3、水銀の主について
ルザミーネさん、とてもお若い女性でしたね。
けれどいざエーテルパラダイスで彼女に会ってみると、この女性の若さは見た目だけのものではなく、その心もまた若い……というより「幼い」ように、思えてしまいました。
「わたくしの愛を受け入れずにいなくなる子供達」「あれだけ愛情を注いだのにわたくしは裏切られた」
「貴方達はどうでもいいのです!」「わたくしの好きなものだけが溢れる世界で生きるの!」「幼いころはわたくしの言うことを何でも聞いて可愛かった」
……そうした彼女の言葉はどこまでも残酷なものでありながら、その惨さにはゲーチスさんのような邪な策謀ではなく、子供のように純な欲望が強く出ていたように思えます。
原作では、ルザミーネさんの理解者はあまりいませんでした。彼女の悪行を考えれば、まともな思考回路を有する人間ではまず彼女に同意し、支えることなどできなかったでしょう。
グズマさんは彼女と共にウルトラスペースへと向かいましたが、彼もまた、彼女に共鳴することが叶っていないように思われました。
「あの人は……やばい!やばすぎるぞ!ウルトラビーストにすっかり夢中……もう誰の言葉も思いも届かねえ!」
原作のグズマさんの台詞から、彼がウルトラスペースという異質な空間に放り込まれても尚、正気を保っていたことが伺えました。
グズマさんは「まともな人」であったから、毒を浴びてしまったルザミーネさんに共鳴することができていなかったのだと、私はそういう風に、解釈しました。
「この人に愛されようと思ったら、呼吸を忘れて温度を手放すしかない」
第一章でミヅキが何度かこのように発言しています。
彼女は11歳ですので、ルザミーネさんの状態を的確に言い表す表現、彼女に共鳴するための条件について、自らの勘に基づく、ふわっとした言葉を並べるしか方法がありません。
けれどその「勘」は純粋な子供らしく、鋭く的を射たものでした。彼女は歪を貫くことで、ルザミーネさんに愛されることに成功し、その結果、眠りました。
ミヅキ……もとい、ルザミーネさんのための物語は第一章で終わっています。
故に第二章では、ミヅキはルザミーネさんにとっての最善ではなく、世界にとっての最善を選び取り、彼女に抱き締められることを拒んでいます。
ミヅキの指針は「ルザミーネさんのために」ではなく「世界のために」ひいては「リーリエのために」に変わっていたのですから、彼女の腕に飛び込む理由がなかったのです。
「さあ、こっちへいらっしゃい。此処ならあの氷の中みたいに寒くないし、寂しくもないわ。貴方はもう、一人で眠らなくてもいいのよ」
「……ミヅキ、どうして拒むの?わたくしは貴方を見限ったりしないわ、だって、」
続編を書いてよかったなあと思っていることの一つに、ルザミーネさんがミヅキを心から案じていたことを、ウルトラスペースという場所で示せた、という点があります。
この「彼女を突き飛ばし、腕に抱かれることを拒む」「それを受けて彼女が狼狽する」というシーンは、ただ惨く虚しいものになってしまうだろう、という覚悟をしていました。
第一章でミヅキが眠り、けれどその続きを書かなければならないと思い立った時、最も悩んだのがこの描写でした。
けれど、やはり書いてよかったなあ、と思います。
ルザミーネさんにとってもミヅキにとっても、第一章で過ごした二人の時間は、互いが互いを想い合えるだけの意味があったのです。
互いが悉く歪であったために生まれてしまった奇妙な絆、けれどそれは確かなものでした。
ウツロイドの神経毒の影響を強く受けるウルトラスペース、あの場所においても彼女はミヅキを案じていました、愛せていました。そういう台詞を書くことができました。
リーリエとカミツルギの代役でしかなかったミヅキの、ルザミーネさんに対する想いも、それを受けて彼女を慈しんだルザミーネさんの想いも、本物でした。
