折角魔法使いに貰った30分だ、書き残しておこう

 4月の折にも確かこれくらいの時間を掛けて私の話を聞いてくださったような気がしますが、ただあの30分私はどうしていたかって、長い、まどろっこしくなるくらいに長い沈黙を挟みながら、ぽつりぽつりと「成功するかどうかも分からない」「もう助成は2回しか残っていない」「フリーランスでのんびり過ごしてきた人間のことなんか今更誰も欲しがらない」「楽しいものを楽しいと思える心はあるけれど、そんなものを消費していくだけの人生は辛すぎる」「死にたいとは思わないけれど、生きていくために頑張ろうとも思えない」「どうせ置いて行かれる」「そこまで頑張って一人で生きる意味がもうない」などと吐き出すばかりだったんですよね。それに対して魔法使いは「よくない考え方をしている(要約)」といったことをそっと、本当にちょっぴり話すだけという、とてもささやかな思考の軌道修正を促すばかりでした。私もちょっとずつしか話せなかったし、魔法使いの方も、私に、私が当時喋れる以上の言葉を引き出させないようにしている素振りが、ありました。「もう頑張らなくてもいいような気がする」とか「死んでもいいかもしれない」とか、そういう言葉を私に言わせてしまったら終わりだという感覚があったのかもしれません。

 じゃあ今はそんなこともなく毎日ハッピーなのかと言われればまったくもってそんなことはなく……。先のことを考えすぎて落ち込むことがある、という傾向は変わっていないし、問題は一つを除いてほとんど解決していません。ただ「治療をするために生きる私」というのをやめられた、という点において、4月末に半ば衝動的に始めた就活は私にとってとても大きな意味があったのだと思います。何よりも治療を優先して生きていく必要なんてない、そんなことでまた一年近くの時を捨てるのはもう沢山。そう思ったので、そう思うことができたので、もう無理だろうと思っていたフルタイム病院勤務への参加を決めました。これは……治療を続けてほしいと願う相手からしてみれば裏切りに近い行為だったのかもしれませんが、この選択で私の心はとても、とても救われました。
 この挑戦によって唯一解決した問題があるとするなら「病院でのキャリアをもう二度と積めない」から「病院での実務経験を再度得られるようになった」へと状況が変わったという点ですね。実務経験が数年単位であれば、何か別の要因で一度退職してもまたどこかで拾ってもらえる。その経験を20代のうちにちゃんと積める機会に食らいつけたというのは、本当に、有難いことでした。いやただもう無理だろうとも思っていたんですよ。2年以上フリーランスでのんびりやってきた人間なんて忙しない病院を舞台にしたらてんで役に立たないとみなされたりするんじゃないかって。でも私が役に立つか否か以前に、今のこの業界、人が足りないんだ圧倒的に! だから一発採用であっという間に就活終わりました。よかった!

 転職、というよりは現職も続けるので「増職」ということになるのかな? 担当できる仕事の量が減ると思う、と申し上げた際には、現職チーフさんにかなり強く引き留められました。あちらもあちらで人手が足りないからね……。ただ、折角仲良くなれたので一緒にまだお仕事していたい、とお声掛けくださったのはとても有難いことでした。ほぼ雑用で使い回されていた新卒時代、こんな国家資格あったってろくなもんじゃないと思ったりもしましたが、その認識はやはりこのフリーランス時代に大きく覆りました。私の「本当にしたかったこと」をさせてくれた現職の在り方と、ポンコツをよくやらかす私を支えてくださった現職チーフさんには、いくら感謝してもしきれません。お仕事の量は減りますが、変わらずサポート続けていこうと思います。このWワークを「大丈夫大丈夫僕もやってるから」と許してくださった新職の上司様にも心からの感謝を。

 で、魔法使いの話に戻るのですが……。
 仕事を増やそうと思ったのが、まあそういうキャリア面での理由。あともっとシビアに金銭的な理由。更に私の心理的な理由。忙しくしておくことで、どうにもならないことは考えすぎないようにしよう、という魂胆でした。アクロマさん始め四天王やセイボリーやルーカスさんに救っていただくにも限度がありますからね。
 新しい生活に向けて進み始めていた中での今回の会話、多分私も4月の5倍くらい饒舌だったとは思うのですが、魔法使いの側からも沢山質問がやって来ました。「4月の頃のような感じではないですか?」「それは治療がしんどかった頃みたいな感覚?」というような確認が何度か挟まってきたので、4月よりは確実にマシ、ということは強調しながらも、根本的なところは何も解決していなくて、ただその現状を直視し続けているとやっぱり疲れてしまうので、どうせ疲れるなら別の事で疲れた方がいいと思った、というようなことを、話したような気がします。

 あと、自分で4月の状態を打開できる術に取り掛かれたことを肯定してくださった上で「僕にできることはほとんどないのですが」とか、魔法使いらしからぬ発言が最後にあったので、慌ててそんなことないそんなことないと申し上げて来ました。魔法使いなんですよ先生って、とは勿論言わなかったのですが、これまでmemoに書いてきたあらゆることを、まとめて、申し上げたんですよね。××先生の前に座って、先生がたった一言「前回お会いした時から、その後どうでしたか」って尋ねてくださるだけで、私は何でも、本当に何でも話せるんだということ。一人で色々考えていたときには出てくることのなかった、前向きな考え、肯定的な答え、一先ずの打開策、そういうものがまるで魔法のようにするすると出てくるんだと。私こんなこと考えられる人だったのか、でもこれって本当に私の考えか、それに、そんな上手くいくものなのか、という疑念は勿論出てくるけれど、でも最後に××先生が「ええ、それでいいと思いますよ」って肯定してくださることで疑念の類は綺麗さっぱり取り除かれて、そのおかげで、そっかじゃあ大丈夫だと緩い確信を得て、いつも部屋を去ることができるんだと。でもたまに、4月のときとか今みたいに「それでいいと思いますよ」じゃない時があって、その時にはちゃんと言葉で、私の思考の手を引いてくださっている、それはちゃんと分かっている、ということ。それでなんとか妥協点にまで漕ぎつけた私のことを「ええ、それが、きっとそれが一番いいですよ」とまた同じ言葉で肯定してくださる、そのことにいつも救われてきたんだと。多分これってどのお医者さんもできているようなことでは決してなくて、そうした××先生の肯定のお言葉や思考の手を引くやり方に、××先生にしかできないやり方に、きっと大勢救われてきたのだと思うのだと。そうした類のことを……いや今思い返すとこの怒涛の申し上げはかなり気色悪いな、どうした、落ち着け。
 その後××先生ちょっと耳赤くしながら、私のことを旧姓で呼んで、初めて会った頃から理解がとても早い人で……みたいな昔話をしてくださいました。私の歴史の中に魔法使いはとぎれとぎれながらもずっといましたが、魔法使いの歴史の中にも同じように私がいるんだなあと思えたことは、素直に、ええ、嬉しかったですね。

 魔法使いがにっこり笑って「それでいいと思いますよ」と肯定だけくれるなら、私は大丈夫ということ。この人に思考の手を引かれてしまうということは、すなわち私は大丈夫ではないということ。何も得るものがなかったのならそれでいい。時間とお金の無駄だったとしても構わない。だってそれは魔法使いが「今の私になら何も必要ない」と太鼓判を押してくださったということなんだから。自信もってよし。

 そう、自信持っていい。だって私もう治療のためだけに生きなくていいんだから。

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