こんにちは。
もしかしたらもう届かない言葉かもしれないけれど、どうか書かせてください。
5月11日、あの日のことを、9か月が経った今でも鮮明に思い出すことができます。
最悪の日でした。ミスが続いて、いつもできていたことさえも上手くできなくて、恐怖に首を絞められて、臆病に足を取られて、とにかく散々な日でした。
任されたことをこなしていけば、いずれ慣れていくものと思っていました。仕事って、そういうものだと思っていました。
けれど、どうしてもできないことが多すぎて、私が不甲斐ないせいで上司さんの機嫌を損ねてしまって、
ああ、私はとうとう私は給料を食うだけの雑巾に成り下がってしまったのだと、あの日、呆然とした目でそう確信したことを覚えています。
そんな日の休憩時間にコメントの通知を受け、貴方の「息はできてますか」というお言葉を見て、私は初めて自分が、本当に浅くしか呼吸をしていないことに気付かされました。
息をしなければと思い、強く吸い込んでから次の文を読みました。
すると、浅くしか呼吸をしないことでなんとか留めていたものが、次から次へと溢れて、止まらなくなりました。
此処が職場の休憩室であることも、あと30分でまた戻らなければならないことも忘れて、ぐずぐずと、泣いていました。
「貴方の物語を読んでやっと呼吸ができます」
それはきっと、こちらの台詞でした。私は貴方の届けてくださった言葉を見てようやく呼吸ができるようになったのです。
5月10日に送ってくださったメッセージ。それを拝見した11日という日。あの日私は確実に、貴方に生かされていました。
貴方の言葉が、私に呼吸をさせてくれました。
こんなにも私の綴った物語を大事にしてくださる方を蔑ろにして、がむしゃらに励んだあの日々に、果たしてどんな意味があったというのでしょう。
私が大切に想う方々をおざなりにして、温かいメッセージに何の反応もできないまま、取りつかれたように取り組み続けたあの業務。
確かに私の「夢」であったはずのあれに、一体、どんな意味を見出すことができたというのでしょう。
私にはどうしても、分かりませんでした。
それでも、同じように息ができなくなりながらも頑張っている貴方と共に、私も、やれるだけのことをしようと思っていました。
貴方には正確なことを申し上げます。
私は夢であったはずのあの場所から逃げるように去りました。
そのあと、何もかもどうでもよくなってしまって、周りに流されるがままに、私は自分の住まいも、自分の名前も、変えました。
こんな気持ちのままするべきではないことを、人生においてとても大きな決断であったことを、私はこの9か月間の間に沢山、しました。
今でこそ、それらの変化を受け入れられて、前向きに今後を考えられるようになりましたが、それまでは本当に、惰性に任せて息をする毎日でした。
自分が生きていることが、息をしていることが、恥ずかしくて仕方ありませんでした。
共に、頑張ることができなくて、本当にごめんなさい。
私が今の貴方にできるのは、これから編む物語が再び貴方の呼吸の一助となれることを祈って、書き続けることだけです。
また、お会いできることを祈っています。
ありがとう。ごめんなさい。