※お名前を見つけられなかったのでこのような書き方をしています。
当サイトの連載「鈴懸モミジの子守歌」におけるシェリーの台詞
「でも、貴方に私の荷物はあげません。私は貴方に沢山のものを貰ったけれど、私は貴方にただの一つもそれを返しません」
……これに心当たりのある方だけ、読み進めてください。
改めまして、こんにちは。
このシェリーの台詞に限らず、貴方はいつもコメントの中で、私の物語に登場する台詞を沢山、引用して、おはなししてくださいましたよね。
ああ、こんなにも覚えてくださっている、と、心当たりのある一文を見かける度に心臓が踊ったものです。
とはいえ、私は自分で書いたものの半分以上を頭からすっぽ抜かしているようなところがあるので、
貴方が「」付きで引用してくださったにもかかわらず、未だに「私が書いた」という自覚のないまま読んでいる文章が、もしかしたらあるかもしれません。
貴方はきっと私以上に、私の書いた概念を記憶へと留めおいてくださっている方なのですよね。
そこまで深く、長く、雨更紗へとお越しくださっていたにもかかわらず、私は随分と長い間、貴方に不実を働いてしまいましたね。
申し訳ありません。
今なら、ちゃんと分かります。
貴方が絶やさず送ってくださった温かいお言葉が、どれほど優しく、思いやりに溢れたものであったかということ。
台詞を引用してくださった貴方が、私に「書いていたあの頃」を思い出させようとしてくださっていたこと。
私の大好きな(大好きな!)豆の台詞を沢山引用してくださったことから、貴方が私の物語だけでなく、私自身のことも知ってくださっている方であったということ。
それらの推測や確信が私の中で為せることが、どれだけ幸せで有難いことであるかということも。
貴方に感謝の言葉を告げる力もないままに、旧サイトの××ではただ、ごめんなさいと、本当にごめんなさいと、鉛のようにそればかり書いていましたね。
ごめんなさい、よりも、ありがとう、が正しい形だと、分かっていながらどうしても紡ぐことができませんでした。
私は楽な方を、自分のための「ごめんなさい」ばかりを選び続けて、貴方に何もお返しすることができませんでした。
それでもきっと、貴方はそれからもずっと私を覚えていてくださっていたのですよね。
今の私が、あの頃からすこぶる立ち直って見違えるように立派になったかと言われれば、当然そんなことはありません。
逃げ腰は相変わらずです。頑張ったっていいことなんか一つもないんだから、などという諦念は、今もべっとりと私の背中に貼り付いています。
それでも、沢山休んで、優しい言葉を沢山頂いて、ようやく、私はお示しすべき誠意だけは取り戻すことができました。
ただ残念なことに、連載の一つもすらすらと書けない身でありますので、誠意を何かしらの物語の形ですぐに具現化することは厳しそうです。
けれど、貴方から、貴方のお言葉から生まれたあの連載が完結した暁には、必ず貴方のことを書かせてください。
「鈴懸モミジの子守歌」は貴方が私にくれた物語だと、そうした言葉をどうか残させてください。
「しっかりしなさい! プラターヌ!」
実は、鈴懸モミジの子守歌、プロット(ノートに乱雑に書いた下書き)はもうずっと前に、それこそサイト閉鎖前から最終話まで完成していて、
あとはそれをキーに叩き込んでいくだけ……だと、思っていたのですが。
やはり物語というのはどこまでも生き物で、そのプロットにない台詞を唐突に、シェリーが喋り出そうとしたりしてしまうものです。
そのうちの一つを記載してみました。
博士を呼び捨てにするなんて、シェリーお前随分と偉くなったじゃねーの(?)
フラダリさん、ズミさん、パキラさんなど、頼り甲斐のある大人に手を引かれる形でようやく生きることが叶っていた、というのが従来のシェリーですが、
鈴懸モミジの子守歌は「手を引かれる」のがシェリーではないという点において、数あるXY連載の中でも異質なものになっています。
彼女が自分のために、ではなく、誰かのために、自力で立ち直っていく姿を書くことはとても難しく、けれどもとても楽しい作業です。
上手に、完結までもっていけるよう、頑張りますね。
個人的な話になりますが、今、私はまだ「変化」の真っただ中にいます。
サイト再始動、としているにもかかわらず、また言葉を絶やしてしまうことがあるかもしれません。
貴方を始めとする、待っていてくださった皆さんへ紡ぐべき言葉を、忘れてしまうことがあるかもしれません。
けれどもこの場所が、雨袱紗という場所が開いている限りは、どれだけ遅くなっても必ず、皆さんの、貴方のお言葉に報いられるようにすると約束します。
いけない! あまりにも長くなってしまいました……。
またお会いできることを信じて、今回はこれで締めとさせていただきます。
本当に、ありがとうございました。