Afterword:/600のアクアティック・メヌエット

(7/16、副題を「コンマ600秒に踊る月と花と水と、時の話」に変更しました)
 「コンマ600秒に踊る月と、花と、水の話」これにて完結です。おまけを含めると10万字程度の長さですね。沢山、楽しく書かせていただきました。夢のような時間でした!

 これら15話分(おまけを入れると16話)ですが、全て短編のページにまとめていたものです。「散る星、打つ水、沈む骨」からの大論判三部作や「久遠かな、狂った針の隙間より」など、これらは元々、独立した短い話として書いており、全てに繋がりを持たせるつもりはこの段階ではありませんでした。
 ただ、なまじ書いている当人に、以前のセイボリーとユウリの喧嘩の記憶や、時計の針を狂わせた記憶があるだけに、その記憶を引きずる形で、過去作の引用を挟みながら次を次をと書いているうちに、全ての話が切っても切れない関係となってしまっていました。物語を「いきもの」だと信じている身としては、非常に嬉しく楽しい誤算でしたね。
 連載、として意識して書き始めたのは3-2の辺りからです。セイボリー視点の終章などは明らかに連載の締めとして持ってきたものですね。連載化するにあたって、それまで考えなしに散りばめた大量の小ネタや伏線をこの終章で一気に回収する必要が出てきてしまい、その作業に奔走することとなりました。書き始めの頃の私の無鉄砲さのせいでかなり苦労させられましたが、完結できた今となってはいい思い出です。

 まずいつも通り、感謝の言葉を。
 この物語の開始点である大論判三部作を深く丁寧に読み込んでくださり、その後も彼等の変化と成長と歩み寄りに長くお付き合いくださった真心溢れる訪問者様。24にて「セイボリーに浮かせてほしいものがありましたら是非ともご教授いただきたい!」などと喚き散らした私に、素敵な案を2つも下さった素晴らしき絵師様。セイボリーのイメージソングとして素晴らしいものをご紹介くださった匿名のお方。更に執筆中、1日1セイボリー見ています、と温かいお言葉で応援してくださった匿名のお方々。
 私個人への応援の言葉と共に、セイボリーのSSを贈ってくださったお方。同じく、狂ったように1日1セイボリーを続けていた私の私的な事情についてお気遣いくださり、また見守りさえもしてくださったお知り合い様方。
 1分を永遠に、のきっかけとなった「時計の針を狂わせる」という案、そしてセイボリーの美しすぎる宗教画を下さり、私の質の悪さをいつだって共有してくださっている、かけがえのない親友。
 そして、1日1セイボリーの思い出深い日々にお付き合いくださっただけでなく、このようなあとがきのページにまで訪れてくださった皆さん。
 本当にありがとうございました。

※こちら、セイボリー関連で初めてサイトを訪れてくださった方向けの記載です
 当サイトのあとがきは物語の裏話や小ネタの解説、そして何より私の自己満足な心情開示文により成り立っています。有益な内容など皆無で、しかも本編の雰囲気を崩しにかかるようなものも混ざっているかもしれません。以上を踏まえた上で、もし暇潰しに使っていただけるようであれば、どうぞ。

 さて。
 セイボリーの物語を書くにあたって、私が心がけていたことが二つあります。一つ目が「彼を『魂の清い人』として、感謝と尊敬の心地をもって書くこと」、二つ目が「彼が『セイボリー』であったことを喜べるような物語として書くこと」です。以下、この二点について重きを置きつつ書かせていただきます。

 当然のようにネタバレを含みますのでご注意くださいね。

1、セイボリーの人物像、個人的な解釈について
 麗しい外見を台無しにしてくる奇天烈なファッションセンス、ボール6つを常に浮かせるという独特な矜持の示し方、その才能の誇示が必要となるに至った過去の境遇、異常な程のハイテンションで飛び出す愉快な言葉選び(私はこれを「セイボリッシュワード」と呼んでいます)、大袈裟の過ぎる表情や挙動、ハイティーンもしくは20代前半であろうと思しきその外見からの印象を悉く裏切ってくる子供っぽい発言……。
 それら全て、彼の魅力です。どれを欠いてもセイボリーでは在り得ないでしょう。ただ私はこの全てを踏まえて、彼という人物に「魂の清さ」を見ました。なんて綺麗な人なんだろう、という気持ちに、ものの見事にさせられてしまいました。

