8、悪役になった主人公について、その2(彼女の心の変遷)
悪役の心理というものは読んでくださる方がそれぞれ自由に推察するものであり、本来は書き手である私がベラベラと長く書き連ねていいようなものではないのですが、書きます。
ミヅキの心の変遷を書くにおいては、頂いたご考察を参考にいたしました。
書いた本人すら整理できていなかったミヅキの心理を、あまりにも鮮やかに読み解いてくださったきゃらしゅさんと翠子さんに、今一度、心からの感謝を申し上げます。
お二人への敬意を示すため、頂いたご考察の文章は全て【 】の形で示してあります。
(クチバシティの船着き場にて)
ミヅキはそれまで、普通の女の子でした。ミュージカルや絵本や映画が大好きな、夢見がちな年相応の、幸福な少女でした。
けれどその日常がたった一度の経験により呆気なく砕かれます。
誰にも見送られることなくカントーを去らなければならなかったという、経験。
……こんなことで?と思われてしまうかもしれませんが、たった11歳の少女には大きすぎる屈辱であり、絶望でした。少なくともミヅキにとっては、そうでした。
「このままでは息ができなくなる」と、慌ててしまう程の濃いトラウマでした。
その結果、彼女は何としてでも「覚えてもらおう」と思うようになりました。
「端役」であり「小石」であったから忘れられた。物語の隅っこで細々と息をするだけの存在は、輝くに値しないと気付いてしまった。
だから輝かなければならない。部隊の中心に立たなければならない。そのためなら「どんな努力だって、勇気だって、犠牲だって、惜しまない」。
そうして11歳の少女は「輝こう」という決意を抱くことになりますが、その決意を貫くのは、アローラという土地ではとても、とても難しいことでした。
(アローラにて彼女が受けた、二つの洗礼)
何故なら「そこには既に、主人公がいた」からです。彼女よりもずっと美しい、キラキラと輝く宝石が彼女の前に現れたからです。
加えて彼女はカントーでの生活を愛していました。アローラの常夏の気候は彼女に悉く馴染まず、マラサダを完食できたことはただの一度もありませんでした。
「私は主人公になどなれない。それだけならまだ、いい。けれど私は排斥されてしまうのではないか?お前はこの物語に要らないと、誰かにいつか言われてしまうのではないか?」
「私は排斥されたくなかった。私は、私が宝石でないことを認めたくなかった」
「ささやかで、特別なことなど何も起こらない、穏やかな日常。こうして失われることさえなければ、大好きだったと気付くことすらなかったであろう、カントーでの幸せな暮らし」
排斥されるかもしれないという「恐怖」。アローラに溶け込めないという「罪悪感」ないし「劣等感」。
彼女はアローラの大地を踏みしめて早々に、この二つの「洗礼」を受けることとなりました。
(拙い暴走)
そんな洗礼を受けて彼女が手にした武器、それが「笑顔」と「博愛」です。
ただ、彼女の武器が何故この二つであったのかに関しては、私の文章よりも頂いたコメントの方がずっと鮮やかで解りやすいものでしたので、そのまま、引用させていただきます。
【彼女にとって「大好き」を振り撒いた相手の大半は宝石であり、彼女が主人公であることを否定する"敵"であったはずです。】
【人が敵対する存在と出会った際の選択肢は、相手と交戦したり逃避したりする"拒絶"か相手を味方につける"懐柔"の2つに分けられると思います。】
【ミヅキちゃんの場合は(ザオボーさんいわく)「拒めない」「大好きなものに囲まれて生きるために、全てを大好きになろうなどという馬鹿げたことを考えている」そうなので、
"拒絶"することを選べず"懐柔"を選んだのでしょう。】
この鮮やかなご指摘によって、私は私が何を書こうとしていたのかをようやく悟るに至りました。
「悉く対極に在り、その実、とても近い位置に私達の歪みはあった」(6話)
ミヅキのこの発言はこういうことだったのです。
グズマさんは攻撃を、ミヅキは博愛を、と思っていたのですが、それらの共通点は「自らを脅かす敵とどのように対峙するか」という課題にあり、
グズマさんは攻撃という「拒絶」を、ミヅキは博愛という「懐柔」を、全く対極に在るものを選び取っていたのです。そうやって、生き残るしかなかったのです。
……「懐柔」という単語を見つけた瞬間の衝撃は、筆舌に尽くし難いものでした。
(暴走の結果)
原作のサンムーンでルザミーネさんに出会えるのはゲーム中盤の頃です。それまでずっと彼女は「笑顔」と「博愛」という武器を携え続けていたことになります。
けれどその暴走をもってしても、彼女の願いは叶うことなどありませんでした。その笑顔も博愛も強迫性のものであり、彼女の、心からのものではなかったからです。
……ところで第二章にて、リーリエはミヅキが3話のラストで捨てた日記を拾ってしまいましたが、此処でミヅキが携え続けていた武器がもう一つ、明らかになりました。
「私は幸せ」
彼女は脅迫的に笑顔と博愛を「外」に向けて振り撒くと同時に、脅迫的な幸福を「内」に突き付け続けていたのです。
幸せだった、満たされていた。けれどそんな彼女は誰彼からも愛されていなかった、だからクチバシティの船着き場で一人になった。
幸福への否定、幸せへの懐疑。そうしたものが積み重なり、彼女は何が自身の幸福であるのかいよいよ解らなくなり始めていました。
だから「幸せである」ということにしようと思ったのです。「私は幸せ」と唱え続けていようと考えたのです。
これこそが、彼女の最も大きな祈りでした。
「私を排斥しないで」「舞台の真ん中に立たせて」「輝かせて」そんなものよりもずっと強く、深く、彼女の心にずっと灯り続けていた、頼りない懇願の光でした。