彼女達の想いは叶う筈がありませんでした。破滅的な想い合いでしかありませんでした。それでも二人にとって、互いはかけがえがなかったのです。
4、水星の主について
彼女について語る権利を私は持たないので、手短に書かせていただきます。不快に思われましたらすぐにページを閉じてください。
ミヅキはポケモントレーナーになる前の段階、おそらくはリーリエと同じくらい無力であったあの段階で「ほしぐもちゃん」を助けるに至っています。
確かにその姿はリーリエに、とても頼もしいものとして映ったことでしょう。
けれども心優しいリーリエに手を指し伸べる人は、何もミヅキだけではなかった筈です。彼女はこれまでも沢山、アローラの人の温もりに触れていたことでしょう。
けれど彼女は何故かミヅキに付いていくことを望みます。ポケモントレーナーになったばかりの、そこまで強くなさそうな彼女を、この上なく慕います。
リーリエにとってのミヅキを特別たらしめたのは、カプ・コケコでもアシマリでも運命でもなく、リーリエ自身です。彼女の個人的な想いが、ミヅキを天使にしたのです。
彼女に「金色の翼」という幻を見ていたのは彼女だけであったことからも、その想いの強さが窺い知れると思います。
これを踏まえると、「ミヅキに最も近いところにいたにもかかわらず、彼女の真実から最も遠いところを泳がされていた」という理由も見えてきます。
グズマさんはそれを「ミヅキという悪役の悪意」のせいだと考えていましたが、その盲目には少なからず、リーリエの想いも影響していたのですよ。
「ミヅキさんは壊れてなんかいません!おかしくなんかありません!ミヅキさんは強くて勇敢で優しくて、わたしの、天使なんです。
わたしは貴方よりもずっと長くミヅキさんの傍にいたんです。誰よりも近くにいたんです。貴方のような人に、勝手なことを言われる筋合いはありません!だって、」(43話)
グズマさんが第三章で明言しているように、リーリエはミヅキという悪役に振り回されてしまった「被害者」ですが、……寧ろ彼女にとってその傷は本望であったのかもしれません。
彼女もまた、異常な少女の傍に在り続けるという「異常」を貫くことに、酔ってしまっていたのかもしれません。
ミヅキはウルトラスペースに逃げ込み、そこで「酔い」をゆっくりと醒ましました。リーリエの「酔い」も、一度アローラから離れなければ醒めようがなかったのだと思います。
一番、まっとうに生きていたように見える彼女もまた、おかしかったのです。……そういう意味では第二章が最も「喜劇らしい」物語であったのかもしれませんね。
5、ザオボー
「……君は、拒めないのだね。君は大好きなものに囲まれて生きるために、全てを大好きになろうなどという馬鹿げたことを考えているのだね」(6話)
「君はわたしの感情など気にしないのでしょう?わたしが君を嫌おうと嫌うまいと、君はわたしを好きでいるのですから。そうすることしかできないのですから」(8話)
「わたしを嫌いなさい、ミヅキ。君に必要なのはそういうものです」(24話)
「喜びなさい、君は宝石だ。宝石になる価値のある人間だ」(25話)
「他の誰が君を褒め称えようと君の価値を持ち上げようと、君が君自身を宝石だと認識しなければ何の意味もない。
わたしも、他の誰も、君に、君が宝石であることを認めさせることなどきっとできない」(61話)
「君は頑張らなくてもいい、けれど生きなければならない」(62話)
「わたしのためではなく、彼のために出てきてください。わたしには二度と会わずともいいから、彼には会ってやってください」(63話)
「ええそうです、君がわたしを嫌ったとしても、わたしは君のことが好きですよ」(69話)
ミヅキに必要な言葉を用意したのは、いつだってこの男性でした。
ザオボーさんには、ミヅキにとっての「最善」が、しっかりと見えていました。