 原作での彼は、あれだけの重圧を背負う身でありながら、その影を表に晒し同情を誘うような真似はしませんでした。上手くいかず失敗続きの現実を生きながらも、愉快極まりないセイボリッシュワードを巧みに織り込み、いつだってこちらを笑わせに来てくれました。自身の実力や価値を認めてもらいたいという思いを強く持ち、そのために自らが優位に立てるよう不正な細工を施したりしながらも、それらの必死さを、主人公を貶める方向には決して働かせませんでした。ジムリーダーになるという大きな夢をぶれずにしっかりと抱えていました。主人公への嫉妬が少なからず見苦しいものであるという自覚もあり、勝利のために働いた不正に対しても反省の態度を見せ、それが許されたとなると涙を見せてまで謝罪と感謝の言葉を告げることができる素直さをも持っていました。
 ガラルに生きる他の皆様の例に漏れず、彼もまた、ポケモントレーナーであることの誠実性を守り抜いた人間に違いありませんでした。

 これらの矜持も、愉快な処世術も、熱意も、誠実さも、私を夢中にさせるに余りあるものでした。ヒーローに憧れる子供みたいな心地で「私もこうなりたい!」と、思ってしまいました。
 そんな彼の、いっそ神秘的でさえある魂の清さに「書く」という行為を通して触れさせていただけたこと、とても嬉しく光栄に思っています。

2、DLCのライバルとして現れた「セイボリー」と「クララ」に関して、思うところ
(以下の大半は、DLCクリア直後の6/18夜に書いたものの再編集版であり、相変わらず気持ちの悪い内容で構成されています、ご注意ください)
 セイボリーに傾倒していたが故にシールドから始めた今回のDLCですが、ソードもしっかりと楽しんでおりました。クララも非常に魅力的なキャラクターでしたよね。可愛らしい言動から一転、「目にもの見せたらァ……」と悪い顔で唸りながら駅を出ていくあのシーンは最高でした。大好きです!

 さてこのクララですが、彼女もセイボリーと同じように、主人公を道場入りから遠ざけようとしました。主人公を敵視し、同じ場所でバトルを仕掛けてきました。最終試練でのバトルにおいても、セイボリーと同じく不正を働き、同じように自らの行いを顧みて、同じように涙しました。クララもセイボリーと同じように、夢を持ち、反省できる心の強さがあり、謝罪と感謝を示せるだけの素直さも持っていました。この二人は同じように、そう、全く同じように誠実で、同じだけ清い魂を持っていました。
 この二人は、世界線の異なる場所で、全く同じ位置に置かれています。ソードとシールドで物語に大きな違いが生じないよう、この二人の目標が、立場が、主人公への敵視が、魂の清さが、完璧に揃ってしまうのは無理からぬことです。ただ「ここまで同じなら、どうしてライバルを二人に分かつ必要があったんだろう」と考えたときに、……私はこの二人に対して、非常に身勝手な「空虚感」を覚えてしまいました。

 ヨロイ島の修行というDLC、それをより楽しいものにするために必要だったライバルの役割。ライバルですから当然、プレイヤーの競争心を煽る存在であるべきでしょう。でもヘイトを集め過ぎない程度にはユーモアが、「こいつ何やってんだ」と笑えるような要素、ジョーカーとしての資質があった方がいいかもしれません。美しく、愛嬌のあるビジュアルであれば尚のこといいかもしれません。男性プレイヤーにも女性プレイヤーにも喜んでもらえる要素とするために、性別は女性と男性で一人ずつとするのが理想でしょう……。
 それらの条件をベースに形作られたのがこの二人であったのかもしれません。性別、ビジュアル、私達の好みに叶う「属性」……これらを対極の位置へ綺麗に置き、なるべく多くの方に満足してもらえるよう生まれた二人、それが彼等であったのかも、しれません。

 セイボリーもクララも素敵な人です。これから益々立派になっていつか夢を叶えるはずです。そうした未来を夢見ていたい。ホップの将来を想像するように、ビートの今後を予想するように、ネズさんの愛読書を妄想するように、人間らしい彼等が人間らしく生きていく有様を頭の中で膨らませていきたい。
 そうやって立派になっていつか夢を叶えるその人は、私が大好きになった素敵な人は、セイボリーとクララで間違いありません。でも世間の、つまり私達の「好み」の風潮が少しでもずれていれば、その人はセイボリーとクララではなかったかもしれません。そのことにヒヤリとさせられました。前述したセイボリーの魅力の全て、そのどれが欠けてもセイボリーではない、と思っていただけに、彼が別の形を取っていたかもしれない可能性を思うと、どうしようもなく寂しくなりました。悲しくなりました。

