6/21、夜那さん

 こんにちは、夜那さん。遊びに来てくださりありがとうございます。ッスー……天気いいっすね……でも明日から天気また崩れちゃうらしいっすね……ッスー……。
 あ、天気デッキ愛用者様がシールドのDLCを遊んでくださっており、彼のお声でセイボリー語録が再生され私はとても幸せな思いをしました、というご報告だけ、先んじてさせてくださいね。
 こちらへのコメントに関しては、1週間空こうが3か月空こうが大丈夫なんですよ! お忙しい時期も、別ジャンルにどっぷりしている時もお互いありますものね。長く空いた場合はご無事でいらっしゃるかどうかだけ、LINEで確認させていただくかもしれませんが、こちらへのご訪問に関してはもう、ご自由に! 話したいことが出来た時に、お好きなタイミングで、お好きなこと、お聞かせいただければ幸いです。

 無意識の領域で人を傷付けてしまう、というのは、その場に人間が二人いて、その間で言葉が変わされている以上、ある程度致し方ないところであるとは思います。特に成長すればするほど、特定の単語や話題に対して抱える「嫌な記憶」「嫌な感情」というのも増えてきますから、こちらの全く意図していないところで相手が嫌なことを思い出し、傷付く、などというアクシデントも……珍しくありません。
 これを避ける手段としては「話をしない」が最も有効ではあるのですが、私はそのような最適解を選ぶよりも、傷を負うリスクがあったとしても夜那さんとこうしてお喋りしていたいと考えています。勿論、お互いに配慮は必要になるかと思いますが、その上でアクシデント的に負ってしまった傷を恨むつもりはありません。ですからあまり、気を張らなくても大丈夫ですよ。

 DLCについて、夜那さんも遊ばれているとのことでニヤニヤしてしまいました。やったあ! ご購入おめでとうございます!
 セイボリーには8年前のアクロマさんくらいには夢中にさせられていて、今までのSWSHは何だったのかと思うくらい今の方があの世界にのめり込んでいるという有様です。それもこれも全部セイボリーって奴の仕業なんだ。
 夢中になった結果、短編や連載などにおいてあまり私らしくない、軽めのテイストのものが更新されていますが、彼との話はこのような形で「楽しむ」ことになりそうです。大好きな人物ではありますが、やはりシールド限定ということもあり、メインルートに据えることはできそうにないかなと思っています。
 チャンピオンとしての知名度がヨロイ島では皆無であったことについて、このエピソードはどうやら「殿堂入り前でも挑戦できる」ものとして組まれているらしく、そのためチャンピオンの単語が出てこなかったのだと思います。殿堂入り前だとセイボリーの繰り出すポケモンのレベルも更に下がるようですね。
 ですがそうした「システム的にチャンピオンという単語を出せない」という状況を逆手にとって、あの島をユウリの桃源郷とする発想は私にもあり、それを元に新連載を書いているようなところがあります。ふふ、楽しくなってきましたね……。

 セイボリーにどっぷりしているあまり、あつ森やテトリスやDBH妄想やYoutube視聴などがほぼストップしてしまっています。それもこれも全部セイボリー(略)
 でもポケモンの配信はしっかり見ましたよ! 皇女様と社長と天気デッキ愛用者の3本、拝見済みです。みんなサメハダーにびっくりしている……。

 ひぇ、蚊は北海道にもいるんですね。なんてこった、やはり蚊のいない桃源郷などポケモンの世界にしかなかったんや! かなしみが深い!

 前回の「従順性」に重ねて、引き続きのお話となりますが、まず【私にとって見たことの無い角度から来る】というお言葉がとても嬉しかった、ということはお話させてくださいね。私は、それこそが他者と会話をする意義だと思っています。特にこうした「議論」を重ねるのであれば、そこに起こるものとしては生温い同調よりも熱い対立の方が個人的に嬉しいと思ってしまうタイプです。それ故に、夜那さんとの「考えが合わない」というのではなく「ものの見方がなんか違う」という意味での熱い対立が起きていることに、思わずガッツポーズをしてしまいました。そ、それはさておき!
 やはり夜那さん、「選択できる立場」にあったのですね。自らの実力が選択肢を狭めるのではなく広げてしまい、だからこそ強めの葛藤に苛まれることになるというお辛い状況であり、「誰かの判断に従おう」と決意するまでにも沢山の苦悩があったことでしょう。
 けれどもそうした状況の中で夜那さんを支えたのは、ご自身でも書いておられるように【「好きだけがきっと私達を守る」】という、この信念であったのだろうと推察します。
 私も「好きではないもののために走って後悔した」ことは数あれど「好きなもののために走って後悔した」ことは未だかつてないような気がしています。あったのかもしれませんが、思い出せないということは大したことがない、もしくは許してしまえることだったのでしょう。
 好きなものであれば、走った先で何かしらの辛さや害を被ることになったとしても受け入れられてしまいます。それを「好きである」という感情を抱いているという時点で、その気持ちが私の中にある時点で、私は十分に報酬を受け取っている……という認識があるからかもしれませんね。

 「他人にとやかく言われる所以など在りはしない」という青き頃のあれに対しても、肯定と同調のお言葉を頂き有難い限りです。ただそれを「誇ることもある」とできるところはやはり感服せざるを得なく、「ひぇえ流石」と思わず声に出してしまう程でした。
 私は……まだ、あの青き頃のあれに対しては、ただただ恥ずかしい気持ちでいっぱいで、今思い出すのもこの猪突猛進の姿勢が招いた失敗の体験ばかりです。きっと当時、折り合いを付けることができなかったために、年を重ねれば重ねる程に「片付ける」のが難しくなっているのだと思います。でも夜那さんは既にそこへ「誇り」を持っておられる。これって、ねえ、すごいことですよ。未来の方向へ引きずっていく何かしらは、少なければ少ない程、身軽に羽ばたけます。その「誇り」を手にできた分、きっと夜那さんは私よりもずっとずっと高く、飛べるはずですよ!

 私事ではありますが、27日に例の件で某所に向かい、説明を聞いたり専門家様を交えて話し合いをしたりするつもりです。またその折には24で喚き散らすかもしれませんが、一時的なものとして「荒れてんねぇ」と笑っていただければ幸いです。
 方向性がどう決まろうとも、一時的に大荒れしてしまうことになったとしても、きっと大丈夫だと信じています。以前の通院よりは、ずっと前向きな気持ちです。貴方のおかげです、夜那さん。

 では、ありがとうございました。またお会いしましょう!

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