6/26、夜那さん

 取り急ぎこれだけお伝えさせてください!
 27日に間に合うようにとメッセージを送ってくださり、本当にありがとうございました。
 正直なところ、「大丈夫!」と書いたものの、いざ前日になるとそれなりに不安で、セイボリーの妄想でなんとか正気を保っていた(その方法はだいぶおかしい)ところがありましたので、とても救われる心地がいたしました。明日、私は本当に「一人ではない」のですね。ありがとうございます。行ってきます!

 残りのお返事は明日以降に書かせていただければと思っています。またお会いしましょう。

(6/27)
 改めまして夜那さん、遊びに来てくださりありがとうございました。
 案の定というか何というか、一時期は荒れまくりましたが、とりあえずはそうした荒れた状態というのも言語化できていますし、書き落とすことにより自身の心の整理も着きましたのでひとまずは大丈夫かと思われます。ままならないことばかりで、いろんな方からいろんな理想論や最善法を折角お伺いできても私の臆病が故に何も変えられないままで、結局は流されるがままに戦うことになってしまって、諦めることはやはり許されず……という有様ですが、まあ8割方予想できていたことだったので、大丈夫です。お気遣い、本当にありがとうございました。

 おっと夜那さん、ツイステにはまっておられるのですね。人気ですねツイステ。私はチュートリアルに出てくるというペストマスクみたいなのを付けた青っぽい教員さん? が好きですが、ゲームをダウンロードするには至っていません。
 iPhoneが11になって容量も膨大になったのですが、ソーシャルゲーム系は私の時間的・心理的余裕の関係で、なかなか遊ぶことができそうにありません。これだけは絶対に! と思っていたポケマスでさえ最近はずっと触れていないもので……。夜那さんの素敵な理論である「全人類やるべき」の中に入れない魚類の私ですが、どうか仲良くしていただければ幸いにございますフフフラダリ

 「優しさの知識」に関して「こいつは何を言っているんだ?」と思ってくださっても構わないのですが、実はね、これ、優しくする能力って人をイジめる能力と同程度に上達していくものなんですよ。
 特に親しくなった間柄であればまた事情は異なりますが、基本的に他者に対する優しさなんて決まり切っていますよね。マナーを守る、望みを叶える、支えを乞われる前に手を差し伸べる、苦痛に同意する、自虐を否定する、等々……。人を虐めようと思うならその逆をとことんすればいいんです。
 これと同じ理論で活躍されているのがSM(ポケモンサンムーンではない方です)を嗜んでおられる方々だと思っています。彼等は「飴と鞭」を使い分ける天才だと聞きます。相手にとって何が飴で何が鞭であるかを分かっていないとできない挙動なんですよね、SMって。相手への理解、すなわち【優しさの半分は知識】とは、そういうことなのだと思います。「本当に優しくしたいと思う真心」が半分、「その優しさを相手にとって有益な形で振るうための剣」が知識、なのだと解釈しましたけれども……うん……SMの例えはあかんかったね……ごめんなさい!

 う、うわあああセイボリー読んでくださったのですか! ありがとうございます! 【まるでセイボリーがそこにいるような】とは光栄の極みです。ワタクシ、嬉しみが深い!
 大論判三部作のユウリがまさに「優しさの半分を欠いた人間」であり、セイボリーに対して「本当に優しくしたいと思う真心」はあるものの、それを「相手にとって有益な形で振るう」ことができていないために、彼を逆に怒らせてしまっています。彼女の優しさをセイボリーは「××」と形容し、その××をいたく嫌う旨の発言を第二話ではしています。真心と知識のバランスを欠いたがために、相手に優しくすることが叶わず相手を傷付けてしまう……というのは、現実世界でも多々あることですよね。ああもう本当に、どうしようもないままならない世界!

