのズレ、その「分からない」を埋めていくのは、やはりセイボリーの「懇切丁寧な説明」でなければならなかったのですが、彼からその説明を引き出すまでに、水をかけたり突き飛ばしたりと、随分な遠回りをさせてしまいましたね。

 あとその花占いや、その他お花の操作全てにテレキネシスを用いた点、こちらの意図についても書かせていただきますね。
 彼が唯一使える超能力、「テレキネシス」を描写するのが大好きなのでつい力を入れて書きがちなのですが、実はこの大論判三部作においては特に力を入れなければならない理由がありました。

 この三部作が二人の想いをひとところへ揃えていく物語である以上、「彼の指揮により花が流れていく様子の美しさ」よりも「彼の言葉が私の懸念を押し流していく様の美しさ」の方が勝っているという印象を、できるだけ強くさせたいという思いがありました。テレキネシスとかいう超人めいた力による「指揮」よりも、彼の切実な「言葉」の方にずっと神秘的で強大な力が宿っているのだ、という印象……これを強めるために、その「指揮」の描写をできるだけ丁寧に書く必要があったんです。
 この試みがよい形で成功していたのかどうかという点についてはかなり不安があったのですが、木田さんにお花へ注目していただけたこと、それを経てこの二人がたどり着いた【「誰かと真剣に向き合う」】ことについてよい評価を頂けたことにより、目指したところというのは概ね達成されていたのかな、と思うことができ、自信が付きました。

 最後のややコミカルな着地については「二人のそういう想いまでひとところへ揃ってしまいました、本当はもうずっと前からそうだったのだけれどね!」という、二人の喧嘩にお付き合いくださった読み手様に安心していただく意味で盛り込んだようなところもあったので、予想通りの捲し立てっぷりと言っていただけてほっとしています。
 このような着地の仕方はこれまであまり書いてこなかったのですが、いざ導入してみると存外楽しく、今後も積極的に取り入れていくことになりそうです。が、素でコミカルを行くセイボリーが相手でなければ成功しなさそうなのが辛いところですね……。

 改めまして「散る星、打つ水、沈む骨」「月の筏をつくる指」「そんなこんなに誓う夜」の大論判三部作、二人の喧嘩にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
 1日1セイボリーも応援していただけるということで、とても嬉しいです! また明日以降も張り切って書いていきますね。
 もしよければまた、お話する機会を頂けると嬉しく思います。拙作たちと共に、お待ちしています。

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