3/12、泉さん

こんにちは、泉さん。お久しぶりです。またお会いできて、こうしてお話ができて、本当にうれしい!
嬉しい……にもかかわらず、こちらの多忙によりお返事を延ばしてしまいました。も、申し訳ありません……。

【主人公たちもみんな元気なようで、嬉しいです】と書いてくださり、本当にありがとうございます。
がらりと変わってしまった子というのはいないのですが、少しずつ、以前の彼女達とは違っています。それでも彼女等を貫く軸はぶれることなく、彼女達らしく生きています。
その「生きている」姿を書けることが、今はただ嬉しく、誇らしく、そして純粋に楽しいと思えます。

Methinks、読んでくださったのですね。ありがとうございます。
誠に勝手ながら「貴方にお読みいただけてこそのMethinks」などと思ってしまっていたので、物語の完成に浮き足立っております(勿論、まだ続きますが……)。

人のふりをして生き続けたフラダリさん。人のふりをする意味を見出せず、ただ恐怖が失せるまで眠り続けたシェリー。
人として、正しく人との別れを悼み続けたフラダリさん。人であることを忘れて、その死を自らの眠った先に委ねたシェリー。
どこまでも対局にある二人ですが、その対極に在る二人が「同じ場所に帰っている」ことこそが、この第一章に通ずる二人の愛……であるのかもしれません。

「誰がわたしを置いて死んでいこうとも、君だけは此処にいてくれる」
「私がいくら眠っても、彼だけはいなくならない」

互いにとって、互いはかけがえがありませんでした。そのかけがえのなさを……呼べるものなら、愛と、呼んでみたいと思っています。
その「かけがえのなさ」が「永遠」という現象に修飾され、なんだかとても気味の悪い尊さを生み出しています。
その尊さを、しばらくシェリーには喜んでもらおうと思っています。
それが【死んだように生きる】ようなものであったとしても、シェリーはその本質に気付かないまま、ただ現象だけを喜び、笑い続けることでしょう。
勿論、その喜びだけに残りの900年を費やすような真似はしないつもりですが、しばらくはそのような、鬱屈した幸福を味わう時期があってもいいのではないかと思っています。
あと、200年くらい……かな?

それから、木犀とMethinksとの対比、お見事でございます。
やはり「貴方に読んでいただけてこそのMethinks」という私の確信は間違っていませんでした……!

死を恐れつつも受け入れた木犀のシェリー。死を蔑み避け続けたMethinksのシェリー。
短い時を懸命に生きた木犀のシェリー。長い時を緩慢に生きるMethinksのシェリー。
「私を忘れないで」と望んだ木犀のシェリー。「私を覚えていて」と望まれてしまったMethinksのシェリー
一瞬を永遠にした木犀のシェリー。永遠を一瞬にしたMethinksのシェリー……。
……いけない、「シェリー」がゲシュタルト崩壊を起こしてきそうです。

これ程までに真逆の様相を呈する二つの物語ですが、どちらの連載も、仰る通り【命】や【生きる】ということをテーマとしていました。
命の長さが大きく変化したとき、彼女は、彼は、どのように生きることを選ぶのか。5年という短さ、1000年という長さの中で、彼女は何を学び何を得るのか。
それらを考えながら、生きてもらおうと思っていました。それらを考えながら、彼等に訪れる数多のエピソードに触れていただこうと思っていました。

木犀は「1/100の永遠」としていますが、シェリーが生きたのはそのうちのたった5年です。
Methinksでは真に1000年の時を生きることになりますから、実に200倍の命が与えられている……ということになります。
こんなにも違うのです。過ごす時間の長さが違いすぎるのです。そんな中で生き方を変えずに過ごすというのは、ある意味狂気の沙汰です。
異常な環境(1000年)の中においては、正常に時を回そうとすることこそが異常であると私は考えています。
ですので、Methinksにおいて狂っているのは異常な暮らしをしているシェリーではなく、寧ろ異常な中に身を置きながらも悉く正常であろうとしたフラダリさんの方……。
そんな風にも、考えることができるように思われます。

けれども私は、どちらのシェリーにも、そしてどちらのフラダリさんにも「生きて」もらおうと思っています。
たった5年の一瞬であろうとも、1000年もの永遠であろうとも、彼女は学び、変わり、信じ、生きることを覚えられる人に、必ずなります。
たった1/100の永遠であろうとも、1/3の永遠であろうとも、彼は変わらず正常を貫き、彼女を想い、彼女の傍を望む人で、必ず在り続けます。
死んだように生きる時間があったとしても、その死の季節は必ず去ります。
彼女が生きている限り、そして、その隣に彼がいてくれる限り。
その果てに手にする彼等の真理は、小さな、……本当に些末なものでしかない予定なのですが、
その些末さを1000年という時がどのように修飾してくれるのか、このMethinksという生き物がどのように動くのか、私も、楽しみです。

……本当に、本当にありがとうございます。
貴方に読んでいただけてよかった。

【貴方らしい文体で、貴方らしいペースで】と書いてくださり、ありがとうございます。
書きたいものが、沢山あります。下らないことも、以前に書いたようなことも、沢山、書いていきたいと思えます。
書いていれば、どんなに他のことが変わっても、私が何か大きな力に変えられてしまったとしても、なんとか生きていかれるような気がするのです。

私が書く。私らしく書く。そしてそれを貴方が読んでくださる。
その事実を、とても喜ばしく有難い事実を、このような傲慢が許されるのであれば、私は「貴方と生きている」と形容したい。
いつでも、遊びに来てください。みんなと一緒にお待ちしています。


P.S. 以前に少しおはなししていた「隔離サイト」ですが、完成いたしました。
現在、メニューから飛べる場所のどこかに隠しページを、メニューから飛べる場所のどこかにパスワードを置いています。
旧サイトの「××」のように使っている状態です。いいことは一つも書いていないのですが……。
もし「あれ? 雨袱紗に葉月がいないぞ?」と思われましたらこちらを確認してみてください。その時にはあちらで煩くままならないことを吐き散らしているかもしれません。

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