 【チャンプオンになり心を病んでしまったが孤島で少しずつ回復していく】という流れにいる主人公も素敵ですね。道場はミツバさんが「家族」と形容していたように、本当に温かい場所なので、主人公も回復していけるといいなと思っています。そ、そんな、心は回復しなくてもいいなんて寂しいこと、い、いわわ、言わないでくださいよ……でもちょっとその気持ちは分かもにょもにょ

 好きなものが特にない、というのは、実は家族、要するに……がそれに該当していたりするんですよね。
 私はポケモンであれどんなものであれ、何に心を打たれたか、とか、この映画のどこが好きか、とかいうことを、頭の中で分類しながらそのエンターテイメントを楽しんでいます。特別なことという訳ではなくて、おそらく大抵の方がそうだと思います。「性癖」という言葉が使われがちなのも、皆さん個々に「イチオシ」「お気に入り」を有しているが故に意味が通ってしまうから、なのだと思っています。
 でも……にはそれがない。ディ〇ニーは好きであるはずなのですが、何故好きなのかと問うても要領を得ない。トイス〇ーリー系を好んでいますが何故? とか、どのシーンが好き? とか、色々と探ってみてもろくな答えが返って来ません。何について尋ねてもそうした調子なので、この人は私に対して自らの趣味嗜好を開示する心づもりがないらしい、私では開示の相手に値しないようだ、と勝手に寂しくなったりもしたのですが、どうやら私に対して線を引いているというのではなく、……の性質として「そう」であるようなのです。
 何に熱中しているという訳でもない。オフの時間も特定の趣味に没頭するでもなく、ただ気になったテレビを見て、ゲームをして、漫画を読み、買い物をし、美味しい食事を求めて外へ繰り出し、ちょっと高いお酒を買う。それだけです。
 私の尺度で考えれば「この人は一体何を生き甲斐として毎日頑張って生きているんだ!?」というような有様ですが、そうした特定のものへの執着がないからこそ、……の目線はどこまでもフラットです。妙な贔屓がなく、偏見もありません。したいことではなく、すべきことを考えて忠実に動くことができており、そのことに対してストレスを感じている様子もありません。ただ淡々と、生きています。その純度の高さは尊敬に足るものだと思っています。勿論、そんな生き方をしたいとはどうしても思えませんが。

 この大きな認識の差が生むトラブルについてほんの一例を挙げると、……にとって、今回の挑戦は「頑張ること」などではないのです。必要だから取り組む、それだけのこと。……は淡々とこなそうとしているに過ぎません。私にも同じように、淡々とこなすことを要求しているに過ぎません。……にとってはそれが当然のことなのだと思います。
 でも私にとってはそうではない。私は……ほどフラットな目で物事を見られません。それに取り組むことによって、私が痛みを負う(今回の場合は本当に、手術や注射で物理的な痛みを負うことが決まっています)ことも……にとっては当然のことで、別に殊更に気合を入れて「頑張るべきこと」ではないとのお考えなのでしょう。にもかかわらず私は「好きで手術や注射をしている訳じゃない」などと、笑いながらではありましたが八つ当たりめいた発言までしました。ちょっと、聞き分けが悪すぎましたよね。

 私とは全く異なる価値基準を有している相手だからこそ、その心を推し量り、そのフラットな姿勢に沿って生きていくことは正直、かなり大変です。ただ、今後どうなったとしてもこの人と共に在るのだろうという覚悟は既に出来ているので、あとは「どう生きるか」というところに焦点を置くのみ、といった状況ではありますね。
 おそらく今回のようなことが起こる度、私はその難題について考えさせられることになるかと思います。その度に、「好きなもののために走れる喜び」に支えられ生きてきた私と、その実感を持たずに生きてきた……との認識の差に愕然とさせられ、勝手にショックを受けていくのだと覚悟しています。それでも、今回のように文句を言いながら、嘆きながらも私は走ってしまうのでしょう。私は「好きなもののために走れる喜び」を知っており、その「好きなもの」とこうして、苗字まで揃えてしまったのですから。

 今回は私のことを多めに話してしまいましたね、申し訳ありませんでした。(前半のSMの話は本当に必要だったか……?)
 前回の言葉で夜那さんが【許された】というお気持ちになれたのであれば、そして夜那さんがご自身に誇りをもって生きていくための手助けが私なぞの言葉でできていたのであれば、とても、とても嬉しく思います!

 では、ありがとうございました。またお会いしましょう!

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