「立ち徘徊る話」の第一章、これにて完結です。全27話、10万字の長編となりました。
長い彼等の「たちもとおり」にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
以下、いつものように長々と書かせていただいております。
当然のようにネタバレを含みますので、未読の方はここでそっとお戻りください。
1、タイトル「躑躅」について
この難しい面妖な漢字、実は花の名前です。この漢字を読めずとも「ツツジ」は皆さんご存知かと思います。
躑躅、これこそが、1話や26話に登場した「赤と白の綺麗な春の一等星」であり、19話のフラダリさんでさえも読むことの叶わなかった、あの生菓子の名前でした。
何故このタイトルにしたかと問われれば、なかなかその理由を一つに絞ることはできそうにないので、折角ですから全て、ここでお話しさせて頂こうと思います。
A、万年筆のインク
初めて「躑躅」という漢字を見つけた場所は、とある文具店でした。
万年筆のインクのパンフレットを徐に手に取れば、自然の名を借りた鮮やかなインクが、まるで宝石のようにキラキラと私の目の中に飛び込んできました。
紫陽花、朝顔、紅葉、山葡萄、紺碧などの綺麗な漢字が並ぶ中、一つだけ読めない名前がありました。
それが「躑躅」との出会いであり、この素敵な邂逅を記憶に留めておきたいという欲から、この漢字を何かのタイトルに使いたいなと、ずっと画策していました。
その機会にこうして恵まれたこと、嬉しく思います。
B、立ち徘徊る(たちもとおる)
そんな形で出会ったこの「躑躅」ですが、どうにも釈然としないものがありました。
あの可愛らしい赤と白の花が、このような複雑かつ面妖な漢字で表現されているという事実は、私を少なからず当惑させました。何故?と、疑うに十分な不自然さでした。
けれどこの漢字を分解すると、「躑」も「躅」もほぼ同じ意味で用いられていることが解りました。
副題の「立ち徘徊る話」は、これらの漢字の訓読みの一例であり、「たちもとおる」とは要するに「立ち止まり、歩みを躊躇う」「彷徨い、行きつ戻りつする」ことです。
正に、今回の物語を表した言葉であるような気がしました。これしかない、と思い、衝動的に飛びつきました。
……私のタイトルはいつもこのように「うおおッ!」と決まることが多いのですよ(笑)
そして私事ですが、この至極単純な私の思考回路を「躑躅」というタイトルだけで更新前にズバッと見抜いてしまわれた、とんでもない慧眼をお持ちの方がいらっしゃいました!
いつか、このお方に「あ!」と驚いていただけるような、鮮やかな衝撃性を秘めた物語を書けるようになりたいです。うおおッ精進せねば!
で、何故このような物騒な(物騒ではないかもしれないけれども)漢字でツツジの花が呼ばれているかと言いますと、
これはネットで得た知識なのですが、どうやら躑躅の一種は羊にとって猛毒であったようです。これを食べると「足元が覚束なくなり、死んでしまう」のだとか。
そこから「足元が覚束なくなる」という意味の中国語「躑躅」が生まれ、そのまま日本に渡ってきた……という経緯であったようです。
成る程、毒か!それならこの物騒な漢字にも合点がいきますね。
けれどこの物語での「躑躅」は、雨に打たれて枯れてしまいます。シェリーとフラダリさんはあの躑躅を、毒の花を見ることは叶わないでしょう。それでいいんですよ。
C:木犀との対比、躑躅の枯れる姿
躑躅は水分量の多い花で、咲き乱れている時はとても瑞々しくて綺麗なのですが、雨が降ったりすると一気にへたりと萎れてしまいます。
加えて5月となると日差しの厳しさも増してくる頃ですから、その水分を一気に太陽が焦がして、鮮やかな赤や白を、濁った茶色へと変えていきます。
そうして枯れた躑躅の姿はどうにも惨く、私は枯れ果てた躑躅を見るのが少し、苦手でした。
桜は美しいままに雨となって散っていきます。椿は色褪せることを許さずそのままぽとりと気高くアスファルトを彩ります。
