2/25、忘さん

こんにちは、忘さん。
以前のサイトにも、コメントしてくださっていたのですね。
1年強の沈黙期間があったにもかかわらず、このサイトのことを覚えていてくださったこと、本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。

も、木犀でございますか。しかもシェリーに会いたくなられてしまったのですか。わ、わわわ(混乱)
シェリーを、覚えてくださっていたのですね。貴方は彼女の「私を忘れないで」を叶えてくださった方なのですね。
シェリーに代わって「ありがとう」と言わせてください。本当に、ありがとうございます。

あれを書き始めたのは2013年10月、XYが発売された5日後のことだったように思います。
木犀の彼女が亡くなったのはED後の5年後、彼女が19歳のときでした。
そして去年の10月、XYの発売から5年が経った頃、道端の金木犀が満開になっているのを見つけては、
「ああ今年は彼女の死んだ年だ」「これからずっと彼女はこの花に乗せて「私を忘れないで」と囁くのだ」などと思い一人、感慨に耽っていたものです。
彼女が死んでも金木犀は咲き、彼女の「命を懸けたメッセージ」は呪いにも言祝ぎにもなって生き続けます。
あの強い香りの傍にいつでも彼女はいます。私の中ではきっとこれからもずっとそうなのでしょう。
その心地の一部でも、シェリーを覚えていてくださった貴方に共有していただけるなら、これほどの喜びはございません。

私の文章についてのご言及、ありがとうございます。
【息苦しさや生き辛さの中でもがきながらも、それでも確かに生きている】という風に感じてくださったこと、とても嬉しく思っています。

サイトを立ち上げた8年前からのポリシーとして「重く深く真剣に想う」というものがあります。
それ故に、当サイトの物語はあまり「夢小説」の形をしていません。
夢小説とは「夢主と呼ばれる自己を投影できる程度に個性を没した女性がお相手にたっぷりの愛を注がれる」ものであり、
自己を投影できない程に夢主の人格を固定したり、その夢主を重く深く思い悩ませたり、ましてや死を選ばせたりすることなどはまず、まず歓迎されない……。
というのが、一般的な見方であるという風に私は考えているからです。

けれどもどうしても、どうしてもこの書き方しかできなくて、先に輪郭を作ってしまわないと物語の中で重さや深さを出すことができなくて、
……そうした「重く深く真剣に想う話を書きたい」という私のエゴのために、此処の彼女達は、あまりにも重く深く悩みがちです。
そして、そうした重く深い想いを積み上げていった先で、誰もが最後には必ず「誰かをかけがえがない」とするのです。

私は、愛とはそうあるべきだと思っています。
私の理想の愛・夢の愛を詰め込んだ物語を書いているという点においては、このサイトにあるのはまさしく「夢小説」であると言えるのでしょう。
……勿論、そのような曲解が一般的な夢小説の世界に通用するとは微塵も思っていません。
それでも、このような歪な夢小説を許してくださる、忘さんを始めとする方々のおかげで、私は今日も書いていられます。生きていられます。

【葉月さんにとって書くことは生きることなんだなぁ】
その通りです。
……他に何も書くことがないくらい、本当に、その通りなのです。
沈黙していた1年強の分まで、これから沢山、沢山、生き戻しをしていけたらと思っています。
気を悪くなど、しませんでしたよ。彼女達を、私の書く物語を、私の生き方を、肯定してくださりありがとうございます。

ダンガンロンパ、ご存知なのですね。
ゲームなどのエンターテイメントとの出会いも、ご縁がなければなかなか叶うことがありませんので、
そういう意味で去年の10月にあのゲームを遊べたことは、私にとってとても誇るべき、素晴らしい出会いであったのかもしれませんね。
手放しで褒めることが躊躇われる程度には、ショッキングな内容・残酷性・破廉恥表現などが多分にある怪作でしたが、
それでも私は、あのままならない世界に生きる(生きた)彼等に出会えてよかったと、私を叱ってくれたのが彼等でよかったと、心から思えます。

その「エンターテイメントとの出会い」を差し出してくださったことについても、感謝の言葉を。
ミュージカルは劇団四季の「美女と野獣」「ライオンキング」あたりをはっきりと覚えているのですが、
あとはテニスの王子様のミュージカルに登場する名曲(怪曲?)の一部を動画で拝見して楽しんだ程度……のような気がします。
けれども音楽劇というのはとてもとても興味のあるジャンルで、しかも忘さんのプレゼン文章がものすごくお上手でいらっしゃるがために、
「くっ……出でよ4000円!」と黒魔術に手を染めてでも手に入れて拝見したい衝動に駆られています……。

「純潔」
あらゆる感情をエンターテイメント上でそう表現する勇気は、私には持ち得ない眩しいものです。
私はどちらというと、ヒカリのような「誰もが悲しくならないようにしたい」という幼い願いだけを抱えて走る少女にこそ、この言葉を置きたくなります。
けれどもこの作品においてはむしろ、鬱屈した重く暗いものを抱えていればいる程に、それらが「純潔」として書き出されるのでしょう。
そうした美学を勉強する意味でも、是非触れてみたいエンターテイメントです。

私、タンバシティの山奥に住んでいるのですが、平野部に下りたところにあるTSU・TA・YAにこのDVDがあることを切に祈るばかりです……。
私が黒魔術さえ使えたなら4000円を生み出すことなど造作もなかったのですがねフフフラダリ

無理をしないで、とのご配慮も、とても嬉しかったです。
私は「重く深く真剣に想う」というポリシー故に、重ための物語を作るに際しては、それこそ魂を削るように書いているようなところもありまして……。
(あまりにも大袈裟がすぎて笑われてしまうかもしれませんが、少なくとも私の中ではこの表現は紛うことなき真実です)
そのため、何かこう、木犀やマーキュリーロード並みに鬱屈したものを思いついてしまった際には、
誰のせいでもなく私のせいで、私が書こうとしているせいで、精神を疲弊させてしまうこともあると思います。
けれどもその辛さ、疲れ、緊張、不安、恐怖といった「最高の不穏」こそが、
私が書いているということ、ひいては私が生きているということなのだと信じています。

そのように私の書き方、私の生き方を信じられなくなった場合には、またしばらく筆を置くこともあるかもしれません。
けれども忘さんが【無理をしないで楽しく】と願ってくださったから、その折にはしっかり休むようにしようと思います。
またあの不穏を楽しめるようになるまでじっくりと待とうと思います。

ありがとうございました。
また、お会いできることを願っています。

© 2024 雨袱紗