11歳の苦悩、葛藤、暴走……けれどそういったものは、ザオボーさんのような壮年男性にしてみれば、とても些末な、取るに足らないものにしか見えなかったことでしょう。
加えて彼はお子様が嫌いなようですから、彼の方からミヅキに関わっていく理由など、第一章の開始時点ではまるでなかったのです。
彼はミヅキの何倍も生きているような壮年の男性でした。お子様を嫌う彼は、ルザミーネさんやリーリエやグズマさんのように、彼女に近付くことをしませんでした。
……だからこそ、彼女の真実に最も近いところに触れることが、ただ一人、叶っていました。
「近付き過ぎることのリスク」については、リーリエのところで触れたのでここでは省略します。彼が盲目になることを免れたのは、彼が近付き過ぎなかったからなのです。
更にザオボーさんが作ったその距離は、最初こそ偶然によって生まれたものでしたが、あとはずっと、彼自身の「距離の順守」により、恣意的に作られ続けていたものでした。
彼は第二章にて、凍り付いたミヅキを溶かすことはしましたが、その後の彼女にずっと寄り添い続けることはしませんでした。
閑話「Mercury Road」でミヅキがウルトラスペースに逃げ込んだ時、彼は早々に彼女の安否を確認しに行きましたが、彼女を引っ張り出そうとはしませんでした。
ミヅキから離れないよう、彼は最善を尽くしていました。けれど近付き過ぎないようにもしていました。誰よりも大人を極めた彼だからこそ、保ち続けることの叶った距離でした。
ザオボーさんとミヅキの、その最適かつ最善の距離が「偶然」のものから「恣意的な」ものになった転換点は、おそらく6話でしょう。
ミヅキが笑顔で「お揃いですね」と告げたあの瞬間、彼は自らの歪みとミヅキの歪みとを切り離して考えることができなくなってしまいました。
ザオボーさんも、彼女のおかしさに少なからず共鳴していたのです。
「彼女は笑顔に、貴方は暴力に、わたしは肩書きに縋った。……けれどどれだけ縋っても、どうです、虚しいだけでしょう?」(57話)
ザオボーさんはミヅキと同じ「小石」です。宝石でないことを認められない人間です。
彼が何故「肩書き」に縋ったのかは、61話の交換ノート編で彼が明言しているのでここで繰り返すことは避けますが、
彼もまたそうした「自分にとっても他人にとっても価値のあるもの」を求めていました。確固たる価値を探していました。ミヅキと、同じでした。
彼女に共鳴し、彼女を理解し、彼女が最も必要としている言葉を差し出せる相手。
……そんな彼はしかし、ミヅキに手を伸べることをしませんでした。
「わたしはそこまで強く彼女を想えない。そこまで懸命に手を伸べられる程、若くない」(57話)
「ええそうですよ、大人とは得てしてそういうものです。ですから大人になってしまう前に、彼女を迎えに行きなさい。わたしのように恐れたくないのなら、行きなさい」(57話)
「わたしが君にしてあげることのできない全てを、彼に、託してきました」(63話)
ザオボーさんがミヅキに踏み込むことを恐れたのは、距離を詰めることを躊躇ったのは、彼が「大人」であったからです。
グズマさんよりずっと長く、人の心に触れて生きてきた彼は、「踏み込めば双方が少なからず傷付く」ということを、もうすっかり解ってしまっているのでしょう。
だから彼は「自分のことが何より可愛いから自ら傷付きに行くようなことはしたくない」と告げて、グズマにその「傷付き傷付ける役目」を譲ります。
自分よりもずっと強くミヅキを想い、自分よりもずっと勇敢に手を伸べられる存在を見つけたからこそ、彼は「君でなければいけない!」と笑いながら、託します。
結果、彼の目論見通り、ミヅキはウルトラホールから出てきました。自らが宝石でないことを認め、グズマさんと共に「悲しく生きる」ことを選びました。
彼はこれからもミヅキの理解者で在り続けることでしょう。恋などというものではありませんでしたが、彼も確かに、愛していたのですよ。
2017.2.13