けれど躑躅の終わりは美しくありません。だから私は、桜でも椿でもなく躑躅を選びました。
この連載を象徴する花には、どうしてもそうした側面が必要だったからです。醜い形で枯れていく花に、投影すべきものがあったからです。
1話に登場した「雨を待つ躑躅」は、別の世界線で醜くその命を枯らした××の姿です。
木犀では、××が正に躑躅でした。
けれどこちらの物語では、××は××の姿でそこに在ることを許されています。雨を待つ躑躅は、別の世界線での××の過ちを引き取る形で、惨くその命を枯らします。
「明日、雨が降る意味」の答えが此処に在ります。だからシェリーが1話で「躑躅」を読むことが叶ったとして、それでも、雨は止む筈がなかったのですよ。
……以上が「躑躅」という、初見では読むことの難しい花の名前を敢えてタイトルに持ってきた理由です。
2、第二章と第三章への布石
本来、あとがきは第二章と第三章が終わった後の「総括」として書くべきものなのかもしれませんが、今回は少し異色な入れ方をさせて頂きました。
というのも、この躑躅の主人公である「フラダリとシェリー」の物語は、第一章でほぼ終わったも同然であるからです。
本編をお読みくださった方ならお解り頂けるかと思いますが、この二人の物語において、彼が「戻ってくる」ところを書く以外に彼等の課題はもう残されていません。
では、第二章と第三章では何を書こうとしているのか?フラダリさんとシェリーを書かないのであれば、一体、誰の物語なのか?
これらについて少しだけ、説明させて頂こうと思います。
第二章は、フラダリさんとシェリーのあの2か月半を、彼等の知らないところで守っていた「彼女の親友」の物語です。
「私に同じ力があったなら、きっと私は貴方だった」と、27話にて荒んだ目をして告げたシアが、カロスで過ごした2か月間を、彼女の激情をもって、書きます。
ただ、……この第二章において、カロスに生きる人間の描写を、悉く常軌を逸した惨いものにするつもりでいます。
実は目次の「何が起こっても許せる人向け」という警告は、この第二章を指したものでした。
この第二章には、私がXYをプレイした時に感じた「惨い」カロスを前面に押し出しています。枯れた躑躅を見ようとしない世界を、限りなく強調させていただく予定です。
異常な世界から大切な人を守るために、異常な激情をもって立ち向かった少女の姿を追います。とにかく全てが狂っていると思われます。そういう話を、書きます。
美しいカロスが好きな方は、どうか読まないでください。
第三章はそうした「狂ったカロス」にシェリーが戻って来てからの話です。
あの2か月半を経て、彼女はどう変わったのかを、プラターヌ博士、母親、友達などのやり取りを通じて描写し、そして時間は1話に戻ります。
5月に再会を果たし、コガネシティに戻ってきたフラダリさんとシェリーは、雨に降られて惨く枯れ果てた躑躅を見て何を思うのか。此処までを書かせていただく予定です。
新作の発売を挟んでしまうため、少し更新が遅れてしまうかもしれませんが、今年までには確実に完結させたいですね。
もしかしたら、この第二章、第三章は蛇足であるのかもしれません。
世界を開いたシェリーと、穏やかな時間を過ごしたフラダリさんとの、爽やかな別れの描写こそ、「躑躅」の最後に相応しいものであったのかもしれません。
けれど、書きます。書かせてください。だって「躑躅」は美しく枯れたりしないんです。美しくない物語を、美しく終わらせる必要などきっとない。
3、クリスの「異常」について
フラダリさんとシェリーが身を隠したコガネシティの一軒家、その家主であるクリスの「異常」さを、今回はかなり際立たせて書きました。
彼女のモデルは2000年に発売された「クリスタルバージョン」の主人公であり、リメイク版「HGSS」の主人公、コトネと姉妹設定にしているのはそのためです。
赤・緑やFRRGの初代主人公、レッドが「原点にして頂点」「最強」という評価を受けていらっしゃるのは皆さんもご存知のところだと思うのですが、