 ポケモンが、バージョンごとに登場する「人物」を変えてきたのは何も今回が初めてのことではありません。サイトウさんとマクワさんをソードに、オニオンくんとメロンさんをシールドに置いたのだって同じことです。立場を変えて登場する、というところまで括りに入れるなら、マグマ団とアクア団だってそうですし、ウルトラサンムーンのウルトラ調査隊のダルスとアマモ、ミリンとシオニラだって含まれます。
 似たような人物の置き方は以前にも沢山ありました。にもかかわらず何故、この二人にのみこのような、尋常じゃない悲しさと空虚感を覚えたのか。……残念ながら、私にはこれを上手く説明することができません。二人のことが大好きであるが故に、二人があの形を取って現れなかった可能性を思うととても恐ろしくなってしまうのだろうという、それ以上のことは何も、分かりません。

 ただ、こういった私の個人的かつ身勝手な感傷を踏まえても尚、彼等の「魂の清さ」に対する憧憬と信仰の心持ちはちっとも揺らいでいません。故に、この二人がどのような理由でこの二人として出てきてくれたのだとしても、私は二人に「ありがとう」と言いたく思います。二人が別の形を取っていたかもしれない「可能性」を悲しむのではなく、二人が今の形で現れてくれたという「事実」を、心から喜びたく思います。

『あなた方があなた方であったことを喜べるような、そうした物語が書けたらいいな』

 1か月ほど前、6/18にぼんやりと願ったこと、それを納得のいく形で叶えられたという事実に、私はとても満たされています。彼が「セイボリー」であったことへのささやかな祝福の形として、一つの連載を書きあげることが叶ったことを、……大袈裟な言い方かもしれませんが、ええ、光栄にさえ思います。

3、その他、裏話など
 随分と長くなってしまったので、あとはもう簡潔に書きましょう。
 タイトル「/600のアクアティック・メヌエット」ですが、この/600は「コンマ600秒」のことです。コンマ600秒、つまり60秒、彼等が何度も共有した「1分」の言い換えですね。古代の「コンマ」は「,」ではなく「/」を使用することもあったようなので、取り入れてみました。
 アクアティックはそのまま「水上の」「水を使った」の意味で、/600およびメヌエットと合わせて「水の手掛ける1分間の舞曲」とご認識いただけると嬉しく思います。彼のテレキネシスの対象に選ばれたものが淡い「水色」の光を纏うこと、彼の目がそれを映したような水の色をしていること、本編中で彼に沢山「水」を指揮していただいたこと、などから、水というのはどのような形であれタイトルに入れたいと思っておりました。達成できてたいへん満足しています。

 また、本編中での、ユウリとセイボリーの台詞、彼等には本当に沢山喋っていただきましたが、その中でお気に入りをひとつ絞るならこれになるかと思います。ユウリにとってセイボリーとの出会いが唯一無二であったことを示す、彼女らしい毅然とした告解を心掛けました。

「私に道を拓かせた唯一の色はすり替わったりしないよ。他の何色にも、染まるものか」(4-3)

 セイボリーに関しては「そんなことは一向に構いません」「あと1分」「捨ててください」「揃えてみませんか」「花の話をしているんじゃないんですよ!」のような、本編で言うところの「鎧」を外した彼の心地で放たれる短い言葉、これに力を入れて書いていたように思います。コミカル要素とシリアス要素の混在する物語を書くというのは初めての試みで、どのように緩急をつけたものかと要所要所でかなり悩まされたのですが、彼のこうした短くも切実な言葉達が、コミカルからシリアスへ、シリアスからまた別の場面へ、そしてコミカルへ、と飛び移るための勢い付けとして作用してくれたような気がしています。

 それから、愛めいた感情を認めるタイミングは二人の間でかなりの時間差がありましたが「お揃いを喜ぶ」という点においては二人は第一章から完璧に足並み揃えておりましたので、全体を通して「言葉遊び」「コーラス」を置くようにと意識していました。「1分」「とんだ的外れ」「気が済むなら、いくらでも」等々、互いが互いの言葉を引き取り繰り返しているシーンがかなりの数、ございます。その繰り返しの中で、たとえば「とんだ的外れ」なんかは特にそうですが、重みが第一章初出のそれと最終話のあれで随分と変わっています。繰り返し遊び合い歌い合う中で、ひとつひとつの言葉が二人の間に揺蕩う「愛嬌」になっていく様子を、お楽しみいただければ幸いです。

 その他の小ネタや思い入れなどはいつものように、今後も24やお返事の中でぽろぽろと口を滑らせることになるでしょう。一先ず、あとがきとして書けることはこれで全て……かな。
 これらのお話を書いている間、とても楽しかった。本当に楽しかった。夢のような時間でした。書くという行為にここまで深く救われたのは随分と久しぶりでした。これからも、このような心持ちで物語を書いていけたらいいなと思います。
 お付き合いくださり、本当にありがとうございました。

 では、また次の物語で会いましょう!

2020.7.12 藤 葉月

I will never give up on writing words, as long as you keep on walking with me.

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