こんにちは、みーさん。
メールを、ありがとうございます。沢山の「おめでとう」を、ありがとうございます。
言っていいのかどうか悩んでいたと、言いたかったと、書いてくださってありがとうございます。
私は、私自身の怠慢が故に流されるような形で決めてしまった「あれ」を、少なくとも「嫌なこと」だとは思っていません。
そして、旧サイトの「××」を見ていてくださった貴方を始めとする方々が、私の「あれ」をどのようにご判断なさったとしても、
それは私の咎めるところではない、どうとでも思ってくださって構わない、と思っていました。
そう、どのような言葉であったとしても、よかったのです。
誰かが、閉鎖して1年も経つあの場所に訪れてくださったこと、××を見てくださっているということ、そこに書かれた私の言葉に何かを想ってくださったこと。
それらについて、私は正しく感謝すべきだったのだと思います。
その「正しいこと」ができるようになるまでに、あまりにも長い時間がかかってしまいました。
でも今は、その正しいことを、私の嘘偽りない想いとして、貴方に申し上げることが叶っています。
みーさん、ありがとう!
*
さて。
海へのお言葉、ありがとうございます。
ただ、正直に書かせていただくと、私は貴方が想いを込めて綴ってくださったであろう海へのお言葉を、まだ真正面から受け止めることができていません。
貴方のお気持ち、嘘偽りない想いを聞くことができてとても嬉しい。けれどもそれと同じくらい、海へのご言及に目を通すことがどうしようもなく、怖い。
恐れながら、不安に背を撫でられながら、こわごわと読んでいます。これが、今の私の正直なところです。
ただ、言えることがあるとするならば、反感を承知で書かせていただけるなら、
たとえ今後、類似のコメントをどれだけ多く頂戴したとしても、どれだけ海がそのように見られたとしても、海が変わることはきっとないでしょう。
その身を滅ぼしかねない程の危なっかしい献身と、自己を含むことを忘れた全ての人間に捧げる誠意。それを小さな体にめいっぱい宿しているのが彼女です。
その結果、彼女が鉛とは比べ物にならないくらいの、呆気なくみっともない死を迎えてしまったとしても、私は海を生かすために海を変えるなどということはしません。
私は海を書き続けます。
これが、沈黙の1年の中で私が出した結論です。
だからどうぞ、みーさん、今のままでいてください。そのお気持ち、どうか大切になさってください。
私が、長い時間を、こんなにも長い時間をかけてサイトを再開したにもかかわらず、
多くの訪問者さまを不快にさせたであろう海を、あの頃と何も変わらない形のまま、連れてきてしまっているのです。
これからも嫌われ続けるかもしれないことを承知で、疎まれるであろうことを承知で、そのままの海を書くのだと、私が一人で勝手に決めてしまったのです!
私は私のために書きます。だからみーさんはみーさんのために読んでください。
そこで感じた想いを、伝えてくださった言葉を、私も正しく受け止めます。
受け止めて、そして、そんなにも私の綴った概念に対して心を揺らしてくださったことに、まずは心から、心から「ありがとう」と申し上げたい。
これからも、貴方に「ありがとう」と心から申し上げることの叶う、私でありたいと思っています。
*
重苦しい話はこれくらいにして(軽い話を私が上手にできるとは思えないけれど)SSの話題に移りましょう。
まずは目を通してくださったことへの感謝を。そして、コトネについてのご感想への喜びを。
旧サイトではなかなか登場の機会がなかった彼女ですが、彼女の精神の安定感はトウコに迫るものがあります。
加えて、コトネはトウコとは違って、劣等感や尊敬、そして妬みさえも容易く抱いてしまう質です。そういう意味では煤や鉛にも似ています。
けれどもそれらを【一番上手に扱える】のは確実にコトネなのだろうと、私もみーさんのお言葉に強く同意させていただきます。
そう考えると、鉛や煤の傍にこそ彼女がいてあげた方がいいような気がしてきましたね……なんでや、なんでそこに海を持っていったんや。
実はSSにおけるコトネラッシュ(?)は、せめて「彼女達には何の憂いもない幸せな結婚をしてほしい」などという私の欲望から始まったものでした。
勿論、空夫婦やイッシュの比翼も幸せには違いないのですが、その決断を12歳で、しかも指輪という第三者にも見える形で為してしまうところに、彼女の異質な個性があります。
「ミルクパズル」での旅であらゆる感情を知り、光のようなスピードで急成長した彼女には、
もしかしたら【縛られているから生きていける】ということが既に分かっていて、だからこそ敢えて彼女はあの言葉を選んだのかもしれません。
……いえ、そうなのでしょう。確実にそうです。【人は、できることとできないことがある】ということを、彼女は12歳にして分かっているのです。
だからこそ彼女はサイコロにて、海の傲慢を嫌ったのでしょう。「私は、傲慢だと思う」と、海の愚行をやわらかく責めたのでしょう。
(サイコロはまだこちらに引越させていない連載なので、リンクを貼れないのが心苦しいのですが……)
それから! 声を大にしてお伝えしておきたいのですけれども!
みーさんの人生はまだお若くてこれからでこそあるけれどもこれまでのそれだって決して浅いものではなくて!
こんな辺境の地に立つサイトにこれだけの想いやお気持ちをお届けくださる方の生き様が、よりにもよって鉛に及ばないなどということがあるはずがなくて!
生きていこう、というご決断ができる貴方は! 自らの破滅を顧みない海よりも、自らの命を愛の手段に使う鉛よりも! ずっとずっと強くて素敵な方なのですよ!
……ちゃんと、伝わったかな……?
*
最後に。……いえ、これが最後になるなどとは微塵も思っていませんが(傲慢!)今回の締めくくりとして。
私はこの1年間で様々なものを手放しました。大事なものを大事にするために、大事なものを手放すという、訳の分からないことを続けていました。
大事にしていたものを手放してまで生き続けることに、何の意味があるのか分からなくなることも多々ありました。
夢を手放し、名前を手放し、住まいももうすぐ変わってしまって、最早私が私であるためのものなど何一つ残っていないような気がしてさえいました。
けれどもみーさん、貴方は私の名前も、姿も、声も、知りません。
だから私が名前を変えたことや、夢を手放したこと、住まいを変えることなどは、きっと貴方から見た私には何の影響も与えていないのですよね。
私は貴方の前では、変わらない私のままでいられるのですよね。
……では、雨袱紗や雨更紗で結べたご縁の中では、私は何をもって私だったのだろう、と考えたときに、貴方のこのお言葉があまりにもぴったりと私の中に嵌まりました。
【ただ、書いてくださっている、たしかに生きているということが、私が知ることができる葉月さんです。】
書いているということが、私。生きていれば、書いていれば、それが私。
私は私で在るために、書き続けている。生き続けている。
……私にとってのみーさんも、きっと同じです。
読んでくださっているということが、生き続けることを選べていらっしゃるということが、私の知る貴方の本質です。
それが、それこそが、私の大切な貴方です。
ありがとうございました。
また……お話、しましょうね。