私はポケモンにおいて初の女性主人公であるこのクリスにも、このような「常軌を逸した強さ」が備わっているような気がしています。
彼女に常軌を逸した力を持たせ、理解の及ばぬ存在として書かせていただいているのはそのためです。
ただ、その異常な力、異常な知性は第三者から見ればやはり恐ろしいものであり、気味の悪いものとして映ります。それ故に彼女には友達が殆どいません。
「青の共有」ではアポロさんという理解者に出会えました。「サイコロを振らない」ではシアというお友達を得ました。
今までは彼女のそうした、強く優しい部分ばかりを書いてきましたが、本来の彼女は「こう」なのです。
息をするように未来を読み、当然のように人の心を言い当てます。本の世界に生きているにもかかわらず、非言語的なコミュニケーションにも非常に堪能です。
そうした彼女をシェリーは「不気味」「恐ろしい」「気味が悪い」と称しますが、これはシェリーの歪んだ認知によるものではありません。クリスの、真実の姿です。
けれど彼女は聡い人間です。
人と深く関われば、今回のように蔑視を向けられ傷付きます。そんなこと、彼女はとてもよく解っていました(彼女とて、傷付かない鋼の心を持っている訳では決してないのですよ)。
それでも彼女は7話にて、コガネシティの駅へと向かうことを選びました。その理由は……10話に書かせていただいた通りです。
彼女だって、大切な存在のためなら、自らが傷付くことを厭わないのです。そうした普通の、少女の心を持った繊細な女性なのですよ。
……実は、彼女がどれ程、シェリーの拒絶と蔑視に傷付いていたかという話が、長編番外編「青の共有」に1本だけあります。
こんな夜もあったのだと、そう、思っていただければ幸いです。どうか不思議で不気味なこの悲しい女性を、嫌わないで頂けると嬉しいです。
(2020.4.29追記:彼女の傷の描写を示した長編番外編ですが、こちらの時間軸を、新規番外編執筆に伴うちょっとした都合により、躑躅よりもずっと前に変更させていただきました。
けれども躑躅でのシェリーの拒絶と蔑視を受けた際にも、この夜と同じように彼女はひどく傷付いたことでしょう。その傷を知るのは今も昔も彼だけです)
4、まだ続くけれど、一先ずの区切りに。
「躑躅」は、50万ヒット感謝企画の「フラダリさんが穏やかに日々を過ごす幸いな話」として書かせていただきました。
リクエストを下さったまるめるさんとは、個人的にいろんなところでこの数年間、お付き合いをさせて頂いておりました。
25話におけるフラダリさんとシェリーのジャージ姿。中盤から頻繁に登場していた、人の明るい気持ちに集まる10cm程度の虫ポケモン。
「愚かだったけれど間違いではなかった」という、27話のフラダリさんが穏やかな笑顔で語ったあの言葉。あらゆるタイトルや台詞の既視感。そして、マルメロの木。
全て、全て、感謝と尊敬の気持ちを込めて物語の中に盛り込みました。
彼女と共有した何もかもがなければ「躑躅」はこの形を取らなかったでしょう。
この連載がどの程度の出来栄えであるのか、どれくらい多くの方に楽しんでいただけるような仕上がりになったのか、書いた当人には見当もつきません。
けれどこれを書いている間、私はとても、とても楽しかった。夢のような時間でした。夢では終わらせたくなかったから、今回、こうして物語に残しました。
最後になりましたがもう一度、感謝の言葉を。
前作の「上に落ちる水」から3か月弱も連載の更新が途絶えていたにもかかわらず、足繁く通ってくださったすえさん、霙さん。
時折、キーボードを叩く手を止めて「本当にこれを書いていいのかな……」と迷っていた私の背中を、温かい応援のコメントで押してくださった翠子さん、薄荷さん、papiさん。
この物語を綴るきっかけを与えてくださった、かけがえのないお友達、まるめるさん。
そして、彼等の物語にお付き合いくださった皆さん、本当にありがとうございました!
2016.11.17
I’m looking forward to seeing you in the next world !