けれど、無理をして、犠牲を払って、そうしてやっと手にした「幸福」が、彼女を本当に微笑ませることなどできる筈がなかったのですよね。
(「水銀のために眠る」「宝石の世界で眠る」という行為)
この行為の理由ですが、宝石になりたかったから、というのも勿論あります。
【ルザミーネさんのため、という免罪符】を手にした彼女が、嬉々として眠りに付くのは必至であったことでしょう。
けれどそれ以上に重要だったのは、第一章ラストの「私はもう、疲れたから」という発言です。彼女は、逃げたかったのです。休みたかったのです。
その「疲れた」という感情は、閑話「Mercury Road」にも続いています。
笑顔と博愛を振り撒くことに、彼女はいよいよ疲れてしまったのです。
では何故、疲れたのか?それは「排斥されるかもしれないという恐怖に怯えながら」の笑顔と博愛であったからです。
彼女は「恐怖」というネガティブな感情を抱えたまま、「大好き」「幸せ」などというこの上なくポジティブなことを告げています。
この精神と言葉の矛盾、大きすぎる乖離は人の心を干上がらせます。無理をしているのです。
彼女の【身の丈に合っていない】言葉を、まるで挨拶のように何度も何度も使い続けてきたのですから、そんな彼女が疲れてしまったとして、それは当然のことだったのです。
ルザミーネさんのために眠る。宝石の世界で宝石の夢を見る。
彼女はこのように【二度、世界を捨てています】が、その理由はどちらも同じでした。
【日記を破き捨てたことにより彼女は彼女自身の世界をも捨ててしまった】というご指摘には、正直、震えました。ありがとうございます。
(一度目の眠りから二度目の眠りまで、リーリエとの時間)
ミヅキを「悪役」たらしめた問題のシーンです。けれど此処に関しては特に書くことがありません。
何故ならリーリエも認めているように「そこ」に彼女の心など存在しなかったからです。
だからこそミヅキは、大好きなルザミーネさんのための言葉ではなく、世界のための、ひいてはリーリエのための言葉を紡ぐことができたのです。
ルザミーネさんの腕に抱かれることを、拒むことができたのです。
(二度目の眠りと祈り)
二度目の眠りで彼女は宝石の世界に逃げ込みます。氷の中で眠ったときとは異なり、宝石の世界に逃げてからも、彼女の意識はずっとありました。
だからこそ彼女を守る「騎士」であるアシレーヌは、彼女の夢を、覚まそうとしてやってくるトレーナー達をポケモンバトルで追い返していたのです。
あのウルトラスペースは、彼女に意識があり、彼女がずっと「此処にいたい」と望んでいたからこそ守られ続けていました。
良く言えば、優しく穏やかで彼女の心を休めることの叶う場所。悪く言えば、悉く彼女に都合のいい逃げ場は、そうやって2か月程、ずっと不可侵の領域で在り続けていました。
彼女は自らの望んだ世界を手に入れることが叶いました。彼女が望むならずっと、ウルトラスペースにいることだってできたでしょう。
「間違っている」ことなど彼女にも解っていました。解っているけれど、出て行きようがありませんでした。それ程に彼女は疲れていました。【自業自得】ですが、疲れていました。
これまでの生き方ではどうにもままならない。けれどどうすればいいのか解らない。一人でまた元の世界に飛び込んでいくのは、11歳の少女にはまだ、恐ろしい。
【だから、彼女は変化をもたらしてくれる誰かを待っていたのだと思います。】
(Because you were waiting for me on mercury.)
→ 水銀の世界でお前がオレを待っていたから。
……第三章の目次にこっそり書かせていただいたこの一文に込めていた想い、拾い上げてくださり本当に嬉しかったです。
(【彼女はこのままならぬ世界からもう一生逃げられない】)
嵐のような暴力性を持って私の心に吹き込んできたこの一文、読み返し過ぎて諳んじられるようになってしまいました。
彼女はもう逃げません。逃げられません。そんな彼女のこれからは、続編にて、書かせていただきますね。
9、さいごに
人物の過去に関する誇大解釈や捏造、公式の旅路を大きく逸れるという主人公の奇行、悪役と主人公の立場の逆転、好ましくない描写、台詞、何もかも……。
問題がないところがない、というくらい、この連載は「問題作」であったように思います。
本当はマーキュリーロードなど書くべきではなかったのかもしれません。第一章だけであっさりと終わらせておくべきであったのかもしれません。
けれど皆さんがこの物語を読んでいただけたから、彼等に思いを巡らせてくださったから、、納得のいくまで書き続けることができました。彼等の喜劇を書ききることができました。
この2か月半の間、とても幸せでした。ありがとうございました。
……さて、続編ですが、今のところタイトルを「オブシディアン」とするつもりでいます。
けれど私の気紛れによって変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。
また、この続編において、サンムーンに登場しない人物が複数、出てきます。所謂「お祭り連載」のような感じになることが予想されます。
マーキュリーロードから1か月後、少しだけ大人になったミヅキが、奔放に悲しくアローラを生きていきます。勿論、彼と共に。
早くとも3月中旬の更新になるかと思います。少しお時間を頂きますね。
ありがとうございました!
2017.2.14
(各話にそっと盛り込んだ小ネタ・裏話と、スペシャルサンクスが、あともう少しだけ、続きます。)